夏の光、思い出の光。
真上誠生
夏の始まり。
「それじゃあ、皆で『夏の光』を使った物語を作って見せあいをしようか。反対の人はいる?」
文芸サークルの人たちが集まった部屋の中に、部長の声が響き渡る。
この部屋の中にいる二十人の誰からも、部長の提案に反対の声は出なかった。俺としては、反対の声をあげたかったのだが、幽霊部員の身としては声を挙げるのも憚られるだろう。
「それいいね!」「面白そう!」「そろそろ夏期休暇だもんなーちょうどいいかも」
やがて、部室の至るところから賛成の声が次々に挙がっていく。誰かしら反対の声を挙げてくれるとそれに乗っかろうと思うのだが、俺の意志に反して全員賛成のようだ。それを見て、俺はふぅっと誰にも聞こえない溜息を吐いた。
──面倒だなぁ。
心の中で、どうやってこの行事を終わらせるか考える。正直な話気が乗らない。それでも皆の中には俺も含まれている以上書くしかなかった。
──昔の俺なら、喜んでいたのかな?
昔、といっても三年前くらいのことだ。ここのサークルに入った時に、俺は周囲のレベルの高さに打ちのめされて、やる気という物を失ってしまった。
別に、プロを目指しているだなんて、そんな大層な物でもない。ただ、なんとなく自分の作品を誰かに読んでもらうということが恥ずかしくなっただけなのだ。
──ろいよ、けんちゃん!
自分の作品を楽しんで読んでくれた子のことがふと脳裏によぎる。もう10年も経つのに、その子のことをまだ覚えているようだ。
──そっか、夏か……。
この季節になると、ついつい昔のことを思い出しそうになってしまう。
輝いていた気持ちなんてちょっとした出来事一つで黒くくすんでしまう。輝きが強い程にその黒は際立ってしまうものだと俺は身を以って経験した。
──あぁ、思い返すと無性にイライラする。ここが喫煙室なら煙草の一つでも吸いたいぐらいだ。
俺は心を落ち着かせながら、頭の隅で企画の構想について考えるがそれはすぐに決まった。 小説なんてちょちょいと二千文字程度の短編でも書けばいいだろう、どうせ誰も俺の作品なんて期待していないのだから。
「それじゃあ、皆の作品を楽しみにしているよ」
部長のその一声で、今日のサークルは解散になった。仲の良い奴等はつるんで部屋に残ってワイワイと騒いでいる。その声を聞きながら、俺は鞄を持ち一人でその部屋を後にした。一応、ちらりとサークルの中を見回したが、今日はあいつがいなかった。
「⋯⋯帰るか」
ぽつりと呟いた言葉は、部屋の喧騒に飲まれて消えていった。どうやら、今日は静かに変えれそうだった。
大学の敷地から外に向けて歩く。スマートフォンで時間を確認すると、次の電車はまだ一時間も先だ。ここから駅までは二十分で着く、少しどこかで時間を潰さないといけない。
「どうしたもんか──」
「──先輩!」
はぁ、と俺は胸の中で大きなため息を吐いた。今日もどうやら賑やかになりそうだ。俺の、後ろからタカタカと走ってくる足音が聞こえてくる。
それを無視して、俺は気にせずにそのまま大学の外へと向けて歩き続ける。後ろから「ちょっ、先輩!?」と声が聞こえてくるがお構いなしだ。この速度ならどうせ、そのうち追いつくだろう。
「なんでっ、止まってくれないんですかっ!」
数秒後、そいつは俺の横で大きな声で叫んだ。うるさいなぁ、静かに出来ないのかこいつは。
俺はちらりと横に視線をやると、髪を少しだけ茶色に染めた女がいた。名前は知らない。前に聞いたかもしれないが、興味がないので覚えていない。
「先輩はっ、もっと女の子に優しくするべきだと思いますッ!」
女は俺の横ではぁはぁと荒い息を吐きながら非難の言葉を浴びせてくる。俺はそいつにも聞こえるようにおもむろに溜息を吐いてやった。
「俺は一人で帰りたいんだよ……」
そうやってひとりごちるように喋ってみるが当の本人には何一つ理解してもらえていないみたいだった。首を傾げているのがその証拠である。
「何で一人で帰るんですか?」
ぼっちだからだよ、言わせんな恥ずかしい。そんな言葉が頭の中に浮かぶが、目の前で首を傾げて頭にクエスチョンマークを浮かべていそうなやつに言う気力はない。
「⋯⋯世界のことについて考える時間が増えるからだな、うん」
哲学者みたいな事を言ってこの場をはぐらかすことにしたが、目の前にいるこいつには逆効果なのか目をキラキラと輝かせ始めてしまう。
