第4話 別れ

 志穂……深瀬との一悶着から少し経った。

 深瀬はあれから何事もなかったように学校に来て、いつも通りにクラスメイト達との時間を楽しそうに過ごしている。

 しかし、俺には彼女が相当無理をして笑顔を作り、普段通りに立ち振る舞っている事がわかる。


「深瀬さん。残念だったね……バスケ部最後の大会」

「うん。私が足を引っ張って……負けちゃって……」


 数日前に、深瀬が所属する女子バスケ部最後の大会が行われた。

 勿論、俺は応援に行っていない。

 そのバスケ部は優勝候補だったが深瀬の調子が悪かったらしく、まさかの一回戦負けで幕を閉じた。

 俺との関係が拗れたことで精神的に不安定になり、プレーに影響したのかもしれない。

 まあ、仮にそうであったとしても俺の知った事ではない。

 

「おーい浅野。飯食おうぜ」

「あ?……ああ」


 昼休みになると、遠藤が弁当を持って俺に声を掛けてくることが恒例となっていた。

 俺は鞄から弁当を取り出して、遠藤と共に教室を出る。


「あいつら、いつもどこで弁当食ってるんだろうな」

「浅野と遠藤って仲良いよな?不良同士、付き合ってるんじゃね?」


 俺は不良ではないし、遠藤と付き合っているなんて事実もない。

 そんなふうに突っ込みたくなるクラスメイトの声が最近はよく聞こえてくる。


「腹減った~。今日は弁当に鶏の唐揚げ入れたんだ。楽しみだなぁ」


 俺の隣で廊下を歩く遠藤にも聞こえているはずだが、こいつに気にした素振りはない。

 俺はため息をつきながら、遠藤と共に屋上に向かった。


 ▽▼▽▼


「遠藤、教室であんまり話しかけてくるなよ」

「はあ?なんでだよ?」


 10月に入ってようやく厳しい夏の暑さも収まり、吹き抜ける風が時折冷たく感じるようになってきた。屋上にいると、そんな風をダイレクトで肌に感じる。


「俺たちは悪い意味で目立つ存在なんだから……色々言われてるの知ってるだろう?」

「今更何を言ってんだよ?よく知らない奴らの言葉なんか気にするなよ」

「いや、おまえも困るだろう?俺と付き合ってるとか、噂されてたら……」

「え?別に困らないけど」


 遠藤は豪快に弁当をかきこみながら、平然とそう答える。

 こいつの鋼のメンタルだけは、見習いたいところだ。


「浅野。あれから深瀬は、特に絡んでこないのか?」

「ああ。一切話しかけてこない」


 深瀬と決別したことについては何の後悔や未練もないのだが、その結果一つ困ったことができてしまった。


「はぁー」

「なんだよ。また、ため息なんかつきやがって。何か悩みか?」

「いや、その……実は、勉強のモチベーションが上がらなくて、な」


 深瀬と同じ泉道高校に入る。その大きな目標を失った今の俺に勉強をする気力は無かった。


「モチベーションなんて、いくらでもあるだろう?いい高校、大学に入って、大企業に就職して金持ちになる……それでいいだろうが」

「簡単に言うなよ……そんな道を歩める人間は少数派だろう?」

「そうか?泉道高校に行く気はもうないんだろう?」

「そうだな。それはない」


 深瀬とは別の高校に行く。物理的に距離を取る良い機会だ。


「もともと平凡な俺が必死に勉強するのは正直しんどかったし……地元の平均的な高校でも受けるか」

「浅野……海星を受けろよ」

「はあ?嫌だけど」


 海星は遠藤が受ける予定と言っていた高校だ。

 泉道と同レベルであるそんなところを志望校にしたら、また勉強漬けの毎日になる。

 ただでさえ、モチベーションが低下しているのに……。


「今の浅野なら合格ラインまで成績を押し上げれる。わからないところは教えてやるから頑張ってみろ」

「いや……でもなぁ……勉強もしんどいし……」

「つべこべ言うな!可能性があるのに自分からレベルを落とすな!いいから受けろ!」


 突然、強い口調でそう発言する遠藤の迫力が凄い。


「わ、わかったよ。受ければいいんだろう?もしも受からなかったら恨むぞ」


 少し皮肉を込めて言葉を返したのだが、遠藤はどこか嬉しそうに微笑んでいる。

 もしも合格できれば、今みたいに遠藤と何でもない時間を過ごす日々が高校でも続くかもしれない。

 それも悪くないと、俺は思った。


 ▽▼▽▼


「春樹。ちょっといいか?」


 自宅で勉強をしていると、珍しく父さんが話しかけてきた。

 俺と父さんは、普段必要最低限の話しかしない。

 母さんが生きていた時は……そうではなかったけど……。

 

