第2話 現実

「もう春樹!なんで授業始まる前のホームルームの時間、いつもどこか行っちゃうの!?」

「別にいいだろうが。授業にはちゃんと出てるんだし」


 学校が終わり自宅で勉強に勤しんでいた最中、部活を終えた志穂がわざわざ家を訪ねてきて説教してくる。


「遠藤さんと教室に戻ってきたけど……一緒に、いたの?」

「え?ああ……そうだよ。それがどうかしたのか?」

「べ、別に!なんでもないよ……」


 そう言った志穂は少し俯いて元気がないように見える。

 部活で疲れているのだろうか。

 外はもう暗くなっている時間帯だ。

 志穂はこんな時間まで部活動を頑張っていて、さらにこの後自宅で勉強をするのだろう。

 疲労が溜まっていない方がおかしい。


「春樹。晩ご飯、用意してる?良かったら何か作ろうか?」


 俺の家は父子家庭で父親は夜遅くまで仕事で働いている。

 そのため俺が家で一人でいることを志穂は幼い頃からよく知っている。


「いいって、ガキじゃないんだから。俺のことは大丈夫だから、もう帰れよ」


 俺のことで時間を取らせるなんて申し訳なくて仕方がない。

 志穂には自分の時間を大切にしてほしい。


「志穂……。その……いつもありがとな。心配してくれて」


 俺に背を向けて玄関を出ようとしていた志穂に、そう素直に感謝の言葉を述べた。


「あ、あの……春樹。今まで一緒に登校してたけど……その、明日からは別々に行かない?」

「え?あ……そうか。っていうか、いつも誘ってきてたのは志穂の方なのに……急にどうしたんだ?」

「そ、それは……私の朝練の時間に付き合わせるのは悪いし。それに、やっぱり春樹には勉強に集中しほしい、から」

「な、なるほど。わかったよ」


 確かに、もっと勉強時間を増やさないと泉道への合格は危ういと思っていた。

 俺の場合、自習室で勉強するより自宅の方が捗るしな。

 こうやって自分の力量が分かるようになってきたのも、学力が伸びている証なのだろうか。


「それじゃあ。また明日」

「あ、ああ。また……明日」


 志穂は俺に手を振って、自宅へと帰っていった。

 俺はこの時、少し焦りを感じていたのかもしれない。

 もう学校で会話すらしない関係の俺たちは、早朝の登校時間を逃せば話す事もなくなるのではないかと。

 俺は、そう危惧していた。


 ▽▼▽▼


 翌日以降、俺の不安は的中して、もうあれから一週間以上志穂とは会話していない。

 教室で時々目が合うこともあるが、すぐに逸らされてしまい……薄淋しいものだ。


「はぁー」

「なんだよ。ため息なんかつくなよ。楽しいランチタイムなのに飯がマズくなるだろうが」

「お前はいつも通り元気だな。遠藤」


 昼休み。俺は屋上で遠藤と共に昼食をとっている。


「また、深瀬のことで悩んでるのか?」

「最近より一層、志穂との間に距離を感じるっていうか……」

「ふーん。私から見れば、本心が具現化されただけにしか見えないけどな」


 本心が具現化……?時々こいつは難しい言い方をする。


「どういうことだ?」

「そのままの意味。深瀬は浅野との関係より周囲のこと優先してるんだよ」

「それは……そうなの、か?」


 まあ、どうしようと志穂の勝手だし。あいつが楽しくしてのるなら何よりだ。


「浅野……悪いことは言わないから、深瀬にあまり入れ込むな」

「なんだよ。別にいいだろうが」

「お前は、あいつに対して少し依存体質になってるんじゃないか?そんなんだと……」

「そんなんだと、なんだよ?」

「いや……なんでもねぇよ」


 遠藤は何か言いたげな様子で俺のことを見つめていたが、すぐに視線を弁当に落とし黙々と食事を進めていた。


 ▽▼▽▼


「これからテスト返却をするぞ。呼ばれたら順番に取りに来い」


 今日は、先週行われた中間テストの返却が行われる日。

 俺の名前が呼ばれ、採点されたテストを担任教師から受け取る。


「浅野……その……最近はよく頑張ってるな。感心だ」


 いつもは俺に冷たい視線を向けてくる教師が、そんなことを言い出し少し驚いた。

 

