第26話 姉は駆け落ちしました


「たぶん」豆妹が小首を傾げる。「二姐が抵抗しなかったら、熊郎獲はそのまま裏山に連れて行ったよね?」


「……ええ、そうね」


「そうしたら二姐は今店にいなくて、朱さんとも会えなかったんだ」


 そう……つまりはそういうことだ。

 熊郎獲は姐姐ジェジェが家出をしたことを知らないから、今日、雪華を連れ出してしまえばそれですべて上手くいくと考えていたのだろう。

 後宮からの使者がやって来て、ひとりで店番をしている姐姐を見つけて都に連れて行く――あとは雪華を嫁に迎えるだけ――それが熊郎獲の計画だった。

 ――熊郎獲は長いあいだ姐姐を煙たがっていた。

 詳細は不明だが姐姐は熊郎獲の弱みを何か握っていたようで、これまでは彼が無茶をしようとしても、そうはさせないと睨みをきかせてきた。だから熊郎獲は冗談めかして雪華を口説くことはあっても、正式に求婚してきたことは一度もなかったのだ。

 それが今朝、急に「縁談を正式に進める」と言い出したのは、彼にとって目の上のたんこぶだった姐姐がもうすぐいなくなると考えたからだろう――姐姐が後宮に連れていかれてしまえば、あとは好きにできる、と。

 やはりやつの脳味噌は、連日の深酒でとけてしまったに違いない……だからこんな穴だらけの計画を平気で立てられる。

 雪華を連れ出す前に、後宮からの使者が団子屋に到着してしまったら? そもそも雪華を上手く誘い出せるのか? これらの当たり前に考えつくような問題点を放置して、『まあなんとかなるだろ』精神で無茶ができてしまう。

 権力者といっても村の中だけの話なのに、おそれ多くも朝廷を騙そうだなんて。

 朝廷に提出した名簿の偽証は、彼の父親もからんでいたのだろうか……どうだろう、そこは不明である。父には内緒で熊郎獲が書類作成者を脅し、雪華の名前をこっそり抜いたのか……あるいは父に甘えて協力してもらったのか。

 けれどまあどちらにせよ結果は変わらない。熊郎獲の父が「息子が勝手にやったこと」と言い訳しても、それは通用しないからだ。朝廷から名簿作成を依頼されたのは家長である父親なので、それに不正があったのなら、当然責任は取らされる。

 ――朱翠影が小さく息を吐いた。


「熊家当主を取り調べねばならないが……屋敷が火事のようだな」


「そうですね」


 雪華は腰帯に挟んだはさみを意識しながら答えた。

 熊家が今まさに破滅しようとしている……それはやはり、この不思議な鋏のせい?

 白い糸を切ると原因の相手に災返る――姐姐からの手紙にはそう書かれていた。

 熊郎獲と結ばれた白い糸を切った直後に、彼の屋敷が燃え、朝廷に提出した名簿の偽証が発覚した……これらを「偶然」で片づけるのは無理がある。


「あのお」


 豆妹が遠慮がちに声を出した。つぶらな瞳は朱翠影を見つめている。

 朱翠影と雪華は内心『またきわどいことを言い出すのでは』とおそれたが、年長者のたしなみとして表面上は平静を保った。

 けれどふたりの心配は杞憂に終わる――豆妹はごく普通の質問をしたからだ。


「地主様の取り調べは、朱さんがしますか? ええと、しばらく村に泊まります?」


 ああなるほど……この子は幼いのによく頭が回るなと雪華は感心した。

 朱翠影、そしてあのわめいていた雌鶏宦官、そして行列の人たちは、本来ならば姐姐を連れてすぐにこの村を発ったはず。

 けれどはるばる烏解にやって来てみれば、後宮入りするはずのこう燕珠えんじゅは不在――そして地主の許しがたい不正が発覚。

 これは……どう決着するのだろう?

 姐姐がもう戻らないことを雪華はすでに悟っている。

 けれど朱翠影は違う――『今、向燕珠は不在』の認識だ。それは雪華が真相をまだ話していないから。

 姐姐が旅支度をして早朝発ったことを、このまま黙っているわけにはいかない……言わないと。

 雪華は覚悟を決めた。

 真っ直ぐに彼を見つめる。


「姐姐は――こう燕珠えんじゅは失踪しました。おそらく駆け落ちです。もうここには戻りません」


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