第3話 絶縁

 今日は少し風が強い気候だ。

 もう9月で夏の終わりも近いが、まだまだ蒸し暑い。

 しかし、今の俺はそんな夏の暑さを感じることは無い。

 俺の手が……全身が、酷く冷たい。


「浅野、大丈夫か?おい!」

「あ?……ああ」


 俺は遠藤に連れられて学校を出た。

 今は、帰り道にある小さな公園のベンチで二人並んで座っている。


 さっきまで一時的なパニック状態であったが、今は脱している。

 落ち着いたというよりは、心が空っぽになったような……これが虚無感、か。


「悪い、浅野」

「なんで……遠藤が謝るんだよ……」


 そう、こいつは別に悪くない。

 悪いのは……志穂の本当の気持ちも知らずに浮かれていた……俺自身。


「いや、やっぱり……ごめん」


 それでも遠藤は俺に謝罪をしてくる。

 その理由は大方検討がつく。


「知ってたのか?志穂が……俺のことを、あんなふうに……」

「ああ。知ってた」


 ……そうか。

 だから、こいつは俺を志穂から遠ざけようとしてくれていたんだな。


「これでわかっただろう?あの女は、浅野とは相容れない」

「そんなことは……」


 なんて女々しいんだ……俺は。さっき、あんな場面を目の当たりにしたのに。

 まだ、志穂との関係に希望を持ちたいと思っている。


「いや……そうだな」


 もうやめよう。さっきの出来事が全てじゃないか。


「はぁー。なんか勉強も何もかも、どうでもよくなったなぁ」

「浅野、何か思ったより落ち着いてるな。さっきまで放心状態だったのに」


 俺は落ち着いているのか?

 精神的に参っていることは確かだが……。


「遠藤、前に言ってたよな?俺が志穂に依存してるんじゃないかって?」

「ああ。少なからずその傾向はあったと思うぞ」


 やっぱり、俺が一方的に志穂に執着していただけってことか……。


「どうする?深瀬のこと。私が一言文句いってやろうか?」


 遠藤がそんなことをする必要はない。

 ただでさえ俺たちみたいな日陰者は他者からの風当たりが強いのに。

 俺たちはカースト下位。志穂はカースト上位。

 揉め事になれば、俺たちに非難の目が向けられることは容易に想像できる。


「いや、志穂のことはもういい。……どうでもいい」


 『気持ち悪い!』……あの言葉はきつかった。

 優しい志穂の声で、あんな暴言聞きたくなかった。

 いや……もうやめよう。終わったんだ。


 終わらせるんだ……志穂への想いを……。


「あの……遠藤」

「なんだ?」

「そろそろ手を放してくれないか?」


 遠藤は学校を出る時から俺の手を力強く握ってくれていた。


「浅野の手、すげぇ冷たくなってるからな。温めてやってるんだよ」


 さっきまでは緊張のあまり手が冷たくて仕方なかったが、今は随分と回復して温かい。

 遠藤の温もりを……優しさを感じる。


「遠藤、ありが───」



「春樹!」



 俺の言葉を遮るように、どこからか大きな声がした。

 聞き慣れたその声で俺の名前を呼んだのが誰なのか、俺にはすぐにわかった。


「志穂……」


 肩で息をしながら、体操服姿の志穂が神妙な面持ちで俺の前までやって来た。

 俺の隣にいる遠藤を一瞬睨んでから、彼女はこちらを向き直る。


「は、春樹……その、さっきは」

「おい!今更何しに来たんだよ!?」


 志穂が何かを言おうとした矢先、遠藤がベンチから立ち上がり高圧的な態度で言葉を浴びせた。


「あなたには関係ない」


 志穂も負けじと強気な姿勢を見せて、一歩も引く様子はない……。


「春樹……さっきの会話、聞こえてたよね……ご、ごめん」

「何がごめんだよ!お前の言葉を浅野がどんな気持ちで聞いていたかわかってんのか!?」

「だから、あなたには関係ないって言ってるでしょ!」


 俺の中で様々な感情が交錯する。

 目の前で申し訳なさそうな顔をしている志穂の顔を見ていると、許してあげたい気持ちが込み上げてくる。

 だって俺たちは……仲の良い幼馴染のはずだから。


「は、春樹……あの会話は仕方なく周りに合わせてただけで……本当に、それだけで」

「深瀬、いつもあんな感じで浅野のこと悪く言ってるだろ?こっちは何度か偶然だけど聞いたことあるぞ。おまえが楽しそうに浅野の悪口言ってるのをよ!」

「それは……だから……周囲に、合わせていただけで……」


 突発的ではなく日常的に俺の悪口を言っていた……?

