あるかもしれない怪異帳

とりぺい

芸術家と怪異

『あのぅ、警察署ですか?』

受話器越しに、老婆の声がした。しゃがれているのに、言いたいことは伝わるような。どこかで、聞いたことがあるような声。

「はい。厳密には交番ですが…」

『あぁ、そうですか。ならいいんですよ、えぇ。』

初めに警察署か聞いたのはそちらなのに、何がそうですかなのか。久しぶりの仕事がクレーム対応になりそうな予感がし、苛立ちを抑えながらもマニュアルを右手に対応を続ける。

「えっと、それで…ご用件は?」

『え?あぁ、要件ですかね』

耳が聞こえてないのか____眞田は内心舌打ちした。どうせ後の対応をするのは本部なんだから、今ここで受話器を勢い良く置いてしまいたい。が、グッと堪える。

『実はですね…あぁ、今森野区にいるんですけれどもね』

「はぁ」

『偶然、見かけたんですよ。ほら、行方不明者の___』

「!?行方不明者、ですか!?」

思わず立ち上がる。その拍子にマニュアル___ではなく受話器が落ち、『あらまぁ』という腑抜けた声が聞こえてくる。

その声で我に返った眞田は、慌てて受話器を取り直すと、

「すいません、メモとってくるんで!!」

と一言だけ残し、メモが置いてあるはずの机を探しにいった。


________________________________________


「すいませんねぇ、お忙しい時間帯のはずなのに」

『いえ、全然!』

そんなことはない、と全力で否定しているような声だった。さっきまでとはやる気が違う。違いすぎる。

『それで、森野区での行方不明者、というのは____』

「ん?あ、えぇ」

老婆は何かを思い出したような声で

「森巳夜で間違いないと思いますよ」

『もり…みよ、る』

警官の絶句が伝わってくる。

森巳夜というのは、とある有名なデザイナーの名前だ。

六十を過ぎた婆でありながら、数々の番組へと出演して、数多の辛口コメントを残していった巳夜。その姿が当時の若者の心に刺さったのか、その辺にいるどこぞの芸人よりも、よっぽど人気があった。

しかし、十年前、突如姿を消した。

本当に何の前触れもなく、理由も思いつかず。

あまりの情報の無さに捜査が進展しないまま、唯一分かった情報が_______

「(最後に目撃されたのが森野区だということ)」

そして、そんな森野区での行方不明者情報。

本人の名前が出ている以上、期待しない手はない。

「それじゃあ順番に聞いていきますけど__まず、その人が森巳夜だという確信は?」

『あぁ、偶然だけどね、直前に探していますのポスターを見ていたの』

「あのポスターですか…」

『そう。ほら、当時は随分騒がれたでしょう?でも記憶に古い出来事だったから、久しぶりに森巳夜、って名前を見て、あぁ、そういえばそうだったなぁ…って思ったのよ』

「なるほど。それで、発見に至ったのは__」

『ポスターの近くにあった服屋さんなの。服屋の中にいるのを見かけて、あら、あの人さっき見なかったかしら_____ってね』

「?ポスターは10年以上前の物のはずですが、まさか全く同じ服装で…?」

『それがそうなのよ。驚いちゃうわよね』

「はぁ…」

10年間も同じ服、というのは想定しづらい。

となると、何らかの形で居場所を確保…あるいは、隠れていた?でも、何故_____

『あら、警察さん?電話、切れちゃったのかしら』

「!あぁいえ、続けてください」

『あ、よかったわ』

老婆は続ける。

『だけどもね、不思議なことに、誰も話しかけてこないのよ。見向きもしなくてね』

「はぁ…それは何というか、不自然、ですね」

『そうでしょう?』

老婆の声に熱がこもり始める。

『だからね、私、おかしいな〜って思って、勇気を持って話しかけたのよ。「貴女、森巳夜ですよね」って…それでね』

「それで?」

『不思議なの。話しかけて、確かにこっちを向いたのに、ちーっとも返事をしてくれないの』

「返事を、してくれない?」

『ええ』

老婆の微笑む姿が目に浮かぶ。

『それどころか、周りの人達が、「こいつはおかしい奴だ」って目で私を見始めたのよ。変だと思わない?森巳夜じゃなくて、私をよ?』

「確かに…それは変ですね」

何故10年以上も行方不明だった人がそこにいるのに、誰も気にしないのか。おかしい。

「…いや」

本当におかしいのは何だ?

