第7話 大団円
この事件の裏には、表に出てきた、
「恋愛の縺れ」
というものが、いかに影響してくるかということであった。
それは、ろうそくの炎のように、ちょっとした風でたなびいているというようなものであり、
「絶えず静止せずに、揺らめいている」
ということだ。
だから、時を刻んでいるその時々で、別々の顔を見せ、そのどこでとらえるかということで、
「真実というのは、無限に存在するのではないか?」
ともいえるのだ。
だから、事実というものは一つしかないもので、それを裏付けるための真相も、
「一番決定的なもの」
という動機という意味での感覚でいけば、そこには、
「一つしかないもの」
という結論になるのかも知れない。
しかし、その先にある真実というものは、必ずしも、
「一つではない」
ということだろう。
むしろ、
「たくさん存在している」
といってもいいことであろうし、そちらの方が、
「信憑性のあることだ」
といえるのではないだろか?
一つ気になっていることとして、
「何かこの事件で、見えているはずのものが見えていないような気がする」
ということであった。
それを、桜井刑事は、
「石ころのような存在」
ということを考えていた。
石ころというものは、
「目の前に見えている」
という事実は存在しているのに、その事実が、そのまま真相にたどりつくものではなく、
「見えていることで、却って感覚がマヒしてしまい、そこにあって当然だ」
ということになることで、
「真実なのに、事実無根ということに近いもののように感じる」
というほどになるというものだ。
だから、
「事件の推理において、石ころを意識してしまうと、そこで推理というものは終わりなのだ」
ということになるのだ。
だから、
「人間というものに、石ころをというものを認識させる」
ということになると、それは、
「認識と意識の違い」
ということになるだろう、
「認識というものは、すべての意識といってもいい」
と考えられる、
「意識という言葉は逆に、無意識も含まれる」
ということで、本当の意識は、無意識ではいけない」
ということになり、
「意識ほどシビアなものはないということになり、それが、事実ということになるだろう。
となると、石ころのような事実は、
「一つでないといけない」
ということになり、石ころは、鉄板ということになる。
ただ、それは、
「減算法における満点の状態」
といってもいいだろう。
それは、
「将棋における、最初に並べた形」
といってもいいだろう。
今回の事件は、結局、
「犯人である男性が逃げていいて、行方不明となっていたのだが、実際は、この事件が他の事件のカモフラージュで行われた」
ということであった。
被害者には、何か思うところがあり、
「被害者にしか分からないものがあり、まわりから見ると石ころにしか見えないそれを、被害者は、当事者意識の強さから分かっていたのだった」
ただ、殺されたことも、彼女の中で、
「覚悟があったのかも知れない」
犯人は、ほどなく捕まった。
防犯カメラが、
「動かぬ証拠」
となったのだが、被害者の、
「真相から、真実を導き出すやり方が功を奏した」
といってもいいだろう。
桜井刑事は、今回も、
「名推理」
と言われたが、
「今回ほど、事件を解決したという感覚が嫌だと思った」
ということはないだろう。
そう、今回の事件は、
「炎のような」
という意味で、
「犯罪というものは生き物だ」
と、以前からウスウスは感じていたものが、
「鉄板となった」
という事件だったということであろう。
( 完 )
犯罪という生き物 森本 晃次 @kakku
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