【10分小説】『いい人止まり』
@natsuzaka0810
【10分小説】『いい人止まり』
2021年9月。コロナ禍の影響が続く中で、オリンピックは開催された。しかし、僕には関係ない話だった。スポーツの世界ではコロナも特別扱いらしいけど、僕の世界ではそうはいかない。
大学3年の夏。就職活動が本格化し、インターンシップの波が押し寄せてくる。いい会社に入るには、今から動かないといけない。だけど、オンラインばかりの作業には正直うんざりしていた。部屋に閉じこもる日々は、息が詰まる。
そんなある日、高校時代の『親友』から突然連絡が来た。彼は相変わらず自由奔放な奴だ。大学進学を目指していたのに、いつの間にか「ドラマーになる」と言い出して、その後は自堕落な生活を送っているらしい。僕とは正反対の生き方だけど、だからこそ面白く感じる。
その『親友』が言うには、オンラインで欧州サッカーの試合を一緒に見ようという話だった。ちょうど暇だったし、いい気分転換になるかもしれない。明日の朝一にはインターンシップが控えているけど、0時までに寝れば問題ない。僕はその誘いを快諾し、ズームで彼と繋がった。
画面に映った『親友』は、相変わらずだらしない姿だった。高校時代から全然変わっていない。だけど、画面越しに違う気配を感じた。どこからか、可愛らしい笑い声が聞こえてくる。
「そうか、これが『親友の彼女』か」と僕は気づいた。数年前から付き合っていることは知っていたけど、特に興味はなかった。ただ、その声が妙に魅力的に感じられたのは事実だ。『親友』は昔からモテる。きっと素敵な彼女なんだろう。そんなことを考えながら、僕たちはサッカー観戦を始めた。
とっくに試合は終わっていた。画面の向こうで、『親友』はもう興味を失ったようにゲームを始めている。それなのに、僕はなぜズームを切らないのだろう。
いつの間にか、『親友の彼女』と二人で話していた。話題は大したことではない。趣味や日常の些細な出来事。でも、不思議と彼女の話す言葉が耳に心地よく感じられる。その表現力や話し方は、どこか引き込まれるものがあった。いや、違う。僕が彼女を魅力的に感じていたからこそ、そう思っただけなのかもしれない。
もっと話を聞いていたい。だが、彼女が『親友の彼女』であることを僕は知っている。罪悪感が心の隅をチクリと刺す。でも、画面越しだからと自分に言い訳をして、その感覚をかき消そうとする。
気がつけば、時計の針は0時を回っていた。魔法のような時間が、いつの間にか終わりを告げていた。
10月の初旬。それから、『親友』とも彼の彼女とも特に連絡を取ることはなかった。僕自身、そんなことを気にする余裕もなく、就活に追われていたからだ。
コロナの影響だろうか。想像以上に厳しい戦いが続く。エントリーシートは努力を重ねて提出しても、まるで紙くずのようにあっさりと弾かれる。何社の人事を恨んだだろうか。今年中に内定を取りたいと思っていたけれど、このペースで本当に間に合うのだろうか。そんな不安が頭を離れない日々だった。
そんな悶々とした思いを抱えたまま過ごしていると、また『親友』から連絡が来た。彼らしい奇想天外な提案だった。
「お前ん家、遊びに行ってもいいか?」
僕は神奈川県の小田原に住んでいて、『親友』は東京にいる。シンプルに、温泉や観光を楽しみたいというだけらしい。僕も息抜きが欲しかったから、その誘いを快く受けた。
しかし、その瞬間、またいけない僕が顔を出した。
「彼女も一緒に来れば?」
そう言った自分の声が、少し震えていた気がした。
10月最後の金曜日。二人がやってきた。
久しぶりに会う『親友』の顔を見たとき、素直に嬉しいと思った。だけど、それ以上に、彼の隣に立つ人に目を奪われた。
長身でスレンダーな体型。さらりと伸びた髪に、ぱっちりとした大きな目。薄化粧なのに、その美しさは際立っていた。思わず息を呑む。こんなに綺麗な人だったのか。僕の心はその瞬間、完全に奪われてしまった。
