第2話

 江田千紘を紹介しようとしてまとめると、「なんかよく分かんないヤツ」になる。 


 ぶんコミュとは、文章を緩く書いて楽しみたいコミュニティだ。だから、幽霊部員以外は何かしらを書いていた。同窓会の声かけをした佐伯は銀英伝のパクリみたいなファンタジーを書いていたし、いま妊娠しているという三原は俺達の好きなアニメの二次創作でBLを書いていて、佐伯が「なんで百合じゃないんだよ」と苦悶の表情を浮かべていたことがある。他の連中も、三国志風の戦記物を書いてみたり、百番煎じのラブコメを書いてみたり、とにかく何かしらを書いていた。 


 しかし、江田はなにも書いていなかった。いつも誰かの物語を「読ませて」と言うだけで、自分ではまったくペンを執らなかった。 

 なんなら、江田は俺の書く話ばかり読みたがり、しかし絶賛することはなく、それどころか必ず「面白くない」という一言とともに辛口コメントを残していた。 


『この主人公、薄っぺらすぎない? 育ちに対してお前の言動軽すぎワロタじゃん』 

『敵に魅力がなかった。主人公のすごさを引き立てるための舞台装置感がすごい』 

『なーんか主人公の行動原理がしっくりこないんだよねー。優しい人間って、唯々諾々と従う人間のことじゃないからね?』 



 もちろん、佐伯達の作品も酷評されて「銀英伝げんさく読んでるから途中で飽きた」とか「戦争の勢いでキャラ設定をおざなりにして誤魔化してる」などと言われていた。ただ、第一声は必ず「面白かった、ありがとう」だった。


 江田が面白いと言わなかったのは、俺の作品だけだった。 


 そうして、江田は、俺の作品を酷評しては「で、次は?」と急かしてきた。期末試験前で忙しいときに「最近どう?」と次回作の予定を尋ねてきたこともある。 



「なんでそんなに俺のばっかり読むんだよ」 



 ある日、辟易してそう尋ねたことがある。確か江田に読まれたのは5作品目で、新作ができたら教えろと言われたので連絡したら、学内のカフェに原稿つきで呼び出されたのだ。 

 大学3年の夏休みだった。江田はペラペラした袖の、半分ノースリーブみたいな服を着ていた。原稿を手渡すと、まるで張り切るように、ふわふわのゴムで髪をひとつに結び始めたことを覚えている。 



「お前、読ませろって言うくせに罵倒しかしねーじゃん」 

「だってつまらないんだもん」 



 いやいや、レオンハルトがパリピになってる銀英伝と二次創作のBLと、劉備が大喬と小喬と貂蝉と虞美人を娶る三国志よりは面白いだろ。実は俺の話はわりと好評で、「これシリーズないの?」と言われたことが何度かあった。 



「だったら読むなよ、つかお前なんで書かないのにぶんコミュいんの?」 

「別に書かなきゃいけないなんて決まりなくない?」 

「ないけど、マナーってもんだよ。他人の作品読んであれこれ好き勝手口出すんだからさ、安全圏からマシンガン構えてんなよ、コードギアス履修してねーのか」 

「じゃあ夏休みの間になにか書いてくるね」 



 飲んでいたアイスカフェオレのストローが、ぽろっとグラスの中に落ちた。江田は、マジで一文字たりとも書いていたことがなかった。それが、その場限りの勢いだとしても、とにかくそう言い切った。 



「マナーなんでしょ?」 



 そう言ったよね? そう言いたげな目に見られて「うん、まあ……」と曖昧な頷き方しかできなかった。江田は子どもみたいに目が真っ黒だった。 

 そうして、江田はその日も俺の話を読んで「主人公の家族が手抜き過ぎ。とりあえず話を進めるために都合よく使っただけで、黒子より酷い」とまた酷評した。分かっていたことなので、ハイハイと流した。 


 江田から小説が送られてきたのは、その次の日の夜、佐伯たちと飲みに行っているときだった。トイレに立ったときにたまたま通知に気付き、メールを開くと、本文にビッチリと文字が詰まっていて、どうやら江田はメール本文に小説を書いて送ってきたらしいと知った。 

 

当時はまだ一人一台のパソコンなんて持ってなかったから、原稿は手書きの連中が多かった。俺もその一人だった。三原はガラケーで書いていた。だから、江田がガラケーで小説を書いて寄越したのも、これといっておかしなことではなかった。 


 ガラケーのメールだから文字数制限もあって、確か5000字もない短編だったと思う。トイレから出て席に戻るまでにチラ見しようくらいに思っていた俺は、ガラケーを開いたまま、座敷にたどりつく前の廊下で立ち止まってしまった。 

 現代を舞台に、閉じられた世界で生きる少女の物語。あるはずないのにないはずないと思わせる世界観の構成、いま隣でその一生を語られているかのような臨場感、そこから伝わってくる果てしない虚無感に、衝撃を受けた。 

 あまりの衝撃に涙が出た。お陰でしばらく席に戻れなかった。 

 江田に返信もできなかった。江田も感想を求めてこなかった。 


 次に江田に会ったのは夏休みが明けてからだった。夏休みにペラペラの半分ノースリーブみたいな服を着ていた江田は、そのときにはグレーのカーディガンを着ていたし、髪はおろしていた。 


 学食で俺を見つけると「あ!」とでも声をあげていそうな丸い口をして、軍人みたいな編み上げのブーツで駆け寄ってきた。 



「で、新作できた?」 

「できるわけねーだろ、どんなスパンで書かせんだ」 



 たった2週間だぞ、と言いかけて、江田が1日で一本書いて送ってきたことを思い出し、うどんを啜って誤魔化した。 



「いい加減、面白い話書いてほしくてさ」 



 江田は俺の前に座りながら頬杖をついた。悪びれないその態度に、ほんの少しカチンときた。 

 サークルでは全然書かないくせに、人の物語を批評してばかり。それでもって、俺の物語だけには「面白くない」とケチばかり。そういうお前はどんなもんか、お手並み拝見といこうじゃないかと思ったら、圧倒的な話を一晩で書いて送りつけてきて、それっきり。売り言葉に買い言葉で適当に書いて送ってきたんじゃなかったのかよ。 


 ズゾゾとうどんを啜り続ける間、江田は黙っていた。俺が箸を置いてグラスを掴んだところで、やっと口を開く。 



「尾道って推薦だったっけ?」 

「そうだけど、なんで?」 



 受験の話をするのは1年まで、それもセンターの時期くらいだ。 



「今までずっと面白くないって言ってたけど、面白くない話も、尾道なのかなあって」 



 そりゃ、そうだろうよ。あんな物語書くお前にとって、俺の話は面白くもなんともないだろうよ。返事をする気になれず、うどんの器を傾けた。 



「……でさ、尾道って何系に就職するの? 出版系?」 

「なんで出版系」 

「だって書くの好きでしょ?」 

「趣味と仕事は分けたいタイプだから、俺。つか、就活で教務課のとこ行くから」 



 江田はまだ何か話したそうにしていたが、あの短編を読まされて以来、なんとなく江田と話したくない気分になってしまっていた。 


 江田と次に話したのは、卒業式だった。 

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