婚約破棄されたので、さっさと次にいきましょう

水都ミナト@【解体嬢】書籍化進行中

婚約破棄されたので、さっさと次にいきましょう



「婚約破棄だ!」



 なんの脈略もなく、高らかに宣言する声が大広間に響いた。


 ザヴィロン王国の第一王子であるイーディス・ザヴィロンの十八歳の誕生日を祝う場は、先ほどまでの賑やかさが嘘のようにシンと静まり返った。

 パーティの参加者の視線を一身に集めるのは、本日の主役であるイーディスと、彼が指差し婚約破棄を突きつけた相手――フォルティナ・ウェスティアン公爵令嬢である。


 興奮した様子で鼻の穴を膨らませ、得意げに口の端をあげるイーディスに対し、フォルティナは表情を一切崩さない。



「理由をお伺いしてもよろしいでしょうか」



 凛としたよく通る声で尋ねるフォルティナに、イーディスはフン、と鼻を鳴らす。



「理由だと? わざわざこの俺が懇切丁寧に説明せねば分からんとは……どこまでも性悪な女だ。お前が俺の愛しいリシェルを虐げていたという報告は聞き及んでいる。貴族令嬢が集う茶会に招待もせずに仲間外れにし、俺と親しくしていることにも苦言を呈したらしいな。ふん、女の嫉妬とはこうも醜いものなのか。その上、お前は俺の仕事にも執拗に口を出してすでに王太子妃気取り。いい加減うんざりなんだよ」



 そう大仰に首を振るイーディスは、小動物のように瞳をきゅるきゅると潤ませる桃色の髪が可愛らしい令嬢をその腕の中に抱いている。

 イーディスの寵愛を享受していると噂のリシェル・ズズシィ男爵令嬢である。


 リシェルは「私とっても怖かったのお」「いつも意地悪ばかりされてえ」と必死な様子でイーディスに訴えている。

 その度にイーディスは「おお、よしよし。俺の可愛いリシェル。可哀想にな。俺が守ってやるから、もう泣くな」とふわふわの髪を撫でている。


 一体なんの茶番を見せられているのか。

 参加者の心の声は見事にシンクロしていた上に、イーディスの主張は到底婚約破棄の理由に相応しいものではないと誰もがそう思った。


 一同が白けた目で見守る中、フォルティナは流れるような所作で、見本のようなカーテシーを披露した。

 そのあまりにも優雅で無駄のない動きに、その場にいた誰もが思わず息を呑み、見惚れた。



「承知いたしました。このフォルティナ・ウェスティアン、婚約破棄をお受けいたします。恐れながら念の為の確認ですが、今この時より、わたくしはあなたの婚約者ではない……という理解でよろしいでしょうか」


「はん、お前は馬鹿か? 当たり前だろう」



 イーディスはフォルティナの問いに対し、小馬鹿にしたように笑いながら頷いた。



(言質は取りましたわ。これだけ多くの来賓が証人なのです。国王陛下も認めざるを得ないでしょう)



 フォルティナは、イーディスが自分を疎ましく思っていて、公務をサボってリシェルに現を抜かしていたことももちろん知っていた。その分の皺寄せは全て婚約者であるフォルティナが被っており、あちこちミスだらけの書類を寸分の狂いなく修正して適切な部署に提出していた。

 リシェルに分を弁えるようにと優しく教えてやっていたのも、第一王子の婚約者として当然の務め。


 フォルティナを辱めたいと常々画策していたイーディスが、大勢の貴族が集う今日この時に婚約破棄の宣言をするだろうとは予想も容易いことだった。むしろ予想通りすぎて、この男に腹芸はできるのだろうかと王国の行末が心配になる程だ。



(ここまでは予定通りですわ。次の段階に進みましょう)



 今この場にいる者は、誰一人としてフォルティナに非があるとは思っていないだろう。それほどフォルティナは毅然とした立ち居振る舞いで長い年月をかけて信頼を築いてきた。茶会もパーティもそつなくこなし、フォルティナが王妃となればこの国は安泰だと言わしめるまでになっている。