でも、すぐに我に返る。そうだ。彼女は『親友の彼女』だ。僕には、越えてはいけない一線がある。
気持ちを立て直し、ホストファミリーとしての役割に徹することにした。以前、ホテル施設でアルバイトしていた経験があるおかげか、こういう「おもてなし」は得意だったし、田舎の広い下宿もその手助けをしてくれた。僕の準備したものに、『親友』も彼女も喜んでくれた。特に、彼女の反応は印象的だった。
彼女が好きそうな入浴剤を用意していたのだ。夏の日のオンライン会話で、それを好きだと言っていたのを覚えていたからだ。
「えっ、これ……覚えてたの?」
彼女は驚きながらも、目を輝かせて笑っていた。その笑顔は、夏の日に聞いた声以上に、僕の心を打った。
11月中旬。『親友の彼女』からラインが届いた。
あの日、何となく打ち解けた流れでラインを交換していた。彼女は「こんな素敵な異性の友達ができたのは初めて」と喜んでいたけれど、僕は浮かれそうになる自分を抑え、良き「彼氏の友人A」に徹することにした。だから、やりとりはどこか軽いものだった。日常の何気ないことを話す、気を張らないダラッとしたやりとりが続いていた。
そんなある日、突然彼女が言った。
「紹介したい人がいるの。」
その言葉に、一瞬戸惑った。誰を? どうして僕に?
紹介されたのは『彼女の親友』だった。最近彼氏と別れたばかりで、新しい出会いを探しているらしい。『親友の彼女』曰く、僕のおもてなしに感銘を受けたのだという。僕を「いい人」と思ってくれたらしい。
正直、胸の奥が少しだけ締めつけられた。僕の中で芽生えた淡い感情は、そこで終わったのだと悟ったからだ。しかし、その気遣いは素直に嬉しかった。彼女が僕のことを「誰かに紹介したいと思える人」と見てくれたのだから。
僕は少し複雑な思いを抱えつつも、その紹介をありがたく受け入れることにした。僕の初恋はここで幕を下ろした。
11月下旬。『彼女の親友』も美人だった。そして、性格も驚くほど良かった。話していると気が合うし、会話のテンポも自然と合う。そんな心地よさがあった。だから、会うたびに少しずつ親しくなり、その後も何度か一緒に遊んだ。
そして迎えたクリスマスの夜。イルミネーションがきらめく街を歩いた帰り道、彼女がふいに立ち止まった。少しだけ申し訳なさそうな表情で、言葉を選ぶように口を開いた。
「ごめん……。私たち、友達のままのほうがいいかもしれない」
その言葉は、冷たい冬の風のように、静かに僕の胸に刺さった。
また選ばれなかったのだと思った。でも、目の前の『彼女の親友』は、どこか晴れやかな表情を浮かべていた。
「でもね、こんなに気の合う異性の友達ができたの、すごく嬉しいの」
その笑顔に、僕は何も言えなかった。これが正しい関係なのだろう。僕の淡い期待はまたしても届かなかったけれど、これでいいのだと思うことにした。
家に帰ると、深い疲れを感じてそのままベッドに横になった。クリスマスの夜は、ただ静かに過ぎていった。
2022年5月。年を跨ぎ、ようやく就職活動に終止符が打たれた。有名企業からの内定通知が届いたのだ。正直、自分がそんな会社に内定をもらえるなんて思ってもいなかった。エントリーシートに何度も跳ね返され、面接で落ち込んだ日々を思い返すと、喜びと安堵が入り混じり、自然と笑みがこぼれた。努力が報われた、そんな気持ちだった。
プライベートでも、小さな幸せが訪れた。
結果的に、『親友の彼女』とも『彼女の親友』とも良い友達関係を築くことができ、3人で遊びに行く予定ができた。もちろん、『親友』にも声をかけたのだが、彼は『彼女の親友』と面識が無かったため、断った。つまり、いつもどこか「脇役」だと思っていた僕が、今回は選ばれたのだ。誰かに「選ばれる」というのは、こんなにも嬉しいものなのか。それを初めて知った瞬間だった。
当日。約束の時間が過ぎても、『親友の彼女』と『彼女の親友』はやってこない。少し遅れているのかなと思いながら、スマホを何度も確認する。それでも連絡はない。時計の針だけが進む中、ふとラインを開いた瞬間、通知音が鳴った。『親友の彼女』からのメッセージだった。
