第15話 端正な武官と話す
――ところで、店先で揉めている男ふたり――ひとりは『雌鶏のような声音の宦官殿』であるが、もうひとりは武官のようだ。実用的な剣を
こちらに背を向けているので顔は見えないけれど、ただ者でないのは確かだった。
背がすらりと高くて、佇まいが綺麗である。軸にブレがなく、立ち姿があれだけ整っているとなれば、隙を見つけるのが難しい。
雪華もそこそこ強いほうだが、あの後ろ姿を見るに、戦ったら負けるかもしれないと思った。丸太のような腕をした筋骨隆々の大男というわけではないのに、勝てる気がしない。
ふたりのうち、警戒すべきは武官のほうだな……雪華は油断なく瞳を細めた。
「とにかく」中年の雌鶏宦官殿がさらに声を張り上げる。「わたくしは油断することなく、村の
下賤な者たち、ね……ずいぶん無礼な客人だな。その下賤な者たちが納める税金で、君たちは日々腹を満たせているのでは?
雪華は気分を害した。あの宦官が都でどれだけ偉いのか知らないが、礼節をわきまえていない時点で獣と同じだ。目の前にいる山村育ちの生真面目な七歳女児のほうが、よほど人としてまともだぞ――いい大人が恥を知れ、馬鹿者。
店に入る前にピリッとさせておくか……雪華は椅子から腰を上げる。あの猛り狂った調子のまま中になだれ込まれては困る。幼い豆妹に悪影響だ。
そう考えて足を踏み出したところで、驚いたことに、興奮した宦官が懐から短剣を取り出すのが見えた。
おいおいおい……正気か? 雪華は目を瞠った。
すると武人が鋭く宦官を制した。
「待て――どういうつもりだ」
「わたくしは武道の心得がないですから、念のため剣を構えておこうと思いましてね! 素手では野蛮人に対抗できませんから! ああおそろしい!」
「かえって危ないからやめろ、盗賊の
「同じようなものです!」
「違うだろう、頭を冷やせ」
ふたりのやり取りを聞き、雪華は『おや』と思った。
先ほどまで武官のほうは声を潜めていたので、彼が何を話しているかは聞き取れず、どういう人物なのか分からなかった。もう片方のわめいている宦官の印象が強すぎたため、ふたりは同類なのだと雪華は考えていた。
ところが――こうしてふたりの主張がはっきり聞こえたことで、『同類』というのは思い込みだったらしいと気づく。
武官は宦官の暴走をいさめようとしている――もしかして話が通じる相手か?
雪華は彼らに近寄り、店の中から声をかけた。
「――店では争い禁止ですよ。お静かに願います」
面白いくらいに反応があった。
宦官は目を見開き、亡霊でも見たかのように顎をカクンと落とした。おそらく明るい戸外にいるせいで、外よりも暗い店の中がどうなっているのか、よく見えていなかったのだろう。雪華が戸口まで出て来て声をかけたので、やっとこちらの存在を認識できたらしい。
……まあ宦官の反応は想定内。
問題はもうひとりだ。
店のほうに背中を向けていた武官が、この時初めて振り返った。
――視線がからむ。
理由がよく分からないのだが、雪華は衝撃を覚えた。
真冬の朝、澄みきった小川に手を浸した時のような心地だ。凍えるような冷たさに指先が痺れ、思わずハッと手を引っ込める……あの瞬間に似た、驚き。
涼しげであり清廉でもあるけれど、それよりもまず硬質な感じが先にくる。
気高い狼のようだ……けれど驚くほど品が良い。瞳の奥に深い知性がある。
こんなに端正な人間を生まれて初めて見た。田舎の山村ではお目にかかれないとか、そういう次元ではない気がする。きっと
「――君が店主か?」
低く落ち着いた良い声だ。話す速度がどことなく
それにしても……「店主か?」か……困ったことになった。
この状況なら普通は、「君は店主の娘か?」と問うだろう。ところが彼は「君が店主か?」と尋ねた。つまり目の前の武官は、団子屋の店主が若い娘であることを把握しているわけだ。
雪華は慎重に口を開く。
「店主は私の姉です」
「名は?」
武官は本当にこちらの名を知らないのか、あるいはあえて質問することで真実を話すかどうかを試しているのか……。
「姉は
「我々は向燕珠に用がある」
ドキリと心臓が跳ねた。
姉に用……なぜ? 今朝早くに姐姐が消えたことと、この人たちの来訪――ふたつの出来事に何か関係があるのか?
「姉は不在です」
声が震えないよう気をつけなければならなかった。もしかすると聡い彼にはこちらの動揺が伝わっているかもしれないが……そんなことを考えていると、武官の視線が鋭くなった気がした。
「いつ戻る?」
「それは……」
言葉が出ない。いつ戻るか、だって? そんなこと、こちらが知りたい。
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