アリスとチシャネコと赤の女王
エレベーターの扉が開くとそこは湿度が溜まっていた。じめっとしており、気持ち悪い。それがミアの印象だった。彼女はローガンの死体があるであろう地下二階に降りてきていた。床には白い光を放つ照明が配置され、廊下は明るく照らされていた。壁には棺のようなものが埋め込まれていた。一つひとつネームプレートがつけられ、それが誰なのかを表していた。拳銃を構え、警戒しながら進む。引き金を引く決心はついていた。アリスの時のようなヘマはしない。ミアは心に誓っていた。長い廊下を抜け、扉を開けるとそこは広い空間になっていた。実験室のような空間だった。そこにはローガンの遺体があった。ミアはゆっくりと近づいた。扉が閉まる。彼女が即座に振り返るとそこには彼がいた。ノアがいた。
「カラビナ?」
「やぁ、ミア」
ミアの問いにノアは陽気な返事をした。
「何でここにいるの?」
ミアの言葉を気にもせず彼はゆっくりとミアに近づいていく。
「近づかないで」
ミアは拳銃を向けた。
「どいつもこいつもすぐ拳銃を向けやがる。その片手に収まるもので人の命を奪えるんだぞ? よくすぐ向けられるな」
「何でここにいるの」
ミアは聞いた。ノアはゆっくりとミアに近づいていく、彼女はノアと一定の距離をとる。ノアがローガンの死体に近づいた。
「なぁミア・ハーネス。赤の女王時の記憶はあるか?」
「ないわ」
「そうか」
ノアはその一言を言うと笑い始めた。ミアはその光景をただ見るしかなかった。
「あぁ悪かった。ミア・ハーネス。お前の旦那はこいつだ。昨日までこいつは生きてた。お前を探してたんだ。だがこいつはお前に殺された。愛を誓った相手に」
「何を言って——」
「俺の話を最後まで聞け!」
彼はノアじゃない。いつも見る陽気なノアではない。ミアは目の前にいるのが誰かわからなくなった。
「そうか。俺が誰かも忘れちまったのか、ミア。残念だよ。俺はノア・カラビナじゃない。俺の名前はノア・ハーネス。ローガン・ハーネスの兄だ。可愛い弟を殺されちまった惨めな兄貴だ。あの日、赤の女王が襲われた日、俺は記憶改竄部門に紛れ込んでいた。奇襲作戦の全容は一部職員しか知らなかった。その中に俺は入っていなかった。作戦が完了した後に知らされた。現記憶改竄部門の半数は誰だと思う? 元赤の女王メンバーだ」
ミアは言葉を失った。彼の言葉は彼女の予想の範疇を超えるものだった。だが彼女は冷静だった。
「で、あなたは何が目的なわけ?」
ノアはため息をつき、肩をすくめた。
「俺は記憶の改竄が嫌いだ。どうもいい気分がしねぇ。俺たちは何で記憶を変えてる? わかるか?」
「いいえ」
「俺たちは誰のために記憶を変えてる? 世界のため? お国のため? 愛した人のため? 何のためだ?」
ノアはミアに問いかけるがミアは答えない。彼は続けた。
「俺にはわからない。だからこそ俺は記憶の改竄は到底賛同できない。だから変革が必要なんだ。俺は実行できるまで息を潜めた。お前との記憶に取り憑かれた弟と一緒にな」
「何が言いたいの?」
「俺たち赤の女王は国家を転覆させる。そして全国民を解放する」
「それがあなたたちのユートピア?」
「あぁそこに俺たちのユートピアがある。認識されない全体主義も見出されることのない民主主義も正確ではない記憶も愛情もない。そこには自分の記憶も自分が見出した愛も全てそこにはある。それがユートピアだ。新しい時代だ」
ミアには身勝手な演説にしか聞こえなかった。ミアは今の国家とユートピアに一切不満がなかったのだ。そこに流れた一瞬の静寂を切り裂くように爆発音が響いた。ミアは無線機を取り出し、コールした。
「こちらハーネス。今の爆発音はなんだ? オーバー」
数秒の間を置き無線機が鳴った。
「こちらブルックス。所属不明の部隊が地下一階駐車場から侵入。ただいま特定中です。オーバー」