「ごめん!寝間違えちゃって……そのせいで首が痛くて、今『彼女の親友』と病院にいるの」
短い文章からでも、彼女の焦りと申し訳なさが伝わってきた。僕は心配しつつも、一気に湧き上がる落胆を抑え込むのに必死だった。返信画面を見つめながら、「大丈夫?」という言葉を打つまで、なぜか時間がかかった。
「大変だったね。無理しないでね。いつかまた行こう。」
そう返信しながら、心の奥で浮かれていた自分を呪った。「選ばれる」という経験に舞い上がった自分を、情けなく思った。
純粋に不安もあった。『親友の彼女』が病院に運ばれるほどの状態だったのだから、それが心配でないはずがない。でも、それ以上に胸を締めつけたのは、「やっぱり僕は、また選ばれなかったんだ」という思いだった。せっかく訪れたかもしれない新しい扉が、また音を立てて閉ざされるような感覚。浮かれていた自分が恥ずかしくて仕方なかった。
その夜、帰りの電車で窓の外を眺めながら、僕はただ静かに目を閉じた。「いつかまた行こう」という言葉が、空虚に響いていた。
7月。突然の連絡だった。
再び3人で遊ぶ予定を立てようかと迷っていた矢先、『親友』からラインが届いた。
「あいつと別れた」
その短い一文が、何かを終わらせる引き金のように感じられた。
『親友の彼女』。いや、もう『彼女』ではないその人と、僕をつないでいた唯一の手段、それが今まさに途絶えたのだ。僕が「彼氏の親友」という立場に頼って築いていた関係は、とうとう終わりを迎えた。
内心では分かっていた。彼氏という肩書が消えれば、僕と彼女の間には何の接点もなくなる。それがなくなる日が来ることを、ずっと恐れていた。それで焦ってもいた。遊べるうちに遊んでおかないといけないと。そう考えながらも、何も行動できない自分がいた。
「優柔不断な僕を、神は許さなかったのだろう」
そう思ったとき、どこか諦めにも似た感情が心に広がった。だから僕は、神の命令に従うことにした。いや、ただ逃げただけなのかもしれない。
それでも僕は、もう連絡をしないと決めた。それが正しい選択だと信じるために。
ラインの画面を閉じたあと、部屋の静けさがいやに耳に響いた。
10月。たまたまテレビを見ていると、ある町の特集が放送されていた。それは、あの頃の『彼女』と『彼女の親友』が住んでいる地域だった。
映像に映る風景を見ながら、甘美な思い出が頭をよぎる。それと同時に、僕の心の奥に何かが弾けて、衝動的にラインを送ってしまった。自分でも分かっていた。やってはいけないことだと、心の中で警告していたのに、それでも指が勝手に動いた。
「きもい」と思われるかもしれない。あれだけ時間が経って、今さら何を思われるだろう。そう考えながらも、もう後戻りはできなかった。
しかし、予想に反して、二人は昔のように、まるで何事もなかったかのように、自然に接してくれた。それはおそらく、僕が彼女たちにとっての「友達」であり、信頼されているからだろう。
ただ、冷静になったとき、気づく。彼女たちの人生はすでに僕の知らない方向に進んでいた。二人とも、新しい彼氏がいた。
僕にできることは、ただ一つ。それは、もう過去の自分を引きずらず、二人にとって「友人」として振る舞うこと。大人になりきったふりをして、彼女たちの信頼を裏切らないように振る舞うこと。それしかなかった。
「おめでとう! 良かったじゃん!」と二人に送り、胸の奥で何かが切なくなりながらも、僕はその役割を果たした。
12月。突然、大学のゼミの人から告白された。正直、その瞬間、驚きはしたものの、最初は全く考えていなかった。彼女に対して特別な感情があったわけでもないし、正直なところ、眼中にもなかった。
しかし、普通に嬉しかった。そして、深く考えず、彼女と付き合うことにした。
2023年1月。内定先から、配属先の発表があった。僕は青森だった。
