第4話 Side 誠
「副社長、失礼します。今日はきちんとご自宅でお休みください」
俺は今日一日を不思議な気持ちで終えようとしていた。
どちらかというと、自分から何かをするタイプでもないし、言葉を多く発する子でもないと思っていた。
それが、この二年、俺が抱いていた秘書・水川さんの印象だ。
大人しく地味な服装を好み、いつも俺を真っすぐに見ることもない。
だからと言って仕事ができないわけでもなく、言ったことは確実にスピーディにこなしてくれる。
それだけで俺は満足だった。
親父から「お前の女癖が心配だから」と言われ、この新人を秘書にしたと聞かされた時も、全く問題ないと思った。
むしろ、俺に色目を使ってくる他の女子社員に比べたら、雲泥の差があると思ったほどだ。
しかし、今日は本当に驚いた。
いつもは勝手にスケジュールを調整することもないし、ましてや俺に食事を買ってくるなどあり得ない。
徹夜をした俺に気をつかってくれたのだと思うが、本当に意外だった。
少し怒っているのか、照れ隠しなのか、俺に何かをするのは慣れていない彼女らしく、言い方はぶっきらぼうだったが、そのお陰で徹夜明けでもなんとか仕事をこなせたし、自宅でシャワーも着替えもできた。
そして、あろうことか、一日一食まともに食べればいいところを、昼食まできちんと取った。
新しい秘書の一面を見た気がした。
ぼんやりと、水川さんが出て行ったその扉を見ながら、そんなことを考えていると目の前でスマホが音を立てる。
「もしもし」
『もう仕事終わるか?』
それは昔からの友人である清水弘樹からの電話だった。
「もう終われるけど。どうした?」
『明日休みだし、久しぶりに飲みにいかないか?』
その問いかけに俺はしばし言葉を止めた。なにせ徹夜明けだ。
『都合悪いのか?』
受話器の向こうで聞こえた声に、俺は眠気もなかったため、少し考えた後言葉を発した。
「早めに帰るかもしれないけどいい?」
『ああ、もちろん』
その答えを聞くと、俺はパソコンをシャットダウンした。
日中は会社の車で移動することも多いが、通勤は自分の車でしている。
そのため俺はビルの地下駐車場へと降りると、止めてあった車に乗り込んだ。
今はまったく眠気もないし、むしろテンションが上がっているような気さえする。
会社から十分ほどの自宅のマンションへと帰ると、黒のパンツにシャツを着て、白の薄手のシャツを手にして家を出た。
飲みに行くときは、副社長とか肩書とか、そういったものがわからないようにしている。それを知って近づいてくる人間にはうんざりだ。
弘樹とのいつもの待ち合わせの場所である、歩いてすぐのBARの扉を開けた。
店内は、外装のイメージよりかなり広く、スポーツ観戦やダーツ、ビリヤードなども楽しめる空間だ。
週末の店内は人ごみに溢れていた。
そんな中、弘樹を探すことは困難で、俺は周りを見渡した。
「誠さん」
不意に顔なじみの店員に呼ばれ、俺はそっちを見た。
「弘樹見てない?」
俺の言葉に、まだ二十歳を過ぎたばかりであろう、その彼は笑顔で指をさす。
「向こうのカウンターにいますよ」
「ありがとう。よく入ってるな」
俺は礼を言うと奥へと向かう。少し歩くと弘樹の姿が見え、俺は少し歩調を速めた。
俺はいつのころか、どうせ俺の中身など誰も見ていないと思うようになって以来、適当に軽い付き合いを繰り返している。
そんな自分もどうかと思うが、女なんてそんなものだと思う。
軽くグラスを合わせると、一気にビールを流し込んだ。
「どうしたんだよ、週末に早く帰るって」
弘樹は俺の目の前でタバコにゆっくりと火を付けると、紫煙をくゆらせる。
「徹夜明けなんだよ。気づいたら朝で」
苦笑しながら言った俺に、弘樹は納得するように頷く。
「お前、本当に集中すると周り見えないよな。じゃあ、いつものように何も食べてないのか? 軽いもの頼もうか」
俺のことをよく知っている弘樹がメニューを手にするのを見て、小さく首を振った。
「それが今日は秘書が変でさ」
俺の意外な言葉に、弘樹もメニューを選ぶのをやめ視線を合わせた。
「変? なんだよそれ。お前の秘書ってどんな子だっけ?」
長年一緒に飲むことも多いが、初めて話題に出たかもしれない秘書のことを、俺は弘樹に話す。
「ふーん。じゃあそのおかげできちんと飯を食ったんだ」
なぜか面白そうに言うと、弘樹が店員にピザを注文する。
「まあな」
「でも勝手なイメージだけど、珍しいタイプだよな。大人しい秘書って。あっ、もしかしてお前の女避けか?」
確信を持った表情で言う弘樹に、俺は怪訝な表情を浮かべる。
「親父と言いお前と言い、俺は秘書に手を出すほど節操なくないんだけどな」
その言葉に弘樹は苦笑した。
「お前遊ぶ女の子はきちんと分けてるけど、向こうがその気になることもあるからな。でも大人しい子ほどお前に惚れたりしてな」
「それはない」
弘樹の言葉に俺は間髪入れず否定する。この二年を思い出しても、水川さんが俺に好意を持っている可能性はゼロに近いだろう。
「へえ、言いきれるほどなんだ」
弘樹が言葉を言い終わるか終わらないかで、何かが落ちた音が後ろから聞こえた。
「ごめんなさい」
それと同時に、少し焦ったような女の声が聞こえた。
またナンパか? そんな思いで振り返ると、弘樹が椅子に掛けてあったジャケットが下に落ちたことがわかる。
そして、それを落としたのであろう女の子がしゃがみこんでいた。
「ごめんなさい」
もう一度謝罪しながら弘樹にジャケットを渡すその子は、とても綺麗な子だった。
長身で細身。長いストレートの真っ黒な髪が印象的だった。
「いや」
愛想もなくそれを受け取った弘樹に、相変わらずだな、そう思いながらもその子に視線を送る。
次の言葉は「一緒に飲みませんか?」そんなところだろう。そう思っていた俺だったが、そんな妄想はすぐに吹き飛んだ。
あっさりと俺たちに小さく会釈をすると、その子は歩いて行ってしまった。
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