正夢
大鐘寛見
フラッシュバック
これは僕がアルバイト先で知り合った安藤さんから聞いた話です。
僕が安藤さんと知り合ったのは僕が20歳のころです。
安藤さんは僕より一つ年上で、僕とは同じ時期に働き始めた新人同士でした。
コンビニのアルバイトだったので、暇な時間に少しずつ話すようになり、少しずつ僕たちは仲良くなっていきました。
安藤さんは当時大学3年生で、現役で大学に合格した後、2年生から3年生に進級する際に、1年間の休学を挟んで復学と同時にこのコンビニで働き始めたようでした。
僕はデリカシーが無いと分かっていながらも、休学理由を聞きました。
これが少し不思議な話でしたので、皆さんにもお話させてください。
結果から言いますと、安藤さんの休学理由は精神病になったから、というものでした。
しかし、安藤さんは僕が感じた限りですが、世間一般で言うところのメンタルが弱い方というよりは、むしろ明るく体育会系という印象を強く受けました。
どうして精神病になったのか、僕はその原因が気になって聞いてしまいました。
それは安藤さんが大学2年生になって少し経ったころに始まったそうです。
梅雨の影響で雨が連日降り続き、安藤さんはあまりテンションが上がらない日々を過ごしていました。
大学までは自転車で通学をしていたようで、雨ガッパに身を包み、その日も雨の中を自転車で登校していました。
そして、信号待ちをしている間、顔についた水滴を拭こうとして、目を閉じた時でした。
突然、頭の中につい先ほど通ったばかりの道にある電柱に細い腕を巻きつけた、子供?のようなものがいる光景が浮かんできたらしいのです。
安藤さんはあまりホラーは得意ではないらしく、嫌な妄想だな、と感じながら一応後ろを振り返り先ほど頭に浮かんだ場所を確認しました。
もちろん、そんな不気味な存在がいるわけもなく、ただただ普段の光景が広がっているだけでした。
その日はそのことをすっかり忘れて、19時ごろには帰宅したそうです。
それから3,4日ほど経った日のことでした。
天気は相変わらずの雨だったそうです。
その日は講義が昼からだったそうで、安藤さんは昼食を食べてから家を出たようでした。
そして、家の鍵を閉めた時、ふと目にゴミが入ったような痛みを感じ、少し目を閉じたみたいなのですが、その時、安藤さんが先ほど食べていた昼食に切り離され爪の剥がれた指が入っているという光景が浮かんできたらしいです。
何度も言いますが、安藤さんはホラーが得意ではなく、スプラッタ映画やグロテスクなコンテンツは普段見ない方らしいので、何かそういう普段見ているコンテンツから連想されてきた訳では無いと思います。
しかし、指の断面と剥がされた爪から出る生々しい血のイメージはグロテスクな映画を見ているようにリアルだったと言っていました。
家を出た瞬間からそのような嫌な光景が頭に浮かんだ安藤さんは、そのとき先日の電柱から覗く不気味な子供の妄想を思い出したそうです。
またあの妄想を見てしまったら嫌だなと感じつつ、安藤さんはいつもと同じ道で大学に向かっていました。
そして件の電柱に差し掛かったときです。
一瞬ですが、視界がブレてあの子供の姿が見えたといいます。
子供は電柱に背中を向けて、そこから腕を背中側に伸ばして、電柱に巻き付いていました。
そして、顔は安藤さんの方を向いていました。
大きくてぐりんとした目が安藤さんを見つめ、鼻はなく、口はぽっかりと空いた穴のようだったと語っていました。
安藤さんはそれ以来、その電柱を通ることが怖くなってしまい、その道は避けて通るようになりました。
しかし、それからも安藤さんはそのような嫌な妄想を一週間に二、三度のペースで見てしまうようになったそうです。
そして、その妄想を見た場所を見ると、一瞬だけ視界にその妄想の光景が映るようになってしまったそうです。
どこにいても、何をしていても、ふとした拍子に数秒前に見た光景に何かしらの不気味なものが映り込むという現象は徐々に安藤さんの精神を蝕んでいきました。
そして、ある日、安藤さんはとうとう仲の良かった友人に対して、その不気味な妄想を見てしまったようです。
友人と講義の合間に少し談笑をしていたらしいのですが、目が急に痛くなり目を閉じてしまったそうです。
その時、友人の顔が焼け爛れた様な光景が頭に浮かび、安藤さんは「またか...。」ともはや慣れてしまって、友人に「大丈夫。」と声をかけながら目を開きました。
すると、友人の顔が焼け爛れていました。
安藤さんは思わず、「うわあああ!」と叫んでしまったそうです。
講義室に残っていた学生たちが驚いて安藤さんの方を見つめるなか、その友人も心配して安藤さんに声をかけてきたらしいのですが、人の叫び声のようなノイズが聞こえてうまく聞き取れなかったそうです。