最初、驚きが先に立った。そして、どうして青森なのかという思いが頭をよぎった。全国転勤があることは分かっていたけれど、まさか最初からこんな遠くの地に配属されるとは思ってもいなかった。でも、もっと大きな問題があった。それは、このことを『僕の彼女』に伝えられなかったことだ。
6月、僕は『僕の彼女』と別れた。やはり、遠距離恋愛は厳しかった。
それ以上に、彼女の言葉が胸に突き刺さった。「青森配属ならそもそも付き合っていなかった」と。彼女は、僕の内定先の名前や将来性を考え、付き合い始めたようだった。つまり、彼女が選んだのは、僕自身ではなく、僕の「未来」だった。
その事実が、どうしても受け入れられなかった。
僕は自分の人生が、やっぱりこういうものなのかもしれないと感じた。そして、心の中で何かが冷めていくのを感じながら、彼女とのラインを即座に削除した。
8月、仕事にだいぶ慣れてきた、そんなある日。僕のラインに、予想外の人物から通知が届いた。それは、『彼女の親友』からだった。
どうやら、彼氏と別れたらしく、一人暮らしを始めるために家を探しているとのことだった。確か、彼女は実家暮らしだったはず。きっと、一人暮らしへの憧れや気分転換も兼ねているのだろう。
僕は真面目で責任感もある。何より一人暮らしを長くしてきたし、亡くなった父親が建築家だったため、家に関する知識も少しはある。そんなわけで、僕は『彼女の親友』の家探しを手伝うことにした。
画面越しに、オンラインで繋がりながら物件を探し、話をする時間が本当に楽しかった。久しぶりに緊張感から開放された瞬間だった。この北の地で、知り合いも少なく、孤独を感じていたからこそ、その時間が余計に身に染みた。
11月。仕事は大変だったが、何とか生活はできていた。いや、頭ではそう思いつつも、心の中ではだいぶ疲れがたまっていたかもしれない。期待された分、いきなり大きなお客を担当することになった。だが、12月のノルマ達成が厳しく、毎日ハラハラしながら飛び回り、頭を下げる日々が続いていた。いくら有名企業に勤めていても、神様のような存在であるお客様の前では、僕たちはただのゴミくずに過ぎない。特に若手は。
そんな日々の中で、唯一の息抜きはネットの世界だった。友人たちのキラキラしたインスタグラムのストーリーを見て、素直に「いいな」と感じていた。その時、ある投稿が目に留まった。
「これ、青森だ」
プロフィールを確認すると、『彼女』の名前だった。
その瞬間、居ても立ってもいられず、すぐに連絡を送った。
「青森に来ているの?もし来ているのなら、飯でもどう?」
もちろん、友人としての気軽な提案だった。
久しぶりの連絡に、彼女も喜んでくれている様子だった。しかし、返事は一言だけだった。
「ごめん、彼氏に会いに来ているから、無理かな……」
その言葉を聞いた僕は、またいつものように大人の対応をするしかなかった。
2024年4月。僕は精神的に疲れていたのだろう。それに加えて、幸運にも適職に出会うことができた。転職を決め、東京に戻ってきた。青森も好きだったが、やはり元々寒さに弱い身体には厳しかった。時間が経つうちに、東京で少しずつ回復していけばいいと思った。そして、自分に合った仕事で存分に働けばいい。毎日を丁寧に過ごしながら、心を取り戻していった。
そして、それは突然だった。あの『彼女』から連絡が来た。いつもなら、僕から連絡をしない限りは音沙汰がないのに。少し驚きながらも、電話に出ると、彼女は泣いていた。
詳しく話を聞くと、『彼女』と『彼女の親友』の写真がディープフェイクで使われていたという。二人はそのことに困り、しかも誰にも相談できずにいた。警察に通報しても、彼らは基本的に何もしてくれない。その時、二人とも彼氏がいなかったこともあって、頼れる相手は僕だけだったようだ。
僕は電話越しに『彼女』を励ましつつ、胸の中で少し嬉しさを感じていた。頼られたことが。僕は自分が最悪な性格だという自覚がある。二人が困って僕に頼ってきたのに、それをチャンスだと思ってしまった自分を、どうしようもなくクソだと感じた。それでも、どうしても彼女たちの力になりたい一心で、必死に動き始めた。
