第14話 わめいている人は宦官


 壁際に設置された長方卓ちょうほうたくに豆妹をいざない、小さな彼女が椅子に座るのを手伝ってやった。

 雪華は向かい側に腰かける。店の入り口と前の通りが目視できる位置だ。

 前の通りをそのまま進んで山を下ると、やがて大都市・金虹きんこうに出られる。ただしこの団子屋から先は休憩に適した場所がない。

 豆妹が小首を傾げる。


「あの人たち、きっとここに寄るよね? 金虹に行くなら先が長いもの」


 雪華は長方卓の天板に頬杖を突き、豆妹の瞳を見返した。


「かもしれない」


「そうしたら団子がたくさん売れてもうかるね」


 おや……七歳児のわりにずいぶんちゃっかりしたことを言う。

 雪華はくすりと笑みを漏らし、視線を彷徨さまよわせた。


「……行儀良く去ってくれる客だといいけれど」


「嫌な客かもしれない?」


「分からない」


「きっと大丈夫、だって高そうな服を着ていたよ。絶対盗賊じゃない」


 彼らの身なりが良かったものだから、豆妹はすっかり安心しているようだ。

 けれど雪華のほうは豆妹のように楽観的にはなれなかった。


「もしかすると……都から来た人たちかもね」


 うわの空で呟く。


「都って皇帝がいるところ?」


「そう」


「わあ、面白そう! 都の暮らしについて、色々話を聞きたいなあ!」


 豆妹が瞳をキラキラ輝かせて声を弾ませた。しっかりしているように見えても、こういうところはやはり子供だ。

 辺境の山村であるにもかかわらず、ここ烏解うかいは比較的治安が良い。もちろん日々の小さな争いはあるけれど、長いこと異民族に侵攻されていないのだ。

 理想郷――人は烏解をそう呼ぶ。

 しかしこれは奇跡的に和平交渉が上手くいっただけの、危うい状態なのである。それを幼い豆妹が知るはずもない。普段何もおそれていない子供は、変化に対してこのとおり無防備だ。

 雪華は豆妹を眺めながら考えを巡らせる……何年も前、まだ子供だった頃、姐姐ジェジェはふたつ年下の私をこんな気持ちで見守っていたのかな……。

 けがれていない純粋な存在を前にして、年長の自分が護ってやらねばと気持ちが引き締まる。


 しばらくすると行列の先頭が団子屋の店先まで辿り着いたようだ。

 なぜそれが分かったかというと、店の前でふたりの男が言い争いを始めたからだ。

 ひとりが声を荒げて訴える。


「辺境の村はおそろしいところですよ、くれぐれも用心すべきです! 店の中で巴蛇はだがとぐろを巻いているかもしれません!」


 店先から響いてくる甲高いわめき声を聞き、幼い豆妹が目を丸くした。体をひねってチラチラと戸口のほうを振り返りながら、雪華に小声で話しかけてくる。


「喉を絞められた雌鶏めんどりみたいな声ね。男の人の格好をしているけれど、怒った時の奶奶ナイナイみたいな話し方」


 祖母に叱られた時のことを思い出したのか、豆妹が首を竦めながら感想を述べる。

 確かにそう……雪華は顔を曇らせた。


「あのわめいている人は宦官かんがんかもしれない」


「か……んがん? て何?」


 豆妹がきょとんとこちらを見返してくる。

 雪華は説明しようとして口を開きかけ、結局閉じた。

 以前、姐姐から教えてもらったことがある――皇帝の妃たちが住まう後宮には、生殖機能を有した男性は立ち入ることができない決まりらしい。こっそり妃に手を出されると困るから、という理由で。

 とはいえ後宮を維持するためには、女性だけでは困ることもある。たとえば皇帝のお世話係などは、女性よりも男性のほうが適しているだろう。そこで去勢した男性を中に入れることにした。

 去勢した彼らを「宦官」と呼ぶのだが、幼い豆妹に「宦官とは、生殖器を切断した男性のことよ」と包み隠さず教えるのもはばかられる。話したら話したで次は「生殖器って何?」ときわどい質問が続くだろう。姐姐がここにいたならば豆妹を納得させられるだろうけれど、雪華は上手く説明する自信がなかった。

 それから姐姐はこんなことも言っていた――「年を取った宦官の多くはふっくらしていて声が高く、ちょっとしたことで大騒ぎするのですって」と。まあ全員が全員そうではないだろうが、今店先でわめいている人は、姐姐から聞いた宦官の特徴に当てはまる。

 姐姐は顔が広く、様々な職種の人と交流があったので、都の裏事情もよく知っていた。だから義妹の雪華も、姐姐から情報をもらうことで、様々な知識を得ることができたのだ。

 けれど……色々と分かりすぎてしまうのも、それはそれで気が滅入るものね……。

 雪華はすでに面倒事の気配を嗅ぎ取っていた。

 行列を見た瞬間に想像した未来の中でも、最悪な出来事がこれから起こるかもしない。


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