 しかも……楽しそうに……?


「浅野が傷つくから言わなかったけど……この際ハッキリ聞こうか。おまえ、まだ何か隠してる事あるだろう?」

「な、なに言ってるの?私が何を隠してるって……」


 志穂が隠し事?

 もう、さっきから情報量が多くて頭が整理できない。


「浅野。千田せんだって先輩……覚えているだろう?」

「え……あ、ああ。去年、俺が殴った奴だ」


 そう。俺が決定的に孤立する原因となった……あの喧嘩騒動。


「こいつは千田に媚を売ってたんだ」

「志穂が……あんな不良に、媚を……どうして?」

「浅野をめる為だよ」


 俺を嵌める……志穂が?

 耳を疑う言葉だ。


「おまえ、千田にデートしてやるって言ったらしいな。急にその話を無かったことにして千田の怒りを買って……それを浅野に助けてもらったんだろう?」


 そういえばあの時、俺は志穂に体育館裏に呼ばれたんだった。

 そしたら二人が揉めてて、助けに入ったら喧嘩になって……。


「ち、違う!デートしたいって向こうが言ってきて!それで!」

「千田に媚を売っていたことは否定しないのか?」

「そ、それは……」


 志穂が、わざと喧嘩になるように状況を仕向けた……。

 俺を孤立させるために……。


「まあいいよ。今から千田を呼び出してやる。私、地元が同じだから連絡先知ってるし」

「や、やめてよ!!」


 志穂の大きな声が、俺たち以外誰もいない公園に響き渡った。


「志穂……そうなのか?」

「ち、違う。私は、ただ……」


 志穂は涙ながらに訴えてくる。


「春樹を、誰にも取られたくなくて……それで」


 堂々と言葉を言い放った遠藤。

 明らかに動揺を隠せない志穂。


 この状況を見ても、どちらが真実を述べているのか明白だ。


 でも、それ以上に確信を得た決定的な事項がある。

 俺には、目の前で動揺して涙を流している志穂が嘘をついていることがわかる。


 だって俺たちは……幼馴染なんだから。


「春樹……悪口言っていたこと、ごめん。ごめんなさい」


 こんなに謝ってるんだから、もういいだろう。

 深々と頭を下げている志穂を見て、そう思っただろう。

 さっきまでの俺なら……。


「目つき悪くて、茶髪で……こんな見た目で悪かったな」

「え……?はる、き?」


 俺は志穂が言っていた悪口をすべて覚えている。


「暴力振るうような人間で……最低で悪かったな」

「ち、違う…違うよ、春樹」


 大好きだった志穂の言葉を俺が聞き逃すはずがない。


「気持ち悪くて悪かったな!!」

「ご、ごめ……ん。ごめん」


 この時点で俺の中で完全に決着がついた。

 志穂との関係に……。


「深瀬。謝ったら許してもらえると思ってんのか?」

「もういいよ、遠藤。もう……どうでもいい」


 俺の表情を見て、遠藤も理解を示してくれる。


「志穂、今までありがとう」

「ちょっ……春樹。な、何言ってるの……?」

「もう俺に関わらないでくれ」

「そ、そんな……私、そんなつもりじゃ……」


 ここで完全に終わりにする。


「さようなら、深瀬」


 俺は志穂に……深瀬に背を向けて歩き出した。

 あいつのことを深瀬と苗字で呼んだのは決別の表明。

 俺がどんな道を進もうと、深瀬がこれからどうなろうと……もう関係ない。


 後ろから大声で俺の名前を叫びながら泣きじゃくる深瀬の声が聞こえてくる。


 当然、俺は振り返らなかった。

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