「さすが先輩! さすセン!」
訳のわからない略し方をするほどに興奮しているようだったので放置して駅に向かう事にした。さっきから煙草が吸いたくてたまらない。
「ちょっと、一緒の駅でしょう!?」
「知らん知らん。ついてくるな」
「ついていきますぅ! 同じ駅なんですぅ!」
非難の声をあげながら後ろから付いてくる女を無視して足早に駅へと向かう。その間も無視している俺にブーブーと文句を言ってくるが、あまりにもうるさいので駅の中限定で話をしてあげることにした。そうでもなければずっと付きまとわされそうだったからだ。
「⋯⋯で、お前名前なんだったっけ?」
駅にある喫煙室で俺は煙草を取り出し火をつける。息を吸い込むと煙が口の中を満たし、それと共にメンソールの臭いが鼻から抜けてすっとする。モヤがかかっていた頭が晴れたようにすっきりとするからこれを好んで吸っていた。
俺の問いかけにあからさまにショックを受けたような顔をした女は「覚えてないんですか!?」と大きい声を出し俺を睨んでくる。
記憶をどれだけほじくり返しても爪の先程に出てこない所を見ると本気で興味がなかったのかもしれない。何せまともに取り合うのがこれが初めてなのだから。
「うん」
俺は素直に頷きながら口の中にある煙をふーっと外に出し、それの行方を目で追った。俺には目の前にいる女よりそっちの方が気になって仕方ない。
「加奈です、真中加奈! 一回皆の前で自己紹介したでしょう!?」
こいつも文芸サークル員というのだが、記憶にない。そもそも、最近は文芸サークルのやつらの顔をまともに見てないし、覚えていなかった。どこか俺は心の中で蚊帳の外の人間だと自分で壁を作ってしまっているようだ。
それならいっそやめてしまえばいいのだが、いつか書く気が戻る日がくるかもしれないと思いつつ籍を置いている。
「惜しいな、最後に
「誰が新聞紙だ!」
「中々にいい返しじゃないか。真中加奈ね、覚えておくよ」
「なんか、不名誉な覚え方されてないですかっ!?」
俺はここで初めて記憶の中に真中の名前をインプットした。覚えておかないとうるさそうだし、後の労力を抑えるために仕方なくしてやったと言う方が近いだろう。
それはそうと、こいつは何のために俺に絡んでくるのだろうか? 一応聞いておくとするか。
「で、俺に何か用事があるんじゃないのか?」
俺は煙草に視線をやったまま用件を聞いてみる。俺の視線の先では煙草のフィルターが灰になっていくのが見えた。
「先輩、私にどれだけ興味がないんですか⋯⋯」
「え、聞く?」
「いや、いいです⋯⋯」
──なんだ、せっかく持ちうる語彙を全てフル稼働してやろうと思ったのに。少しがっかりだ。
「あからさまにがっかりするのはやめてください!」
真中は大きな声を出したと思ったら今度はしおらしくなり、「私かわいいと思うんだけどなぁ⋯⋯」と小さな声で呟く。その言い方はまるで地雷女、もしくはかまってちゃん。いや、かまってちゃんもある意味地雷女か。
どうでもいい事を頭で考えていると「⋯⋯先輩、少し作品に対しての相談なんですが」と思考を中断させられるような言葉をかけられてしまい、俺は一際強く煙草を吸い、息を煙と共に吐いた。
「⋯⋯なんで俺なの?」
部長に聞けばいいだろうに、それが嫌なら同性の奴にでも。他にも作品について語りあっている奴もいる。俺に聞く意味がまったくわからない。
「先輩の過去の作品を読ませてもらいました」
その言葉に俺の心臓は跳ね、早鐘を打つように早くなっていく。嫌な記憶が一瞬フラッシュバックしてしまう。
──君の作品はダメだね。
幻聴が聴こえる。俺は咄嗟に真中の口を押さえたくなった。初めて自分の作品が否定された日の事が頭の中に蘇りそうになってしまう。
「先輩の作品、それは私の理想なんです」
「──へ?」
俺は予想だにしていなかった言葉に裏声が混じった変な声をあげてしまった。それに対して真中はきょとんとした顔をしている。
「いや、先輩の書く文字って重みがあってかっこいいじゃないですか。あれぞ本当の文学だと思うんですよね!」
真中は鼻息を荒く語り始めようとしていた、それを聞いて俺は「はは」と乾いた笑いをしてしまう。俺の考えていた事は杞憂だった。
俺は初めて俺の作品が好きと言ってくれた人に会う事が出来たのだった。
「──で、相談ってなんだ?」
「先輩、さっきまでと態度違いません?」