「こちらハーネス。アルファチームは敵部隊へむかい殲滅しろ。ブラボーチームは職員の避難誘導を。私もこっちを片付けたらすぐ行くわ」
「片付ける? 俺のことか?」
ノアがミアに言った。ミアは返答しない。ミアは拳銃をノアに向けた。
「ノア・ハーネス、最後に言い残すことは?」
「この期に及んで俺を殺すのか? それは間違いだね」
「なぜ?」
「おいおい、さっきまでの話を聞いてなかったのか?」
扉が開く音が響き渡った。ノアの声を遮るように。彼女が立っていた。アリスと思われる人物、ミアは銃口を反射的に彼女に向けた。
「アリス……」
「私はアリスじゃない」
彼女は否定した。
「いえ、あなたはアリスよ。私が間違えるはずがない。ねぇ覚えてる? 初日のランチタイム。あなたは私に初めて声をかけてくれた。一人だった、私に」
「うるさい!」
乾いた音が鳴り響いた。
「うわぁぁぁ」
アリスが放った弾丸はノアの足に命中しミアが同時に放った弾丸はアリスの腹部に命中していた。アリスは倒れた。
「アリス!」
ミアはアリスに駆け寄った。
「ごめんなさい」
ミアは冷酷だが残酷ではなかった。アリスはミアは手を伸ばした。
「あなたは最高の親友よ。仕方なかった。私の家族の記憶が人質に取られてた。全ての任務が完了した時、それを返してくれるはずだった。家族の記憶を取り戻したかった。だから——」
「一回忘れた記憶は戻ることはない。記憶喪失とは違う」
ノアが痛みに喘ぎながら言った。
「そんなわけない。私の記憶はカプセルに保管されてる」
「カプセル? 何を言ってる。そんなものはない。あぁそうか、お前も全体主義の犬だったな」
ノアが呆れたような笑みを浮かべた。
「どういうこと?」
ミアは理解できていなかった。
「あぁノアありがとう。あんたのおかげでわかったわ。クソ政府が畜生」
アリスの息が落ち着き始めた。ミアは脳を回転させ二人の会話を理解しようと噛み砕いた。理解するのは案外簡単だった。
「排気口から出れば逃げれるはずよ」
アリスは噛み締めるように言った。ミアは排気口を見つけ、蓋を力任せに取り外した。
「ミア!」
アリスは力を振り絞るように言った。
「一九四二年、それが全ての始まりよ」
ミアは何も言わず頷いた。排気口は埃っぽかった。どこからかわからないネズミの鳴き声も聞こえた。格子の下に所属不明の部隊の隊員がいるのが見えた。ミアはその兵装に見覚えがあった。ユートピアの特殊部隊だ。格子をゆっくりはずした。後ろに続いていたノアが痛みに顔を顰めていた。ミアは特に気にならず勢いよく天井の排気口から飛び降りた。その隊員の男が気づいた時には遅かった。ミアは足を彼の首に絡み付け、首を絞めた。男は腰に手を伸ばし拳銃を掴もうとするが取れない。ミアは彼が持っていたアサラルとライフルを奪い取り、頭に銃口をむけ発報した。ヘルメットで球が弾かれた。胴体にゼロ距離で撃ち込むが男は倒れない。首もヘルメットに阻まれ気絶するほど絞められていない。ミアは焦りを覚えながら男を手短に観察した。首にかけた足をうまく回転させ男を倒した。すかさず、男に近づきヘルメットと戦闘服の隙間を見つけ撃ち込んだ。銃口にはサプレッサーがついており、増援が来る様子はない。ピッという音が鳴った。ミアは音の出所を探す。無線機だった。だがそれはミアのものではない。男のものだ。腰についている無線機を見つけ、つけていたイヤホンを取り出した。
「こちらカヴェイン。こちらカヴェイン。地下二階の制圧を完了した」
地下二階アリスがいる階だ。無線の連絡は彼女の死を表していた。ミアの感覚からして排気口を移動して二階まで移動してきたろう。
「こちらランスロット。こちらランスロット。一階の制圧を完了した」
ミアは振り返り排気口から降りてきたノアを抱き抱え降ろした。
「よく俺を抱き抱えれたな」
「えぇ、血液が少ないんじゃない?」