かろうじて「許されない。」とだけ聞き取れたそうですが、安藤さんはその日以降その友人のことを避けてしまったそうなので、ご友人が本当は何を言っていたのかは定かではありません。
流石に生活どころか、交友関係に支障をきたしてしまったため、安藤さんは近くの神社にお祓いをしに行ったそうです。
よくあるような、「うちでは手に負えない。」と言われることもなくすんなりと事は進み、無事お祓いも終わりました。
その日はこの嫌な現象が始まってから初めて安心して眠れたそうです。
しかし、3日ほど経ったころ、安藤さんは再び妄想を見てしまったそうです。
その日は悪夢という形で見てしまったようです。
目が覚める直前の意識が微睡んでいる時間に急に足を引っ張られる感覚がしたそうです。
そして、足元を見ればベッドの下からガリガリに痩せた茶色い腕が伸びて、安藤さんの足を掴んでいたそうです。
安藤さんが飛び起きて足元を見ると、安藤さんの足を掴みながら微笑んでいるお婆さんがいた、と語っていました。
その日から安藤さんが嫌な妄想を見る頻度は徐々に上がっていき、3年生に進級するころには1日に2,3回は見る様になっていました。
それと同時に不眠症になり、外に出ることすらも怖くなっていたそうです。
安藤さん曰く、「あの頃は常に誰かに見られている気がした。ベッドに横になったら、誰かが俺の腕とか足を掴もうとしている気がして、落ち着かなかった。人と会うのが怖くなった、特に目が怖かった。覗き込まれている様な感覚があった。」らしいです。
そうしてそのことを家族に相談し、今度はお寺や神社ではなく精神科を受診し、1年間休学して休養することになったそう。(どのような診断がなされたのかは、安藤さんが語らなかったため分かりません。)
しかし、この決断が安藤さんの状況を悪い方向にも良い方向にも進展させました。
一人暮らしをしているときは、友人たちを避けていればほぼ人と話さなくても良かったらしいのですが、安藤さんが実家に帰ってからは、毎日家族と顔を合わせますし、会話もします。
すると、ほぼ毎日、焼け爛れた顔の家族が安藤さんにノイズの混じった声で語りかけてくるのだそうです。
例えば、「逃げられない。」だとか、「償え。」だとか。
もちろん安藤さんに何か犯罪歴や、許されない様なことをしたという過去はありません。
しかし、焼け爛れた顔で茶色い皺皺の腕を伸ばして「逃がさない。」と言われるそうです。
もはや妄想の域を超えて幻覚と化していました。
そして、その幻覚は少しずつ安藤さんの日常に侵食し、ついに1日の半分ほどを幻覚を見ながら過ごす様になったそうです。
常に誰かに足や腕を掴まれ、食事には目玉や爪、歯などが入っており、家族はギョロついた目で安藤さんを覗き込みながら、「許されない。」と囁きました。
安藤さんは完全に気を病んでしまい、自殺まで考えたと言っていました。
しかし、死のうと考えると皺皺の腕が安藤さんを呼んでいる様な幻覚や、時には子供、時にはしゃがれた声で、「おいで。」だったり、「償え。」と囁く声が聞こえたそうで、怖くなって死ぬのをやめたそうです。
そう言った幻覚、幻聴に耐えて過ごしていたある日、突然今までの感じとはまた違った夢を見たそうです。
というのも、今までは皺皺の腕に掴まれる夢だっのですが、その日の夢はその腕から逃げながら必死に階段を上へ上へと登る夢だったそうです。
安藤さんは夢の中で下から「逃げるな。」「許されない。」と叫び声が聞こえる中、汗だくで階段を登っていたそうです。
そして、現在までずっとその幻覚と幻聴には悩まされて続けているとのことでした。
僕は好奇心から安藤さんに「今はどれくらいのペースでその幻覚や幻聴が聞こえているんですか?」と聞きました。
安藤さんは微笑みながら「もうずっと。」と僕に言いました。
「ずっと、誰かが耳元で囁いているし、ずっと、誰かが俺を見つめて、俺の足を掴んでいる。でも、これは幻覚だって、分かってたらなんてことないよ。それに、最初はね、普通のと幻覚とが切り替わってたから片方しか見えない、聞こえないっていうことが起きてたんだよ。もう馴染んだから、ほら、両方見えるし聞こえる。な?分かるだろ?」
とのことでした。
安藤さんは「ごめん、忘れて。」と言ってまた笑いました。
安藤さんはその日以降夜勤になってしまい、シフトが被らなくなりました。
そして、いつのまにかアルバイトの名簿からは名前がなくなっていました。
彼は生まれる前の光景をフラッシュバックしていたのかもしれません。
もしかしたら、階段を登る光景は地獄から逃げている最中の光景かもしれないですね。
だから「逃げるな。」「許されない。」「償え。」と聞こえたのかも。
そしていつしか、逃げきれなくなってしまったのかな、なんて思いました。
正夢 大鐘寛見 @oogane_hiromi
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