 今日のパーティだって、主催はイーディスであるが、その準備はほとんどすべてフォルティナが取り仕切った。

 来賓の選定から料理の準備、会場のテーブルの配置や照明のあれこれまですべて。


 フォルティナはイーディスの婚約者として選ばれた時から十年、厳しい妃教育を受けてきた。

 まさに文武両道、才色兼備。王国の顔として恥ずかしくないように美容にも力を入れてきた。

 おかげで自慢の銀髪は絹糸のようにきめ細かく、肌も白魚のように透き通っている。

 今や、フォルティナはサヴィロン王国の珠玉と称されている。


 そう、フォルティナは自分の価値を正しく理解している。


 フォルティナは未だに身を寄せ合いこの舞台の主役は自分たちだと勘違いしているイーディスとリシェルに背を向けて、パーティの参加者を見まわした。


 皆がフォルティナの一挙手一投足を固唾を飲んで見守っている。

 果たして、不当な理由とはいえ第一王子に婚約破棄を言い渡された令嬢がこれからどうするつもりなのかと。


 フォルティナは一同が見守る中、スラリと細く長い腕を優雅な所作で持ち上げ、ピシッと真っ直ぐに手を伸ばした。



「わたくしはウェスティアン公爵家が一人娘のフォルティナ。イーディス王子殿下の婚約者となり早十年。長年の妃教育により、話せる言語は五ヶ国語に及びます。マナーも教養も完璧と自負しております。ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、殿下の書類仕事もわたくしが大半を捌いておりましたわ。さて、皆様も先ほどその目でご覧の通り、王国一の才女がフリーとなったわけですが……どなた様かわたくしを貰ってくださいませんか?」



 ピンと伸ばした腕の逆の手を頬に添え、こてりと首を傾ける。その拍子にサラリと絹糸のような銀髪が肩に流れ、キラキラと光を反射して輝いた。


 イーディスに愛はないが、王国民のために素晴らしい王妃になろうと思っていた。

 だが、十年もの間努力を惜しまずに励んできたフォルティナはあっさりと婚約破棄されてしまった。


 とはいえ、婚約を破棄されて落ち込んでいる暇はない。この場にはフォルティナが厳選した将来有望な殿方がたくさん集っているのだ。

 ピンチはチャンス。ここはもはやフォルティナの狩場となっていた。


 フォルティナはイーディスに婚約を破棄された暁には、さっさと次の婚約相手を探そうと思っていた。

 次こそ有能で、フォルティナを大事に扱ってくれる殿方を探そうと。


 そのため、来賓を選定する際に、婚約者はいないが優れた殿方を優先的に招待していたのだ。

 隣国の第二王子をはじめとした王族はもちろん、歴史深い家門の者から、宰相、優秀な魔導師に軍師など、今この場には大陸中から素晴らしい殿方が集っている。男女比率で男性が多めに参加していたのも、すべてはフォルティナが仕組んだこと。


 さて、真っ先に名乗りをあげてくれる猛者は誰だろうかと、どこか呑気にフォルティナが構えていると、会場後方から豪胆な笑い声が聞こえてきた。



「……くく、あはははは! これはいい! 気まぐれで参加したパーティだったが、これほど楽しい余興が見られるなんてな」



 サッと会場の人混みが左右に割れ、その間を悠然とした態度で歩み出てきたのは、燃え盛る太陽のような朱色の髪に真っ赤な瞳を持つ大男。大陸一の領土を誇るテスティード帝国の皇帝、レオナルド・ルイ・テスティードその人であった。



(まさか皇帝陛下が名乗りをあげてくださるとは。地位と名誉はもちろん、野生的ながらも整ったご尊顔、鍛え上げられたガチムチの身体……暴君と言われておりますが、その政治的手腕は素晴らしい。昨年の大規模な水害を最小限の被害で抑えたと聞いた時は感動したものですわ。何より、この場に臆することなく堂々とした佇まいに溢れ出る自信……いいですわね)



 相手は大陸一の帝国の王だと言うのに、フォルティナは品定めをするようにマジマジとレオナルドを見つめた。不躾とも言える視線を窘めるでもなく、レオナルドは受けて立つと言わんばかりに厚い胸板を張る。



「どうだ? 俺はあんたのお眼鏡に適ったか? 俺を選ぶなら一生不自由はさせないし、貴殿だけを深く愛し抜くと誓おう」



 自信満々で不遜な態度もここまでくると清々しい。好感しかない。ぶっちゃけ屈強な男はフォルティナのタイプである。剣術の稽古をサボってばかりで貧弱な体付きをしたイーディスでは物足りないと思っていた。



「ふふ、そうですわね。まさか皇帝陛下に声をかけていただけるとは思いませんでしたが……陛下のお申し出、ありがたくお受けいたし――」


「ま、待ってくれ!」



 フォルティナがレオナルドの求婚に承諾しかけた時、後方から待ったの声がかかった。



「聡明な美姫よ。俺にも名乗り出る権利をいただけないだろうか」



 そう言って歩み出たのは、隣国の第二王子オレオ・エランデーナだった。

 優しい顔立ちながら、この場に割り込む勇気を持ち合わせているらしい。王位は兄が継ぐ予定だが、第二王子として兄を支えていくのだと公言しており国民からの支持も厚い。彼もまた、なかなか好印象だ。


