砕けたプリズム

ゆぴの

第1話

金色の空間に一直線に立ち上る小さな泡は水面に届いてはパチパチと弾けた。


「ふふっ。そんなにシャンパン見つめてどうしたの。」


乳白色の重厚なクロスがかかったテーブルの向かいに座り、組んだ指に顎を乗せた中年の男がケラケラと笑う。


「えっ、きれいだなって思って…。」


莉子は置かれたシャンパングラスから視線を中年の男、片岡に戻した。


「シャンパンの泡は真珠の首飾りって呼び方もあるんだよ。」


片岡は微笑みを保ったまま、少し自慢げに言った。


「そうなんですか。物知りですね。」


「まぁ、おじさんだしね。」


少し白髪の混じった黒髪は丁寧に整えられていて清潔感がある。スーツも見るからに上等な物だ。微かに香る香水は片岡が動く度にふわりと鼻をくすぐる。


片岡は莉子の周りにいる中年男性とは明らかに異質だった。


「さぁ、食べよう。初めてのデートだからね。楽しまないと。」


デート。


莉子はその言葉を聞くとぞわりと鳥肌が立った。


「そうですね。」


上手く笑えているだろうか。失礼な女だと思われて機嫌を損ねられては計画に支障が出る。この日のために普段行き慣れない百貨店で身の丈に合わないワンピースまで購入したのに。


莉子はハリボテの笑みを顔に貼り付け、フォークとナイフを手にした。


は一人暮らしだっけ?」


「はい。」


「大学行くために上京してきた感じ?」


「はい。」


「地元は地方のほうなの?」


「はい。」


前菜のサラダを食べていた片岡はクスクスと笑う。


「ゆかちゃんさっきから『はい。』しか言ってないよ。」


上手い子ならもっと気の利いた回答が出来るのだろう。だが生憎、莉子はそんな性分ではなかった。そして圧倒的に知性が足りなかった。


「すみません…。」


莉子は気まずそうにテーブルの上に並ぶ皿のふちを見つめる。


「まぁまぁそんな緊張しなくてもさ。そうだ、リラックスのためにゆかちゃんに良い物をあげるよ。本当は食後に渡すつもりだったんだけどね。」


片岡はそばに立っていた店員に目配せすると、店員はサッと奥に入り、手慣れた様子で高級そうな紙袋を丁重に運んできた。


「ありがとう。」


片岡は店員から紙袋を受け取るとそのまま莉子に渡した。


それは莉子でも知っているハイブランドの紙袋だった。


「え…。」


「プレゼント。ゆかちゃんのお気に召すかな?」


「開けていいんですか?」


「勿論。」


莉子は紙袋の中に入っていた箱を取り出し、膝の上で慎重に開封した。厳重な包装から現れたのはSNSの動画で見覚えのあるハンドバッグだった。たしか値段は20万円を超えていたはずだ。


「えっ、プレゼント…?えっ、あの、いいんですか?」


だって私たち初対面ですよ?と言いかけて、莉子は口をつぐんだ。


「いいのいいの。気に入ってくれたかな?」


片岡は手をひらひらさせながら笑う。


「はい、とても。ありがとうございます。」


莉子はハンドバッグを抱きしめながら深々と礼をした。昨日美容院で手入れしたばかりのロングヘアがさらりと肩から垂れる。


「硬いなぁ。」


普段相手にしている子はもっとはしゃぐのだろうか。もっと可愛げを出したほうがいいのだろうか。莉子はぐるぐると思考を巡らせる。


「じゃあそれは店にまた預けて、食事を再開しようか。」


「はい。」


莉子はハンドバッグを店員に預けると、シャンパンを口にした。


緊張で乾いた喉にシャンパンの泡が心地良い。20歳になったばかりで酒の味はわからないが、きっとこれも上等なものなのだろう。


あんなに高いバッグをもらって、こんな銀座の一等地にあるレストランでディナーをご馳走してもらって。


次に待っていることを考えると、莉子は血の気が引くのが手に取るようにわかった。


だが、後戻りはできない。


莉子は覚悟を決めるかのようにシャンパンを一気に飲み干すと、微かに震える手をぎゅっと握りしめた。

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