1-6
「姉さんはクラークさんを愛してると思うよ。僕が見た限りではね」そう言ってシリルはため息をつく「でも……姉さんは大人しいタイプだから、ほんの少しクラークさんに気圧されてるのかも……けど二人は――」
「あぶない!」
ちょうどその時、アニーはシリルに目を向けていた。すると、シリルがバランスを崩したのだ。足元は石ころだらけで、しかもぬれてすべりやすくなっていた。アニーは慌てて、シリルの腕をつかもうとした。けれども右手にハンマー、左手にかごを持っていた。
とっさに体が動いて、シリルのほうにとりあえず腕を伸ばす。シリルがその腕をつかんで、かろうじて転がらずにすんだ。アニーも足を踏ん張って、一緒にこけるのをくいとめた。
「ここ、あぶないのよ。今日みたいに地面がぬれてる日は特に」
アニーは体制を整えるシリルを見ながら言った。「先に注意しておくべきだったわね」
「ありがとう」
シリルはまだアニーの腕をつかんでいた。そのため、アニーのすぐ近くで、そしてたいへんまじめな顔で、アニーにお礼を言った。
「君がいてくれなかったら、僕はすっかり転んでいたよ」
アニーは面食らってしまった。シリルがずいぶんとまじめで、距離も近かったからかもしれない。アニーは照れくさくなり、ぼそぼそとつぶやいた。
「その……あたしがあなたに合わせてもうちょっとゆっくりと歩けばよかったんだけど……」
そんなところまで気が回らなかったから。私はここを何度も歩いてるからもうなれてるけど、このお坊ちゃんはそうではないのだ。
「君って、いい人だね」
シリルが感心したように言った。大きな青い目は心の底からそう思っているようだった。
アニーはますます面食らってしまった。
――――
「ただいま」
夕方、兄が帰ってきた。ちょうど扉のそばにアニーがいて出迎える。
「おかえりなさい。ところで今日、お屋敷の少年に会ったわよ」
「へえ」兄のジョンはアニーに似て、茶色のくせっ毛の持ち主だ。荷物をおいて、明るい目をアニーに向けた。「どんなやつだった?」
「どんな……」
アニーはいいよどんだ。どんな……。なんていえばいいのかしらね? 悪いやつではなさそうだけど……。
「おしゃべりだった」
迷った末、アニーは言った。ジョンは笑った。アニーはさらに続けた。
「あたしと友達になりたいんだって」
「よかったじゃないか」
「うん……」
貧しい家の子どもと仲良くなりたいお金持ちなんて変わった子だなと思う。彼らとあたしたちの世界はくっきりと別れているものだし――。たまにレイトン姉妹みたいな親切な人もいるけど。あの子も親切なのかな。
シリルという少年。あたしにまっすぐにお礼を言ってくれた。あたしのことをいい人だ、って。からかってるふうでもなかった。
やっぱり――変な子だな。
「そうそう、お姉さんが化石好きなんだって」
「そうなのか?」ジョンが顔を輝かせた。「うちに来てくれるかなあ」
「宣伝しといた」
「よくやったぞアニー。金持ちのお客は大事だからな。ところで……、『あれ』の様子はどうだった?」
「いつもと変わらず、だよ」
ジョンとアニーは目を合わせる。ベイカー一家には秘密があるのだ。上手くいけば大きな幸運を手にすることができるであろう、秘密。けれどもまだその時ではない。まだ待っていなければならない。
アニーはいたずらっぽく目を輝かせ、ジョンはやや重々しくうなずいた。
「うん。そうだな、やはり嵐を待たないとな」
嵐。嵐が来れば、崖の秘密が姿を現すのだ。
――――
ある日の午後、アニーは町の大通りの坂道を歩いていた。手には本を持っている。アニーの家から坂道をいくらかのぼったところにレイトン姉妹のお屋敷があって、アニーはそこへ姉妹から借りた本を返しに行くところなのだ。
姉妹はアニーに化石の様々なことを教えてくれたし、時には本も貸してくれた。どれもすべて、アニーにとってはありがたいことだ。
「アニー!」
声がして、振り向いた。シリルだった。足早にアニーのほうに近づいて来る。シリルは一人ではなかった。20歳前後の若い女性と一緒にいた。よい身なりをした、若いレディだ。ひょっとしてこれがシリルのお姉さんなのかしら。
シリルは時折海岸に姿を現し、アニーの化石採集に同行した。そのため、シリルに会うのは今日が2度目というわけではないが、姉にはまだ会ったことがない。
女性もアニーに近づいて来る。すぐそばまで来たときに、シリルが紹介した。
「僕の姉さんだよ」
やっぱりそうだった。アニーはシリルの姉を見た。すらりとしたきれいな人だわ。濃い金褐色の髪に青い目。とても美しい――そうね、シリルに似てる。
それってシリルも美しいってことだから、認めるのはなんだかしゃくだけど。
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昏い海のドラゴンたち 原ねずみ @nezumihara
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