結局、犯人の特定には至らなかった。だが、弁護士と相談し、いくつかの策を講じることができた。結果的に被害は最小限に抑えることができたが、二人の精神的なダメージは大きかった。それを見て、少しでも元気を取り戻してほしいと思い、食事に誘ったり、プレゼントを贈ったりと、できる限りのことをした。そして、気がつくと、貯金を崩し始めていた。
7月初旬、突然、『彼女の親友』から絶交を言われた。
あの事件の後、二人は少しずつ回復していった。そして『彼女の親友』は、ずっと住みたがっていた物件に空きが出たと、嬉しそうに電話してきた。僕もその物件を確認したが、家賃も含めてかなり好条件だと思った。ただし、一人暮らしの物件の内見が不安だと言われ、ついてきてほしいと頼まれた。亡き母が僕の初めての一人暮らしの際に付き添ってくれたことを思い出し、僕も『彼女の親友』の不安は理解できた。正直、『彼女の親友』の親や『彼女の親友の新しい彼氏』が行くべきだと思ったが、親は忙しい。また、『彼女の親友の新しい彼氏』はあまり真剣に部屋探しに協力していないようだった。「一緒に住むなら俺と同棲しろ」という立場で、反対していたらしい。結果的に、頼れるのは僕だけだった。
結局、内見には行けなかった。前日に言われても、すぐに対応するのは無理だったからだ。しかし、『彼女の親友』の父親を説得し、無事に父親と一緒に内見ができたようだった。そして、その日の夜、電話で内見の結果や契約手続きの話をしながら、『彼女の親友』と盛り上がった。『彼女の親友』は初めての一人暮らしに本当にワクワクしていて、インテリアの話や電化製品の写真を見せてくれた。僕はインテリアに詳しくなかったけれど、それでも嬉しかった。
そして翌朝、「もうラインをしないでください」とだけ書かれたメッセージが届いた。どうやら、昨日の電話が思った以上に盛り上がり、3時間も続いてしまったらしい。それで、『彼女の親友の新しい彼氏』からのラインにも返事できなかったようだ。それを不信に思った彼が問い詰め、怒ったのだ。正直、僕はそのリスクを理解していた。『彼女の親友の新しい彼氏』の気持ちも分かる。しかし、困っている人が目の前にいると、どうしても助けたくなってしまう自分がいた。
だから、僕は反省した。このようなことが二度と起きてはいけないと強く思った。そして、その後、『彼女の親友』から謝罪のラインが届いた。僕は大人の対応をしつつ、再度決意を固め、『彼女の親友』にも『彼女』にも連絡をしないことを伝えた。『彼女』はモテるし、いつか僕も同じような苦い思いをさせてしまうだろう。そう思ったから。
7月の終わり、僕は新しい恋に向けて出会いを求めていた。意外にも、あるイベントで知り合った『年上の女性』と仲良くなり、そのままデートの約束をした。彼女は僕より6歳年上だったが、美人で価値観も似ていて、初めて会った時から自然と話が弾んだ。久しぶりに感じたドキドキに、心が踊った。
そんな矢先、また急に連絡が来た。
『彼女』からだった。内容は、僕がなぜ彼女との距離を取るのかということに関するもので、どうやら『彼女の親友』から伝わったのだろう。正直、僕は驚きとともに、素直に思っていたことを伝えた。自分でも情けない男だと思うが、何よりも『彼女』を傷つけたくなかった。おそらく、それが僕の理由だった。しかし、今思うと、もしかしたらただ「構ってほしかった」という感情が強かったのかもしれない。
すると、『彼女』は、優しく言ってくれた。「君のことを、私はこれからも関係を持っていきたいと思える人だよ」と。それは、予想もしなかった言葉だった。そして、その言葉に胸が温かくなり、自分の子供っぽさを感じて嫌気がさした。どうしてこんなにも未熟な自分なんだろうと思ったが、それでも『彼女』の言葉に感謝し、しっかり謝罪することにした。