「ん?なんだよ、父さん」

「来年度の話なんだが……」


 言いにくい事なのか、父さんは少し口ごもっている。


「なんだよ?早く言ってくれよ」

「あ、ああ……実は来年度、転勤になりそうでな」

「転勤?どこに?」

「えっと……アメリカ」

「はあ……?」


 父さんの務めている会社はアメリカにも支社があるらしく、そこに異動の話が出ているらしい。

 家族がいる社員は、なるべく人選から外される配慮があったらしいが今の父さんは男やもめ。


「それで、引き受けるのか?」

「ああ。数年前から、その仕事の依頼が父さんにあったんだけど……」


 なるほど。子供の俺がいるから断り続けていたってことか。


「それで俺はどうすればいい?まさか、一緒についてこい……なんて言わないよな?」

「そうだな。春樹、高校はどこを受けるんだ?」

「一応……海星の予定……」


 成績自体は伸びているが、現時点の俺の学力で海星の名前を上げることが恥ずかしい。


「そうか。簡単ではないだろうが頑張れ」

「俺も……父さんや母さんみたいに賢かったらな」


 父さんと母さんは高学歴の持ち主だ。

 大手企業に勤めている父さんは、とても優秀なのだろう。


「努力した結果ダメだったら仕方のないことじゃないか」

「俺が高校受験失敗する前提で話してないか?」


 そう言うと父さんは笑って言葉を返してくる。


「大丈夫だ。春樹は母さんの綺麗な髪色も、父さんの悪い目つきもしっかり受け継いでいるからな」


 できればその優秀な頭脳を継承したかったよ……と、内心では思った。


 ▽▼▽▼


 季節は冬になり、二学期の期末テストを乗り越えて、短い冬休みを迎えた。

 年が明けて、日に日に時間が過ぎていくごとに受験に対する緊張感が増していく。


「あ~。炬燵こたつ、あったけぇ」

「おまえ、もう自分の家みたいに寛いでるな」


 休みの日には遠藤が俺の家にやってきて共に勉強に勤しんでいる。

 いや、遠藤の場合はこうしてだらけている時間の方が長いような気がする。

 

「コーヒーか紅茶どっちがいい?」

「じゃあ、ココアで」

「選択肢に無い物を要求するな」


 勉強ばかりでは息が詰まるので、しばしの休憩タイム。

 温かいインスタントコーヒーを入れて、遠藤のもとへ運ぶ。

 それを一口飲んで、苦いと顔をしかめている彼女は言葉を続けた。


「浅野、中学卒業したら一人暮らしか。羨ましい」

「父さん、『海星高校に徒歩で通えるマンションの部屋を用意しておく』、なんて言いやがってさ。俺が受かる前提で話進めてるんだよ」

「大丈夫だ。浅野は受かるよ。私が保証してやる」


 モチベーションが低下していたが遠藤と一緒に勉強するのもそれなりに楽しくて、昨年の自分の成績と比べても大幅に成績が向上した。

 それでも……俺に自信はない。


「なんだよ、浮かない顔すんなよ。私の言葉が信じられないのかよ?」

「いや、そういうわけではないが……」


 信じられないのは遠藤の言葉ではなくて……俺自身なんだろうな。


「深瀬のせいだな……浅野のネガティブな要素は」

「はあ?なんでそこで深瀬が出てくるんだよ?」

「小さい頃から優秀な深瀬が近くにいたんだろう?そんなあいつと自分を比べてきたから、ネガティブになるんだよ」


 確かにそうかもしれない……俺は心には、まだ深瀬の影がチラついているのだろうか……。


「俯くな!シャキッとしろ!浅野は受かる!絶対に!」


 俺の手を取って、遠藤は力強い言葉を掛けてくる。

 こいつは本当に心が強い人間だと感心する。


「ああ……そうだな。おまえが言うなら受かる気が……………!?」


 次の瞬間、俺の心臓は大きく跳ねた。

 驚いた俺は遠藤が握ってくれていた手を慌てて払い除けた。


「な、なんだよ。急に……どうした?」

「え……あ、別に……」


 ……わからない。まだ、心臓が高鳴っている。


「あ!もしかして、ドキドキしたんじゃないか?私に手を握られて」


 ドキドキ……?いや……どちらかと言えば、バクバク……か?