「おい浅野の奴、先生に褒められてたぞ」

「ああ。良い成績なんじゃないか?」

 

 自席に座り返却されたテストの点数を確認すると、90点の文字が目に入った。

 俺は思わず小さくガッツポーズをしてしまった。

 慌てて周囲を見渡すが誰かに見られた様子はないようで安心した。


 テストを受けた感触は良いものだったので高得点を期待していたが、それが現実のものとなると本当に嬉しいものだった。

 これも志穂が同じ高校に行こう、と俺を誘ってくれたおかげだ。


 放課後になった。

 今日は他にも数科目テスト返却が行われ、どれも高得点を獲得することができた。

 俺は、この結果を早く志穂に伝えたくて仕方なかった。

 しかし、最近は会話をするタイミングが全くと言っていいほど無い。


「あー。掃除当番だるいなぁ」

「そうだよな。早く部活行きてぇよ」


 放課後の掃除当番に当たっているクラスメイトがブツブツと文句を言っている。


「よければ掃除当番代ろうか?」

「え……!?」


 俺がその生徒たちに声を掛けると、彼らは少し固まってしまった。


「え……あ、いいよ。大丈夫。浅野くんは当番じゃないだろう?」

「部活あるんだろう?最後の大会も控えてるし代わるよ」


 俺は彼の持っているほうきを手に取って、掃除当番を代わる意思を示した。


「ああ……マジで代わってくれんの?ありがとう」


 そう言ったクラスメイト達は俺に礼を言って、教室を後にした。


「なあ、前から思ってたけど浅野って普通に良い奴じゃね?」

「ああ。外見怖いけど大人しいし。前に喧嘩したのも向こうが悪いって話だしな」


 去って行くクラスメイトの会話が耳に入ってくる。

 俺は別に良い奴なんかじゃない。

 今、掃除当番を代わったのも親切心からの行動ではない。

 部活に行った志穂が、それを終えるまでの単なる暇つぶしだ。


「真面目だなぁ、浅野。自ら掃除をするなんて」


 箒を持って俺に声を掛けてきたのは、普段は掃除なんて参加しない遠藤だった。


「おまえこそどういう心境の変化だ?掃除なんていつもサボってるだろう?」

「私だって、真面目に掃除ぐらいするときもある」


 そう言って箒を剣道の竹刀のように構えて俺に向けてくる。


「だったらふざけてないで、さっさと終わらせるぞ」


 15分ほどで掃除が終わり、時間を持て余している俺は勉強でもしようと自習室へ向かうことにした。


「おい浅野。どこ行くんだよ。帰らないのか?」

「自習室だ……って、なんでおまえは俺についてくるんだ?」

「テスト返却があったばかりだろうが。もう、勉強するのか?」

「そうだ。悪いか?」


 後をついてくる遠藤を尻目に俺は自習室の前に到着したのだがその扉は、施錠されていて開かない。


「そういえば、放課後の自習室は毎日解放されているわけじゃないらしいぞ」

「そうなのか?」


 早朝はよく利用している自習室だが、放課後は自宅に帰って勉強していたため知らなかった。


「おい、もう帰ろうぜ。帰りにコンビニとか寄って、買い食いしたりしてさ」

「一人で帰れよ。俺は……志穂が部活を終えるのを待っていたい」


 朝の登校も別行動となった今、志穂と話す機会があるのは部活終わりの下校のタイミングぐらいしかない。


「やめとけよ」

「なんだよ、急に」

「深瀬に会うのをやめとけって言ったんだよ」

「はあ?なんで、おまえにそんなこと言われなくちゃいけないんだよ」

「あいつは確かに優等生かもしれないけど、心はガキなんだ。浅野には勿体ない」


 本当に何を言ってるんだ?こいつは……。

 遠藤の発言に呆気にとられていると、畳みかけてくるようにこいつは言葉を続けた。


「深瀬は浅野との関係なんて大切に思ってない。あんな奴のために時間を浪費するな」

「志穂のことを悪く言うな!」


 俺はこう見えて気が長い性格だと自分で思っていたが、遠藤の発言に怒りが込み上げてきてしまった。


「おまえが志穂の何を知ってるんだよ?俺はあいつと小さい頃から一緒だったんだぞ」


 俺は落ち着きを取り戻すように大きく息を吐いた。