そのお詫びとして、何となくご飯に行こうということになった。僕は正直、少し戸惑っていた。しかし、同時に嬉しさも感じていた。自分が過去の関係に対して、どれだけ未練を持っていたのかが分かった瞬間だった。
8月。焼肉を食べた。美味しかった。楽しかった。
9月。お祭りに行った。楽しかった。
9月2回目。彼女と共通の趣味がカメラと知る。嬉しくなる。
10月。カメラで風景を撮影しに行った。一眼レフをプレゼントした。
10月2回目。秋祭りに行った。そこでハンドメイドアクセサリーを沢山買ってあげた。
11月。ライブに行った。奢ってあげた。楽しかった。
11月2回目。服を買いに三越に行った。喜んでいた。そして、告白することを決めた。
12月24日。その日は寒い日だった。僕は完璧なプランを立て、準備万端で『彼女』と一緒に過ごした。彼女が欲しいと言っていたアクセサリーも買い、思いを込めて渡す準備を整えた。そして、最後に告白をした。
『彼女』は気まずそうに、悩んだ上で、あっさりと振った。驚きはしなかった。どこかで予感はしていたけれど、それでも心は痛んだ。
僕は今まで、彼女に信頼されてきたと思っていた。だが、それは僕が彼女を友達として大切に思っていることが、彼女にも伝わっていたからだ。そして、僕が告白した時、下心を持っていると思われ、あっさりとその信頼は消えた。僕は、自覚していたかもしれない。だが、あえて嘘をついていたのだ。僕には下心がない、だから信じてほしいと伝え続けてきた。そしてそれは、3年の月日となった。嘘は長いほど、罪が重くなる。つまり『彼女』にとって、僕は大罪を犯した。
『彼女』は「ごめん」と伝え、消え去った。
12月25日。最終的に僕には何も残らなかった。ふと思い出すのは、『親友』とも最近連絡を取っていないこと。イベントで知り合った『年上の女性』とも数回デートしたが、それ以来、もう連絡をしていない。振ってきた『僕の元彼女』は、何をしているのだろうか。そして、あの時助けてあげた『彼女の親友』は、今、何をしているのだろうか。僕でなく、彼氏を取って、今は幸せに過ごしているのだろう。
加えて、『彼女』はもう知らない。あの謝罪のラインには、既読が付かなかった。
疲れたな。心の中でそんなことを思った。転職はしたが、前職から逃げたようで、心が苦しかった。特に苦しくても、助けてくれた会社の人たちを裏切っていた自分に罪悪感があった。何もかもが手に入らなかった気がする。どこかで何かを間違えてしまったのかもしれない。
夜が深まりと、風が強くなってきた。青森の寒さには慣れたと思っていたけど、今のこの寒さはきついなと感じる。
人には、それぞれ決まった道があるのだろう。僕の役割は、きっとこうだったんだろう。でも、それに腹も立たないし、悔しさも感じない。だって、最初からこういうことだったのだと思う。無力とは、こういうことなのだ。
風が強くなり、潮風が肌を刺す。冷たい風に身を任せながら、ふと思う。今まで必死に何かを掴みたかったけれど、結局は何も掴めなかった。そんなことを繰り返し考えているうちに、冷たさも感じなくなった。
【ニュース速報】
12月26日早朝、東京湾で発見された遺体は自殺と見られる。第一発見者は地元の漁師。発見された遺体は菊池泰明(24歳)と確認された。警察は自殺の可能性が高いと見ている。菊池泰明は、5年前に世田谷で起きた飲酒運転の事故に巻き込まれ、両親を失っていた。その後、一人暮らしをしながら仕事に打ち込んでいたが、最近は精神的な疲れを感じていたという。関係者によれば、菊池は「クリスマスプレゼントを買いたい」と無理をして残業を重ねていたが、経済的に苦しい様子だったという。遺体発見前、菊池は所持金がほとんどなく、周囲には精神的なストレスを抱えていたことが伝えられている。警察は自殺の背景について調査を進めており、菊池の身近な人々にも詳しい事情を聴取している。
【10分小説】『いい人止まり』 @natsuzaka0810
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます