第4話


 大学3年生の夏休み明け以後、単位や就活を言い訳に「ぶんコミュ」に顔を出さなくなっていた俺は、江田とも顔を合わせることがなくなっていた。サークルの飲み会はなかったし、俺が顔を出す飲み会は大抵男だけで好きにやっていた。 


 卒業式の日、一年ぶりに江田と会った。「ぶんコミュ」の部室で記念撮影をすることになっていて、江田と俺だけ早く着いてしまって、たまたま2人きりだった。 


 江田は、赤色の振袖に紺色の袴を履いて、髪を中華ファンタジーの表紙みたいに盛っていた。着物といえば化粧がドキツいイメージがあったが、江田の顔はいつもどおりに見えた。 

 話しかけはしなかったが、キャンパス内では何度も見かけていた。 



「ちょっと、尾道、スーツなんか着ちゃってさあ」 



 何を話そうか悩んでいたら、江田のほうがおどけた様子で笑った。 



「久しぶりじゃん、就職決まった?」 

「決まったよ、もう卒業すんだぞ、俺達」 

「私も決まった」 

「だーから、もう卒業するんだから決まってるだろ。どこ?」 

「そうだ、京都行こう」 

「……ああなに、京都で先生やんの?」 

「ピンポン」 



 江田は教育学部だった。ここには残らないらしい。 



「尾道は?」 

「横浜」 

「ヒュー、都会っ子になるんだ」 



 江田がここに残らないんなら、俺だって、無理して出て行くことなんてなかった。 


 頭を触ろうとして、今日はわざわざセットされていることを思い出し、間を持たせる手段がなくなった。仕方なく、机に載っているチラシを手に取り、眺めるふりをする。 



「……尾道は、まだ小説書いてんの?」 

「まさか」 



 間髪入れずに答えたが、江田に会っていなかった一年半の間に一本は書いていた。 逆に言えば、それだけだった。



「ちゃんと書いてよ、もう就活終わったんだから暇でしょ? で、読ませてよ」 

「どうせまた面白くないって言うんだろ。つか江田こそ、書いてんの?」 

「まさか。私が書いたのなんて後にも先にもあれだけだし」 



 後にも先にもないのに、あんなものを書くのか。グシャッと手の中でチラシが崩れてしまった。 



「尾道も、ああいう好き勝手な話書けばいいじゃん?」 



 パイプ椅子に座っている江田は、両手で椅子を掴みながら、ぷらぷらと足だけを揺らした。着物ってのは崩れると大変だと聞くが、袴はそうでもないらしい。 



「……俺にあれは書けねえよ」 

「もしかして私が書いた小説の話してる? 当たり前じゃん、だってあれは私の小説だから」 

「んじゃ何を書けって言ってるんだよ」 



 馬鹿馬鹿しい、ただのお遊びで、緩く書きたい人が集まっているだけのサークルにいただけだ。それを、これは面白くないあれも面白くないでもそっちを書け――うるさいんだよ。 


 口を開いたが、そう話し始める前に「おー、はりきってんねー」佐伯達が入ってきて、話はそこで止まった。 


 江田がもう一度話の続きをしたのは、写真撮影が終わった後、飲み会の時間までどう時間を潰すか、部室で駄弁っているときだった。 



「尾道って、推薦でしょ?」 

「……ああ、入試が?」 



 去年の夏も、そんな話をした。 



「だからー、国語とか小論文とか、得意だったんだろうなって」 

「まあ、わりと。それが?」 

「国語も小論文も、問いに的確に答えて点数をもらう科目じゃん?」 



 抜き取ってきた要素をあてはめるかのように、江田は両手でかぎかっこを作った。 



「尾道の書いた小説って、全部そうだから面白くなかったんだよね」 

「どういうこっちゃ」 

「佐伯が書いてた小説を読んだらさ、佐伯は、自分の潜在能力を認めてほしいって欲求があるんだなあって思った。部長なんてやりたくなかったけど、みんながやれって言うから仕方なくやって、でも実際うまくサークルを回せちゃう。そんな自分を褒めてほしい」 



 江田は、大人しいルックスのわりに、はっきりと物を言う。そうだとして、佐伯相手にそんな見方をしていたとはさすがに思っていなかった。しかし、確かにアイツは、レオンハルトよりヤン・ウェンリー派だった。 



「三原ちゃんは、シンデレラより眠りの森の美女。高田は、地道で真面目な努力をしてきた自負がある。小説ってそういうのが見えるじゃん、大なり小なり。だから私、みんなの小説以外に小説って読んだことないんだけど」 



 それがどういう意味か、考えるより先に江田が続けた。 



「でも、尾道の小説って、尾道が見えないなあと思って。いつもいつも、よくできた現代文とか小論文の回答を読んでる気分? 佐伯とか高田とか相手に、最大公約数的な面白いをメタ的に分析して書いたんだろうなって」 



 否定できずに黙り込んでいると、江田は「だからぜんぜん面白くなかった!」と明るく告白した。 



「私が読みたい尾道の小説は、これじゃないって。こんなんじゃ全然尾道のことが見えてこなくて、分かんなくって、つまんないって。……ずっと思ってた。でももしかしたら、そうやってみんなの欲しいエンタメを提供するのも尾道なのかもとも思って。…………」 



 他にも何か言いたげにしていたが、江田は袴用のカバンから携帯電話を取り出すと「じゃ私、家族で約束あるから行くね」と立ち上がってしまった。 


 俺はなんと返事をすればいいか分からず、みんなはブーイング混じりに止めたが、江田は「また同窓会しようね」と社交辞令だけ残し、部室を出て行った。 


 俺がラッシュを避けて帰省するせいもあって、俺は同窓会に出ることはほとんどなかった。仕事も忙しく、そのうち地元に帰ることもなくなった。 



 卒業式が、江田に会った最後の日だった。 

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