「悪い。怒鳴って……」

「やっぱり浅野は良い奴だよ」


 俺が強い言葉をぶつけたのにも関わらず、遠藤はなぜか優しい笑顔で微笑んでいる。


「ちょっと来い」

「おい、なんだよ?」


 遠藤は俺の手を引いて、どこかに移動し始めた。

 校舎を出て少し歩いて辿り着いたのは志穂の所属する女子バスケ部が練習をしている体育館の前。


「ここで待つ」

「え?なんでだよ?まだ志穂は部活中だから、ここにいても意味ないぞ」


 体育館の出入り口前に立っていると練習に打ち込んでいる生徒たちの声がよく聞こえてくる。

 その中に志穂の声が混じっていることが、幼馴染の俺にはすぐにわかった。


「志穂……頑張ってるんだな」


 少しすると休憩にでも入ったのか、体育館は静まり返った。


「おい遠藤。いつまで、ここで待てばいいんだよ」

「……さあな」


 いつも元気でヘラヘラしている遠藤が、さっきからずっと真剣な表情を崩さない。


「ねえ、さっきの話って本当?」

「うん、本当に迷惑してるんだから」

「はは、ウケる!」


 目の前で閉じられている扉の向こう側から、女子生徒たちの話声がする。

 そこからは志穂の楽しそうな声も聞こえてくる。


(なんか、志穂のあんな楽しそうな声……久しぶりに聞いた、な)


「それでも幼馴染なんでしょ?浅野とは」


 突然、彼女たちの話から俺の名前が聞こえてきてドキッとした。


「まあ……昔は仲良かったけど……」


(え?昔は……?)


「でも、見ての通り……あんな見た目だし……ね」

「そうだよね。なんか去年、上級生に暴力振るったんだっけ?」


(いや……あれは自分の身を守ろうとしただけなんだけど……)


「本当にそうだよ。最低だよ……あいつ」



「……え……?」


 思わず声に出た。

 今、『最低』と俺のことを罵ったのは間違いなく……志穂の声だった。


「昔から乱暴でさ。最近まで私が家を訪ねてあげないと、朝も自分で起きられないんだよ」

「だっさ!不良って、家ではお子ちゃまなのかな!?っていうか志穂。あいつの家にわざわざ起こしに行っていたの?」

「そ、それは結構前の話で……今は近寄りたくもないよ」


 今、この瞬間が、目の前の現実が、悪い夢なんじゃないかと思うほど……俺は信じられなかった。


「浅野……大丈夫か?」


 遠藤が隣で俺に対して何か言っているが、よく聞き取れない。

 俺は今、明らかに平常心ではない。


「浅野、私と同じ高校を受けるって言っててさ」


 あまりのショックで視界も聴覚もぐちゃぐちゃだ。

 でも……そんな中でも……慣れ親しんだ、大好きな志穂の声は俺の耳にしっかり届いてくる。

 俺のことを他人のように『浅野』と苗字で呼ぶ志穂が遠い存在に思えてくる。


(そ、そうだよな……俺と仲良いなんて、他の奴らに……知られたくないよ、な)


「え―?高校までついてくるとか浅野って絶対に志穂に下心あるよ。そのうち、襲われちゃったりして」

「やめてよ……そ、そんな言い方……。浅野が私を襲うなんて……」


(そうだ。俺が志穂を襲うなんて、そんなことはしな)

 


「気持ち悪い!」



 もう、志穂のその一言を聞いた時……この状況を受け入れるしかなかった。

 何かの間違いじゃないかと……そうあってくれと思ったが、現実は残酷だった。


「ねえ自販機に行かない?」

「私も喉乾いた」


 目の前の扉が開き、さっきまで楽しそうに話をしていた女子生徒たちが姿を見せる。

 その中には、当然志穂の姿もあった。


「は……はる、き……なんで……ここに……」


 俺の姿を見た志穂は驚いているのか、立ち尽くして固まっている。


「浅野……帰ろう」


 そう言った遠藤は、自力で動くことができない俺の手を取って引いてくれた。


「待って!春樹!」


 後方から大声で志穂が何かを言っている気がしたが、さっきまで鮮明に聞こえていた彼女の声は……もう俺には聞こえなかった。

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