第5話

「ナンパだと思ったのにな」

「誠、今特定の彼女は?」


くすりと笑いながら言った俺に、弘樹は意外な言葉を口にした。


「なんだよ。どうした? 俺にそんな女いないこと知ってるだろ?」


弘樹の真面目な瞳に、俺はグラスをテーブルに置くと、まじまじと弘樹を見る。


「だよな。じゃあ、今の子に声を掛けに行かないか?」

「弘樹……。珍しいな」


今まで何度となく女の子から声を掛けられても、一度も誘いに乗ったことのない弘樹に、俺は驚いていた。だからこそ、よっぽどのことだろう。


「付き合うよ」


眠気は多少あるものの、俺はグラスを手にすると立ち上がった。

少し店の中を探すと、さっきの子はすぐにわかった。


店の隅の二人掛けの席で一人でグラスを持つ姿は、とても綺麗だった。


「一人で来てると思うか?」


弘樹もすぐに見つけたようで、俺に尋ねる。


「いや、そんな感じにも見えなかったけど」

「だよな」


そう言いながらも、弘樹は珍しく自らさっきの子の方へと向かって歩き出した。


視線に気づいたのか、さっきの子がゆっくりと俺たちの方を見た。


「一人?」


初めて聞く人から見れば、声を掛けるようなテンションには見えないだろうが、少し楽し気に聞こえた弘樹の声に、俺は本当に驚いていた。


「友達と」


少し警戒したような声音でそれだけを言うと、その子は視線をグラスに向けた。



「香織?」


その時、不意に聞こえた声に俺たちは振り返った。

そこには、声を掛けていた子とはタイプが違うが、遠目から見てもとても綺麗な子だった。

スタイルも良く、歩くたびにふわりと背中でダークブラウンの長い髪が揺れる。その仕草にはどこか洗練された落ち着きがあり、場の空気を変えるような存在感があった。


「友達、ってわけじゃないよね?」


そう言いながら、その子が俺たちの方へと警戒するように歩いてくる。

声のトーンは低めで、言葉は柔らかいはずなのに、どこか鋭さを感じさせる。


「違う。莉乃。おかえり」


香織と呼ばれたその子は少し苦笑しつつ答える。

だが、その視線はどこか申し訳なさそうに見えた。


莉乃と呼ばれた子は、その場に立ち止まり、香織を一瞥する。

その仕草にはわずかな不信感がはっきりと感じ取れた。


弘樹のためにも、なんとか一緒に飲む口実を作りたい、そんな思いから今度は俺がにこやかに笑いかけたところで、莉乃と呼ばれたその子は目を見開いた。


ダークブラウンの吸い込まれそうな瞳と視線が交わり、俺も訳の分からないままその瞳から目が離せずにいた。


「副社長……」


呟かれるように零れ落ちた言葉と同時に、その子はくるりと踵を返すと走り出した。


「莉乃!」


驚いたように叫んだのは、初めに話していた香織という子だった。


俺は訳の分からないまま、その状況を見ていたが、不意に呼ばれた名前にハッとする。


「彼女、水川莉乃?」


俺の問いに、驚いたように香織ちゃんが躊躇しつつ小さく頷くのを見て、俺は走り出した。


目立つ彼女は、店内が混みあっていたこともあり、すぐに追いついた。


「待て」


どうして追いかけたかもわからなかったが、俺はなぜか彼女をトイレに向かう通路へと連れて行くと、じっと彼女を見た。


「水川莉乃?」


俺から視線を外し、気まずそうにする彼女に、俺は確信した。


「へえ、意外。本当は遊んでましたとか、そういう感じ?」


俺のその言葉に、いつもの彼女からは想像できない表情で言葉が返ってきた。


「そんなこと関係ありませんよね? 今はプライベートですし」


キッと睨みつけられて、俺もなぜか少し楽しくなった。


「ふーん。こっちが本当のお前か」


にやりと笑った俺に、水川さんは驚いたような表情を浮かべた。


「副社長こそ別人ですね。やっぱりあの会社の嘘くさい笑顔は作り物だったんですね」


最後は呟くように言ったその言葉に、いつもの会社での演技が見破られていたことに驚いた。


「だったら何? お互いの本性バレたな」


そう言うと、俺は水川さんを壁へと囲い込むように立ち、上から見下ろす。


いつもと違い、下ろされた髪から少しだけ見える首筋、ゆったりとしているが女性らしい黒の長めのニットに、細身のパンツ。

いつもより高いヒールなのだろう。目線は少し高いが、それでもすっぽりと俺の中に納まる彼女は、やっぱり別人のようで。


「いい加減にして! 私をあなたの遊んでいるような女と一緒にしないで!」


その意外な言葉と、はっきりと拒絶されたことに俺は驚いた。

俺の周りには副社長と知ると態度を変えるような女ばかりだった。


今日の会社でのこと、そして今の彼女。

俺が興味を持つのには十分だった。


「別にそんなつもりはない」


興味を持ったなんて様子は見せずに、俺はそう言うと、「私は帰ります」と言って俺の手から抜け出そうとした。


「行かせない」


そう言って手を掴んだとき、彼女がなぜかかなり怯えたように手を引っ込めた。

その仕草に、俺はハッとして動きを止めた。


「どうして?」


キュッと自分の腕を握りしめた彼女に、俺は言葉を探した。


「俺の友達が、一緒にいた子に興味を持ったんだ。俺が言うのもなんだけど、弘樹はいい男だよ。チャンスをあげてほしい」


「そんなこと言われても私には関係ないですし……」


少し悩むような表情を見せた水川さんに、俺は最後のとどめを刺すように言った。


「莉乃。上司命令」


その言葉に、水川さんが完全にイラっとしたのがわかった。


「わかりました。副社長」

かなりいらだった様子を見せていたが、俺も親友のために引くことはできない。水川さんが買えると言えば、一緒にきていた彼女もかえるだろう。


「それもなし。誠って呼べよ。敬語もなし」

「そんなの無理です!」


その言葉を封じ込めるように、俺はキスしそうなぐらい彼女との距離を縮めた。


「命令を聞かなければどうなるかわかる?」


これ以上ないぐらい低い声で言いながら顔を近づけると、莉乃は観念したように声を上げた。


「わかった。わかったから」


すりりと、俺の横を通り過ぎると、柔らかな甘い香りが俺の鼻孔をくすぐる。


「誠。行こう」


俺は莉乃のその言葉に、小さく頷くと彼女の後を追った。

 

今目の前にいるのは誰だ? そう思わずにはいられなかった。


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Secret Love 美希みなみ @muchi2011

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