俺は心の内でぎくりと驚くが、顔には出さず「そんなことないぞ」と言ってみる。明らかに違うのがばればれなのは自分でもわかっている。しかし、初めてのファンに対して無碍に扱うわけにはいかないと考えるのは仕方ないと自分の心に納得させる。
「まぁ、お返しというかだな⋯⋯」
これは本当の話だ、自分の作品に対して反応があるのがこんなに嬉しいとは思わなかった。もう一度書いてみようと思える気力を得る事が出来た。これも真中のお蔭だ。
真中は相変わらずクエスチョンマークを頭の上に浮かべていそうな顔をしている。それが何故か見ていると楽しい、これもファン効果というやつかもしれない。
「まぁいいです。先輩、夏の光って何をイメージしますか?」
相談というのは今回のキーワードについての話だった。夏の光と一口に言っても色々な種類がある大体主流なのが⋯⋯
「太陽、蛍、夏の大三角、水面に揺れる月⋯⋯これは夜のプールとか夜の浜辺だな、後は縁日盆祭りなどに関する提灯とか? ほかには⋯⋯まぁ街の光とかも一応入るか、夏の暑い日に街の光を見た感想とかだな」
それに対して真中は頷きメモを取り始める。それを見ているのが微笑ましく思えるのは何故だろうか、これもファン効果かもしれない。
「なるほど、確かに夏の大三角形とかは書きやすそうですね⋯⋯ちなみに先輩は何で書く予定なんです? やっぱり蛍とかですか?」
「あー、いや俺は夏の光っていったらこれってもう決まっているんだよ」
「そうなんですか?」
「当ててみ?」
俺は笑いながら真中にクイズを出してみる。ちなみにさっき俺が出した中に答えはない。
「太陽、蛍、夏の大三角形」
「それ、さっき俺の言ったやつだろ! その中にあったら問題にせんわ!」
俺の言ったやつをそのまま言ってきたのでツッコミを入れてやった。
どうやら真中はメモに書いてある事以外は想像がつかないのか、んーんーと考えていたが、泣きついてくるまでにそう時間はかからなかった。
「せんぱーい⋯⋯おしえてくださーい⋯⋯」
「わかったわかった。答えはな、自動販売機と街灯だよ」
俺は苦笑しながらそう答えを教えてあげると真中は意外そうな顔をした。
「そんなもので小説が書けるんですか?」
──あ、こいつ馬鹿にしやがった。
「真中ァ、作家ってのはななんでも書けるように頑張るものなんだよ」
それに、これは俺の思い出、経験が加わったものだから書きやすいんだ。⋯⋯俺は思い出を遡る、六年前、地元にいたときの事を。
その時に、好きだった人の事を──。
──十年前の八月三十日、夜の話だ。
当時の俺は女の子に告白をする予定で近くの街灯の下で待っていた。街灯の明かりに引き寄せられたのか小さな虫が街灯の周りを飛び回っている。それを見たくなくて近くの自動販売機に目をやってみるとイナゴがびっしりとくっついているのが目に入ってきてげんなりとした。
この時期、この地域では昼には稲刈りをしている農家をよく見かける。俺の家も農家だったから何回か手伝いをさせられた。袋を担いだり、乾燥機に入れたり、脱穀をしたり⋯⋯当時から家にいる事が多かった俺には苦痛の時間だった。
おっと、話が脱線してしまう所だった。とにかく、稲刈りを終えると田んぼで稲を食べていたイナゴが大量に野に放たれてこういう光景を作り出してしまう。たまに夜道を歩いているとべちべちとイナゴが身体にぶつかってきて嫌な気持ちになることもままあった。
今この状況はこの地域で住んでいるのならよくあることだ。こんな虫だらけの場所で待つのは正直嫌だった、しかしその子の家の近くで一番目立つ場所がここしかなく仕方なくここにしたんだ、流石に女の子に夜道を歩かせるわけにはいかないしな⋯⋯。
というわけで俺はこの虫達に囲まれながらその時が来るのを心を準備して待っていた。結果は先に言ってしまうが惨敗だ。というか、この時に告白が成功しているのなら今俺の隣には真中ではなく彼女がいるはずである。
その子の事は今はもうあまり思い出せない、彼女と話したのはこの時が最後だったから。
告白をした後、彼女はどこかへ引っ越しをしてしまった。まさか、どこかの歌のように夏の終わりに引っ越しをする人がいるなんて当時は思いもしなかった。
⋯⋯あぁ、話の続きをしないと。そこから俺はその場所から彼女の家の二階を見上げた、彼女の部屋は二階にあって今はカーテンで閉まっている。
