主は永遠に人の子を導く

白川津 中々

◾️

世界に神が降り立ったのは二十年前の事だった。


「人の生が終わるその時を示しましょう」


以来、人類の掌には数字が刻まれた。その数字は日毎に減っていき、ゼロになった瞬間に生命としての機能を停止する。また、その日から事故や事件。戦争など、あらゆる悲劇がなくなり、世界は平和となった。これを恩寵と試練だとか命の贖罪だとかと人は呼んだが、本来神の奇跡に名前など不要である。そういうものだと受け入れる以外にない。


この平穏と死の気配が可視化された世界で、一人の青年が最後の時を迎えようとしていた。彼の名をエンジという。


エンジは父母と妹を早くに亡くしていた。三人同時に命の数字が尽き、エンジだけが残されたのだ。

一人となったエンジは悲しみに暮れた。自分の掌に刻まれた数字は余りある。これから一人で生きる長い長い時間は、彼に深い孤独と無気力を与えた。


「神はなぜ僕だけを残したのか」


それはエンジの口癖だった。三人が眠った日からずっとそう口にしてきたがその答えは誰も、神さえも教えてくれない。一人の寒さに震えながら喪失感と共に送る毎日を過ごし、たまに掌を見ては、拳を握る。それが彼の全てだった。エンジの隣には誰もいない。誰も掛けなくなった椅子が三つ並んでいる部屋には、静寂と無が彩っていた。


それから今日まで彼は生きた。愛すべき家族を失い心枯れながらも過ごした時間に終止符が打たれるその日。いつも通りに起床して、卵とベーコンを焼き、パンと共に食べ、部屋の掃除をしてからお茶を入れ、窓を開け自分の椅子に腰掛ける。


三つの椅子を眺める彼の顔は寂しく穏やかだった。救いを待つ悲哀と生を終える間際の玲瓏が一つとなり、無限とも思えるような時が流れる。


窓の外は晴れ。心地よい風が草木の香りを運ぶ春の日。エンジは目を閉じ、そっと、終わりを待つ。部屋には一人。ゆっくりと、ゆっくりと、時間が流れる。惜しむように、憐れむように……

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