 オレオを皮切りに、「俺も」「私も」「僕も」と、あちこちから待ったの声が上がり始める。


 新興国の腕利き宰相のヤサシィ・デッセに、唯一海の向こうの国から参加してくれた平和な島国の王族であるダイジ・ニ・スルーヨまで、気付けばその場にいるほとんどの殿方が挙手をしているではないか。


 フォルティナの評判は大陸中、そして海の向こうまで届いており、誰もが美しく気高い令嬢を伴侶にできるイーディスを羨んでいたのだ。

 ところがその幸運な男は、自分がどれほど恵まれていたかを理解していなかった。


 突然降って湧いたようなこの好機、逃すわけにはいかないと誰もがそう思っていた。



「あらあら……こんなにたくさん……嬉しい誤算ですが困りましたわね」



 ピシッと挙げられた手は優に十人を超えている。

 しかも各国の重鎮ばかりときた。

 どうしたものかとフォルティナが頭を悩ませていると、大広間の扉が勢いよく開かれた。



「な、な、な……何事かこれはー!!」


「あっ、父上!」



 息切れ切れに飛び込んできたのは、イーディスの父でありサヴィロン国王その人である。

 どうしても外せない公務があり遅れてパーティに参加することになっていたのだが、この騒ぎの報告を受けて飛んできたのである。

 

 すでに空気と化していたイーディスが慌てて駆け寄ると、サヴィロン国王は大きく腕を振りかぶってその横っ面を殴り飛ばした。



「ばっかもーーーーん!!!」


「ぶべらっ」


「きゃああっ! イーディスさまぁ! 痛そお」



 国王渾身の一撃を受けて吹き飛んだイーディスに、パタパタと駆け寄るリシェル。

 サヴィロン国王は肩で息をしながらフォルティナのところに向かうと、腰を九十度に折り曲げた。



「愚息がすまない! どうか婚約破棄の話は無かったことにしてくれないか?」


「国王陛下……申し訳ございません。これほどの方が証人なのです。殿下のお言葉を今更取り下げることはできないかと存じます。婚約破棄されたことはすでに過去のこと。わたくしはもう未来を見据えておりますの」



 フォルティナはサヴィロン国王の必死の訴えをやんわり断ると、改めて会場を見回した。



「さて、フォルティナ嬢。貴殿は誰を選ぶのだ」



 レオナルドが楽しそうに腕組みをしながらフォルティナに問う。

 一同の視線が、フォルティナに集まった。

 フォルティナは目を伏せ、覚悟を決めたように顔を上げた。



「わたくし、強い殿方が好きですの」



 一瞬の沈黙ののち、男たちの太い雄叫びが上がる。


 そこからはもう怒涛の展開だった。

 フォルティナをどうにかして引き留めようと、国王が躍起になって宰相の息子や騎士団長子息まで総動員で差し向けてきたのだが、突如勃発したフォルティナ争奪戦は最終的に、最初に名乗りを上げた皇帝レオナルドがぎったんばったんとライバルたちを投げ飛ばし、圧倒的な力を以て勝利を収めた。


 サヴィロン国王の消沈ぶりは目も当てられないものであったが、体格のいい男性が好みだったフォルティナは、大喜びでレオナルドとの婚約を結び直し、パーティの三日後には帝国に向かう馬車に飛び乗っていた。

 そして一年の婚約期間でレオナルドから底なしの愛を注がれたフォルティナは、一年後に幸せな結婚式を挙げることとなる。


 皇帝レオナルドの治世は、優れた皇妃の支えもあり歴代一の繁栄を収めた。三人の子宝にも恵まれ、皇妃を溺愛する皇帝は国の名物となり、国民の支持率も爆上がり。大変平和な治世となった。


 一方、王国の珠玉を失ったサヴィロン王国は衰退の一途を辿りかけたのだが、帝国の慈悲により何とか国としての形を保つことができている。

 王位は第二王子が継ぐこととなり、王位継承権を剥奪されたイーディスは下働きとして毎日忙しなく城中を駆け回ることとなった。リシェルもまたメイドとしてビシバシと厳しいメイド長に扱かれている。追放なんかで済まさずに、バカはバカなりに王国のために働きなさいというフォルティナの鶴の一声による采配である。


 こうして、さっさとイーディスに見切りをつけて明るい未来を自ら掴みにいったフォルティナは、溺れそうになる程深い愛に包まれ、幸せな余生を送ったのだった。



 おしまい



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