六、【小三】モチモチの木
五歳の豆太は、夜中に便所へ行くにも毎回祖父についてきてもらうほどの臆病者。
家の前に立つ「モチモチの木」には、「霜月二十日の丑三つ時に灯がともる」という言い伝えがあります。「勇気のある子供にだけ見ることができる『山の神様の祭り』だ」と、祖父は言います。
まさに霜月二十日の夜、祖父が腹痛で倒れます。豆太は必死で峠を下り、医者を呼びに行きます。その帰り道、豆太はモチモチの木に灯がともっているのを目にします。
回復した祖父は「臆病でも優しささえあれば、いざという時に何でもできるものだ」と笑うのでした。
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口語調の文章で書かれた物語です。方言まじりの語り口に、何とも味があります。
故に、朗読で聴く時に最も良さが出る作品なのではないかと思います。
前半部、豆太の臆病さについて書かれたパートはどこかコミカルです。怖がりで弱虫の、可愛らしい男の子がイメージできます。
それが一転、豆太が医者を呼びに行く場面の緊迫感たるや。
表に飛び出した豆太の眼前に広がる、一面の星空と一面の霜。夜の世界に圧倒されます。
冴えた空気の冷たさや、霜が刺さり出血した足の裏の痛みまで伝わってくるほどに、臨場感と疾走感のあるシーンです。
泣きながら走る豆太。その必死さと切実な思いが、胸を打ちます。
医者を連れてきた帰り道に、豆太の見た「灯のともるモチモチの木」。素晴らしい挿絵のイメージとも相まって、さぞ美しかっただろうと思います。
しかしこの木、なぜそんなに光って見えたのでしょうか。
豆太を負ぶった医者も同じ木を目にしたはずですが、反応は淡白でした。
勇気のある子供にだけ見ることができるという「山の神様の祭り」とは、いったい何なのか。
以下は私の想像です。
そもそも丑の刻に幼い子供が表へ出ること自体、稀ではないでしょうか。
彼の中で特別な感覚が開いた可能性があります。だから「山の神様の祭り」に通じた。
神様が豆太の思いを聞き届けて、祖父を助ける力を貸してくれたのかもしれません。山には人知を超えた力が宿っているものですから。
何であれ、豆太の勇気がもたらした結果です。
臆病は決して悪いことじゃない。
どんなに恐ろしくとも、泣きながらでも、大切なもののために一歩を踏み出す力こそが、真の勇気ですね。
作・斎藤隆介 絵・滝平二郎『モチモチの木』 光村図書『国語三下 あおぞら』 2024年発行版 p.122〜133
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