ノアは鼻で笑った。ミアは彼を壁側に押さえつけ拳銃を向けた。
「アリスが言ってた一九四二年ってなんのこと?」
「おいおい、いきなりかよ」
ノアは手を上げながら拳銃を下げるように促した。ミアは渋々拳銃を下げた。
「あれは一九〇〇年が始まりだ。アリスが言っていたのはインパクトポイントのことで始まりではない。一九〇〇年にある組織が発足した。名前はCCA。非政府組織だ。彼らの任務は世界を裏からコントロールすることが目的だった。世界を滅亡させないこと、それが目的。ある時、CCAがあることを発見した。それは並行世界の存在だ。俺たちとは違う選択をした世界。それをもとに世界の未来を予見する部門、予見部門が設立された。予見部門は並行世界を観察することであることに気がついた。ある時期で並行世界はほぼ全てが滅びていた。この発見からCCAの活動目的は変化を始めた。それは並行世界のように滅びることを阻止すること。CCAは世界が滅びる時期を計算し、その時期をインパクトポイントとした。インパクトポイントは全部で三つ確認されている。これが大きなものか小さなものかわからない。カオス理論とでもいうだろうか。一九四二年、一九六二年、二〇四二年、この三つで人類は滅びかけた。ミア、お前はアメリカという国を知っているか?」
「アメリカ? 知らない」
彼女は繰り返した。
「一九四二年、理論物理学者はあるものを生み出した。それは一つ目の世界が滅びる要因だった。CAAはそれを処理、隠蔽しようとしたが遅かった。全世界にそれは普及していた。一九六二年それが理由で第三次世界大戦が勃発する可能性が高まった。そこでまた新たな組織が発足した。彼らはCAA職員たちだ。CAAが第三次世界大戦を阻止しようとする中、彼らは第三次世界大戦が進化の過程だと考えた。彼らはこう名乗った、赤の女王。と、彼らは、進化し続けなければならないと考えていた。止まってしまえば我々は滅亡してしまう」
「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない。鏡の国のアリスでしょ」
ミアは言った。
「あぁ、赤の女王仮説だ。彼らはそこから名前をとった。国の軍拡競争、人類の軍拡競争を進化しなければ我々は絶滅してしまう。だがそれも阻止されてしまった。記憶改竄部門によって、次は二千四十二年。ミア、わかるか? 今年は二千四十二年。あぁこれだよ。世界が滅びてしまう原因は記憶改竄部門の解体。だが我々にとってはチャンスだ。このままにしておけば彼らの計画は成功するだろう。世界はありのままの姿になり国家間での不信感が高まり、これが世界の進化へとつながる。この進化で世界の滅亡を止める。滅亡を進化で止めるんだ。それが俺たちの、ローガンの望み! 記憶での統制からの脱却。我々は支配からの脱却を目指す革命軍、赤の女王だ。我々は何百年前に誕生し、木の枝に座り、果実を貪り食っていた。我々は進化し椅子に座り、世界のあらゆる情報を貪り食っている。これからは我々は革命に座り、記憶を食う時代だ。我々は進化する。我々は統制から脱却する」
「この悪魔。それを実行すれば今の社会は混乱に落ちる。そうなれば何人の一般市民が命を落とすかわからない。他国との戦争にもなりかねない。」
「悪魔? 救世主と呼んで欲しいね。必要犠牲と言うやつだ」
「ローガンはそんなこと望んでない」
「何を言ってる? ローガンを誰が殺した! 銃か? お前か? 記憶か? 記憶が殺したんだ。記憶による統制。記憶による感情の支配。記憶による思想の支配。ミア、お前は何も悪くない。だから、俺たちと来い。この統制から抜け出すんだ」
彼の情緒は不安定だ。ミアはそれに顔を引き攣らせた
記憶改竄部門 睡眠欲求 @suiminyokkyu
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