「そんなじゃない。おまえの大きな声に驚いただけだ」

「本当か?実は、私に恋してるんじゃねぇか?」


 ニヤニヤ笑いながらこちらを見つめてくる遠藤を尻目に、俺の体は鳥肌が立っていた。


「下らないこと言ってないで、勉強再開するぞ」


 恋?……違う。

 さっき感じたのは、強いて言うなら恐怖に近いような……そんな感情だった。


 ▽▼▽▼


「卒業おめでとう!18歳で成人となった現代では、より高校生は大人に近い存在だ。皆、これから大変だろうが元気に────」


 卒業式。

 担任教師が目頭を押さえながら俺たち卒業生に、はなむけの言葉を贈る。

 その言葉を聞きながら涙ぐむ生徒も見受けられる。


「今年、海星に受かった奴は浅野と遠藤だけらしいぞ。泉道は何人かいるみたいだけど」

「ああ、凄いよな。遠藤は知ってたけど浅野も頭良かったんだな」


 せっかく担任が心のこもった最後のメッセージを伝えているというのに、小声で会話をする生徒たちも中にはいる。


 時刻が正午の迎える前に解散となったとなったのだが、保護者やクラスメイト、部活の仲間と記念撮影や雑談をしている生徒が大半だ。


「えー!志穂、もう帰るの?」

「うん、ごめん。用事があって……」


 部活やクラスの中心にいる深瀬が、もう帰宅するらしく多くの同級生が寂しそうにしている。

 それだけ彼女が送ってきた三年間は、皆に慕われ尊敬に値されるものだったのだろう。

 別に悲観しているわけではないが、ぼっちの俺とは正反対なありさまである。


「よう、ぼっち。帰るのか?」

「おまえも、ぼっちだろうが。もう帰るよ」


 俺と遠藤は騒がしく賑わっている学校を惜しむことなく出て、帰路に就く。


「引っ越しの準備終わったのか?」

「ああ。今日から新居だ」


 今まで生活していた家は、父さんの妹夫婦が管理しながら住んでくれるそうだ。

 あの家からでも海星高校には電車で通えるのだが、俺が大学生や社会人になった時の予行練習になるとのことで、新たな環境での生活が始まる。


「じゃあ、あとでその新居に遊びに行くからな」


 そう言った遠藤は、手を振りながら元気よく帰っていった。

 俺も自宅へと戻り、着替えを済ませて必要最低限の荷物だけを持った。


 住み慣れた家に別れを告げるように見つめていると、幼い時から今に至るまでの様々な記憶を思い出す。

 その多くの記憶の中に深瀬がいることが、今となっては皮肉なものだ。


「春樹……」


 回顧する記憶の中にある、優しい声が聞こえた。


(志穂……)


 思わず、そう声が出そうになった。


 俺の前に現れた深瀬は真新しい制服に身を包んでいて、それが四月から通う泉道高校のものだとわかった。学校から一早く帰宅したのも、俺にこれを見せるためだったのか……。


「どうかな……?」


 よく似合ってるよ……そんな一言をいってやれば良いのだろうが、俺は口を開かなかった。


「ひ、引っ越すんだってね……」


 父さんが近隣の人たちに退去の挨拶をして回っていたので、当然深瀬もそのことを知っている。

 恐らく、俺が海星高校に通うことも……。


「あ、あの……連絡、先……」


 深瀬の震える手にはスマホが握られている。


(深瀬……スマホ買ってもらったんだ)


 俺の連絡先を知りたがっているようだが、生憎と俺に深瀬の連絡先は必要ない。


 生家と深瀬から距離を取るように、俺は歩を進めた。


「こ、高校でも……が、頑張ってね」


「おまえもな」


 一瞬だけ立ち止まり、そう言葉を返した俺は慣れ親しんだ地元を離れた。

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絶交した幼馴染と大学の合コンで再会した。 孤独な蛇 @kodokunahebi

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