何故さっきから、違和感がするんだ?

行方不明者を見つけた、というのは表彰モノだ。だから、森巳夜の情報は頭に叩き込んでいる。

老婆から話を聞いたことで、あの頃何度も見返したインタビューや番組の内容も少しずつ思い出してきた。

なのに_________

「(さっきから、物凄い違和感がするのは何故だ?)」

眞田は頭をフル回転させる。

初めて聞いた話のはずなのに何故か既視感がある。考えろ、この既視感の理由は___

「…声?」

かろうじて絞り出した声。そうだ、声だ。でも、何故?

「(…あ)」

思い出すんだ。初めて老婆の声を聞いた時に思ったこと____!

「しゃがれてるのに、言いたいことは伝わるような…」

〃どこかで、聞いたことのある声〃

膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪える。まさか、そんなはずは。

「あの!」

頭の中で一つの仮説が浮かぶ。そんなことはありえないはずなのに、何故かしっくりくる仮説。いや、真実か?

ありえない仮説の答えを聞こうとしたところで、『そうそう』と老婆が話を切り出す。

『あんまり時間が無さそうなもんでねぇ。早いうちに色々喋っておきたいんだよ』

「!時間がないっていうのはどういう…」

『なぁに、またいつも通りに戻るだけさ』

老婆は笑う。何がそんなにおかしいんだ。

『10年間も神隠しなんて、洒落にならないからねぇ』

「…ぁ」

気付いた。気付いてしまった。仮説の答えに。この老婆の正体に。

「今どこにいるんですか!?森巳夜さん!」

『さぁねぇ。日本っぽいのは確かだけどね』

老婆________森巳夜は相変わらず笑い続けている。

『ただ、やっぱり服屋に写った自分に話しかけたのは、ちとまずかったかな』

「慌てないでください、落ち着いて!!こちら八木波交番眞田!!森野区にて行方不明者情報!至急_______」

『無理だよ』

ピシャリと言い切られる。うるさい、そんなこと分かっているのに…!

『まさか怪異とやらが実際にあるとはね…全く、人生とはどうも思い通りにいかん』

「待っててください!すぐ、すぐそちらに…!」

『慌てなさんな。さっきから声が大きくてねぇ…』

一瞬だけ、沈黙が落ちる。

『…ふはっ、周りの輩が、皆アタシを見てやんのよねぇ』

「森さん!!!」

『あんたも大変な仕事にありついたねぇ』

クククッと笑った。

何だよ、怪異って。本当に何なんだよ___! 

「どうか、命を守る最善の行動を…!」

『なぁに、またいつも通りに戻るだけさ』

「何ですか…!いつも通りって!!」

最早話すら聞いちゃいない。その時、ふとある番組のインタビューを思い出した。

_______森さんにとって「芸術」とは?

あぁ、何だっけ。確かその答えは…

『知らんよんなこと。戻れるんだったら、普通に戻りたいけどねぇ』

「…森さん!!!貴女は、貴女は…!!」

どれだけ足掻いたところで無駄だと知っている。もう助けられない命。そのはずなのに__

「どうして最後まで、芸術なんて…!!!」

思わず嗚咽をこぼす。だけれども、伝えなくてはならないことがある。あるはずなんだ。

「…別れ際まで、芸術で…作品だなんて…」

『ははっ』

心の底から笑ったような、声だった。

『アンタ、意外といいセンスしてんだねぇ____芸術家に転職したらどうだい?宝の____』

ブツッ、と音を立てて、電話は切れた。

後から知ったことだが、通話時間は3分にも満たなかったらしい。

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