サンタクロースは来なかった

尾八原ジュージ

サンタクロースは来なかった

 それはぼくが七歳の冬、冬休みが始まって二日目の、午前十一時くらいのことだった。自分の部屋で宿題をしていると、ベルの音が聞こえてきた。

 ぼくは部屋を出て、音の出所を探した。両親の寝室を覗き、階段を降り、リビングを通って、亡くなった祖父が使っていた部屋の襖を開けた。すると、ベルの音が一気に大きくなった。

 祖父の部屋の、古い黒電話が鳴っていたのだ。

 へぇーっ、これが鳴るなんて何年ぶりだろう。そんなことを考えながら、受話器を取った。おそらく知らない人からであろう電話に出るなんて、引っ込み思案のぼくにしては珍しいことだったが、そのときはなぜか「早く出なければ」と思ったのだ。

 受話器の向こうからは、聞き覚えのない、それなのにどこか懐かしいような男の声が聞こえてきた。

『明日の午前一時にまいりますので、窓を開けておいてください』

 と、それだけ言って、切れた。

 明日の午前一時といえば、十二月二十五日の深夜である。

 七歳のぼくは思った。二十四日から二十五日の間の夜に来るということは、今電話をかけてきたのはサンタクロースなのではないか? と。なにしろ当時のぼくは、サンタクロースの存在を大真面目に信じていたのだ。

 興奮で顔が熱くなった。サンタさんから電話がきた! これは一大事だ。

 ぼくは祖父の部屋を走り出て、キッチンに向かった。そこでは母が、昼食の支度をしているはずだった。

 思っていたとおり、母はエプロンをつけ、シンクでじゃがいもを洗っていた。そこにぼくがどたどたと駆け込んできたので、母は驚いたような顔をして振り返った。

「おかあさん! サンタさんから電話きた!」

 ぼくは怪訝な顔をする母に、たった今起きたことを話した。(おかあさんもさぞ喜ぶだろう)と思ったのだが、その予想を裏切って、母は大きな毛虫を見たときのような表情をした。

「やだ、怖い話? やめてよ。おじいちゃんの部屋の黒電話なんか、もう電話線つながってないのよ。それにお母さんはずっとキッチンにいたけど、ベルの音なんか聞こえなかったよ」

 と言われた。

 それを聞いたぼくは、なお喜んだ。だって、鳴るはずのない電話が鳴って、しかもぼくにだけそれが聞こえたのだ。これは尋常なことではない。きっと魔法だ。魔法が使えるということは、相手はやっぱり本物のサンタクロースだったに違いない!

 そんなふうに考えて、それはもう大喜びで、小躍りしながらキッチンを飛び出した。

 もちろんその日の夜、ぼくは自分の部屋の窓を開けっぱなしにして、眠りについたのだ。


 それでどうなったかっていうと。

 まぁ、やっぱりサンタクロースは来なかった。

 でも、やっぱりは入ってきたのだ。

 そして、ぼくを窓から追い出すと、代わりにベッドに入ってしまった。


 翌朝、こっそり家の中を覗くと、そいつが当たり前のような顔をして、父と母と食卓を囲んでいた。それから、ぼくがサンタクロースにお願いしていたティラノサウルスのおもちゃを持ってきて、リビングで楽しそうに遊び始めた。

 それを見ているうちに、(ああ、そういうことになったのだ)とぼくは悟った。

 悟ったので、パジャマと裸足のまま、黙って家を離れた。

 それからしばらくは、近所の公園の滑り台の下や、資材置き場の物陰で夜を明かした。

 お腹が空いたときは、公園の水道で水を飲んだ。それから、夜になると物陰から這い出してくる黒くてもやもやしたものを、捕まえて食べるようにもなった。

 そのうち学校とか、知らない人の家に入り込んでいても、めったに気づかれないということを学んだ。普通に道を歩くより、家々の屋根の上をぴょんぴょんと跳んだほうが楽しいということも知った。

 色々やっているうちに、気づいたら三十年が経っていた。


 ついこの間、ひさしぶりに実家のある町を訪ねた。

 実家はまだそこにあった。古くはなったけれど、ほとんど昔のままの姿だった。

 ガレージに車が一台入ってきた。ドアが開くと、大人になったそいつと、かわいらしい女の人と、小さな男の子が降りてきた。

 男の子は、むかしのぼくによく似ていた。

 楽しそうな三人を見ていたら、ふと、自分の家とか、家族とかいうものが懐かしくなった。

 懐かしくて、恋しくて、たまらなくなった。


 それでぼくは今、あの男の子が七歳になるのを待っているのだ。

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サンタクロースは来なかった 尾八原ジュージ @zi-yon

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