それでも、たまーにカーテンには影が映る時があってそれが見える度に少し喜びを覚え⋯⋯うん、よくよく考えれば地味にストーカーの気持ちがこの時理解出来たかもしれない。
そして、しばらく待つと部屋の明かりが消えた。準備が出来たようだ⋯⋯その時、俺も心の準備を完了させた。
「圭ちゃん、お待たせ!」と、家から出て来た彼女は俺の名前を呼ぶ。俺は家から出てきた彼女に向かって手を振る。そして、本で見た待ち合わせの時の言葉を頭の中で思い出す。
「お、おう、俺も今来たところだ」
俺は彼女へどもりながら返事をした。これは本で読んだ待ち合わせの時のテクニックという奴で女の子に嫌な思いをさせない為の常套句らしい。しかし、返って来たのはクスクスという鈴を転がしたような笑い声だった。
「嘘、家から待っているの見えてたよ」と、その言葉に心臓が跳ねる。どこかからこちらを見ていたみたいだ。
「嘘つき」と言いながら笑う彼女に俺は目を奪われてしまう。「かわいい」と心に浮かんだ言葉が口から出てしまいそうになってしまったので俺はその言葉と共に唾を飲み下した。
──今から俺はこの子に告白をする。
当時の俺はその事で頭がいっぱいになってしまっていた。彼女と一歩を踏み出す為に俺はここにいたのだと。
「で、用事ってなにかな?」
彼女が頭にクエスチョンマークを浮かべたような顔で首を傾げる。俺はその顔に目を惹かれてしまう、そしてゆっくりと考えていた言葉を口に出した。
「あ、あのずっと前から好きだったんだ。僕と付き合ってください」
そう言ったのをしっかりと覚えている、辺りを静寂が包んだ。虫の鳴き声が耳障りな程に聞こえてくる。自動販売機にイナゴがぶつかっているのか横からバチバチと変な音も聞こえる。
「ごめん⋯⋯なさい⋯⋯」
永遠とも思える長さの後、その子はしっかりとそう口にしたのを俺は忘れない。これは俺の大事な経験だ、絶対に忘れてはいけない初めての恋が終わるという経験。それを思い出す度に唇を噛みしめたくなるほどの苦さが心を蝕んでいく。
今思えば俺はこの時から恋愛というものをとんとしなくなってしまった。またこういう思いをしたくないからかと言えば違う、それ程までにこの子の事を好きだったんだ。この子以外に考えられない程に愛していたんだとこの歳になって理解した。
だから女に興味がないのかもしれない、かと言って男に興味があるわけでもないが。
そうして、俺は打ちひしがれるままその場を走って逃げ出す。後ろから彼女の声が聞こえた気がしたが俺はそれを聞かずに逃げた。思いっきり走って、走り続けて、喉が渇いた俺は途中の自動販売機で涙を流しながらコーラを買った。
その自動販売機の光が外の暗さと同化していた俺の心を少しだけ現実に戻してくれたような気がした。
だから俺はその経験を元に自動販売機の光を元に小説を書こうとしているというわけだ。
「──せんぱーい。おーい!」
誰かが呼んでいる声がする、それで俺は現実に意識が引き戻される感覚を覚えた。
「何、黄昏ているんですか」
「いや、昔を思い出していてな」
「その顔、女の事思い出していたでしょ!」
真中、鋭いな。その勘のよさを少しでも俺の気を遣う事に回せないものだろうか?
「だとしたらどうする?」
「んー」と彼女は少し思案顔をする。その顔があの時のクエスチョンマークを浮かべていた時の彼女とダブって見えたような気がした。
「とりあえず、昔の女なんて忘れて私を見てもらいますかね?」
「⋯⋯真中お前もしかして」
そこまで言葉が出かかった所で口を止めた。そんな運命みたいな事があるわけがない。だが、真中は含み笑いをしている。そこに込められた意図に俺はようやく気付いた。……こいつ。
「というか⋯⋯お前本当に文芸サークル員か?」
「さぁ、どうでしょうね?」
クスクスとまるで鈴がなるような軽やかな笑い声をあげて彼女は笑顔になる。
「ところで先輩、夏の光を経験してみたいので今度二人で夏の海に出かけてみませんか?」
そう言って彼女は俺の方に向かって手を差し出してくる。その手を握り返すかどうか少しばかり逡巡したが、答えはもう既に決まっている。
「⋯⋯気が向いたらな」
俺はそう言いながら彼女の手を取った。今年の夏は賑やかになる、何故だか心の奥でそう確信したのだった。
──fin。
夏の光、思い出の光。 真上誠生 @441
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