拝啓、戦場にいるお父さまへ

立木砂漠

拝啓、戦場にいるお父さまへ

 アルドリッド辺境伯家の本宅。日当たりの良い執務室には大きな執務机がある。

 その大きな机に似つかわしくない、小さな令嬢がクッションを三つも載せて座っている。令嬢の名前はリリアーヌ。今年8歳になるアルドリッド辺境伯の一人娘である。


「やったー書けたわ!」



『はいけい、お父さま

 お元気ですか? わたしは元気です。

 お父さまがせんじょうにむかわれて、おうちが広くかんじます。

 ですが、アランたちがよくしてくれるので、さみしがってはいけないでしょう?ですから、お父さまのるすをまもれるよう まいにちおべんきょうをがんばっています。

 お父さまごぶうんをおいのりしています リリアーヌ』



「おうちを広く感じる」なんて最高に大人びた表現だと自分では気に入っている。

 リリアーヌは書きあがった手紙を何度も読み返してうなずいた。アランに作り方を教わった押し花と一緒に封筒にしまえばそれで完成だ。



「アラン、これをお父さまに宛てて」


 アランはこのアルドリッド辺境伯家の老執事だ。お父さまのお父さま、ようするにおじいさまの代からこの辺境伯家の執務を補助し、今のような有事の際には家を回してくれる敏腕執事でもある。手下にはハワードと言う見習い侍従もおり。領主の父が不在でもこの辺境伯領は彼らがつつがなく経営している。


 リリアーヌの母はリリアーヌが3歳のころはやり病で亡くなった。

 そして、父はこの国の将軍で、数々の武功を上げてきた生粋の軍人だ。

 今は東部の紛争を収めに第三王子の共として三ケ月前から戦場に出向している。約一年ほどかかるだろうと言われているが、それはあくまでも予測であって実際はどのくらいかかるのかはわからない。




 3週間後、父からの返事が来た。


「あいする、リリアーヌへ

 さみしい思いをさせてすまない。父はきょうもがんばって てきをたおしているよ。

 うちを広く感じるなんて、いつのまにそんなおとなびたひょうげんができるようになったんだ。かわいいリリアーヌ。そんなに早くおとなにならないでほしいと父はおもいます

 きのう、せんじょうで子犬をひろいました。ここではそだてられないからリリアーヌがこの子のおねえさんになってくれるとうれしいです 父より」


 リリアーヌはいつものように椅子にクッションを三つ置いて執務机で手紙を読んでいた。目の前に、アランに抱きかかえられた犬がリリアーヌを見ている。アランは老執事とは言うものの体格は元傭兵のそれで普通の人よりも大きい。それなのに抱えられた犬は足がついている。


 ――でかい。


 手紙を置いて犬の側に立ってみた。お座りをしている犬は8歳である自分と同じ背である。


「ねえ、アラン。この犬大きいわね」

「ええ、大きいですね」

「子犬だそうよ」

「……へぇ」


 犬は大人しく座ってリリアーヌと目を合わせている。真っ白でふわふわでたいへん愛らしい顔をしていた。


「わたしこの子のお姉さんになるわ」

 アランはうんうんと二回うなずいて犬の頭を撫でた。

「でしたらお嬢さま、まずは名前を決めねばなりませんね」


 犬はマズルを上げてワオーンと吠えた。

『我はフェンリル、犬ではない。風を司る女神の眷属けんぞくぞ。小さき生き物よ。そなたの父に言付かりそなたを守護するために来たのだ』


 リリアーヌとアランは突然しゃべりだした犬に固まる。


「アラン。戦場の犬はおしゃべりができるの?」

「わたしも長い間生きてきましたが、初めてです。さすが旦那様の犬」

「そうね、お父さまの犬ならしゃべるわね」


 フェンリルは犬であるのを否定したのに、相変わらず犬だという二人を目を細めてにらんだ。

『犬ではない……ふぇんり「そうね、アルバスなんてどうかしら」

『……』

 フェンリルがなおも主張している間に、名前はアルバスに決定した。リリアーヌはその首に腕を回して抱きしめてみる。

「……臭いわ」

『ぐぅ』

 フェンリルは耳をへにょりと倒して、その場に突っ伏した。その様子がかわいらしくてリリアーヌは声を上げて笑った。

 フェンリルはリリアーヌの笑顔がかわいらしくて、もう犬とかどうでもいいかと、大人しく風呂場に連れていかれた。



『しんあいなる お父さま

 お元気ですか? わたしは元気です。

 おくってくださった子犬はアルバスという名まえをつけました。

 おしゃべり好きでとても元気な子です。かれはとてもかしこい子です。

 さいきんではいっしょにおべんきょうをしています。

 いま、にわでたくさんのお花がさいています。わたしはお花が大好きです。リリアーヌ』



『なぁ!リリアーヌ!遊ぼう!ボールか? ボールだな? それとも綱引きか?』


 手紙を書くリリアーヌの横で尻尾をぶんぶん振りながら、机にあごを乗っけているのはアルバスだ。アルバスが鼻息を荒くするたびに、手紙がそよそよと揺れる。


「今お父さまに手紙を書いているのよ。大人しく待ってて アルバス」

 リリアーヌがわざと怒った顔をして見せると、アルバスはしっぽをうなだれさせ、しょげて見せる。わかりやすい反応にリリアーヌは怒り顔を保てず笑ってしまった。


「書き終えたわ、そうね。ボールで遊びましょう でも、その前にお勉強が先よ?」


 リリアーヌがお姉さんぶってそう言うと、アルバスはボフンっという音を立てて子供の姿になった。年のころはちょうどリリアーヌと同じ8歳くらいだ。


「アラン、これをお父さまに宛てて」


 クッションを重ねた椅子から降りると、二人は仲良く手をつないで執務室を出ていった。アランたちはその後姿を見送る。


「最近の犬は、人になるのでしょうか」

 侍従ハワードがつぶやくと、老執事アランはそれを思いっきり否定した。



『あいする、リリアーヌへ

 アルバス いい名まえだね リリアーヌはセンスがいい。

 どんなおしゃべりをしているのか、父もいっしょにききたいです。

 父は東の森にきています。いろんなところから矢がとんでくるけれど、木がいっぱい生えていてとてもいいところです。いつかリリアーヌとピクニックがしたいなと思いました。

 リリアーヌがお花を好きだとおしえてくれたので、お花のタネをおくります。

 どんな花がさいたか、おてがみでおしえてください。父より』




 リリアーヌはつばの広い帽子をかぶり、庭師のトムに花壇まで案内されていた。その後ろで尻尾をそよそよさせながらアルバスがついてくる。

 庭師のトムは父の送ってくれたタネだからと、庭でも一番日当たりのいい真ん中の花壇を用意してくれた。


「ねえ、トム。このタネはどんな花が咲くのかしら?」

 リリアーヌはてのひらのうえでタネを転がす。タネと言うよりガラス玉のようだった。きらきらと光り角度によって色が変わる。とても不思議なタネだ。


「いやぁ、わしも30年庭師をやっておりますが見たことのないタネですじゃ」

「そう」

 トムが案内した花壇につくとリリアーヌは丁寧にタネを埋めた。なんだかワクワクする。


「こんなにきれいなタネだもの、きっと素敵な花が咲くわ。楽しみ」

 トムに手渡されたジョウロを両手で持って水をかけた。


『なんだか、懐かしい匂いがする』

 アルバスはクンクンと花を植えた場所を匂っていた。


「そうなの? なら白いお花かもしれないわね」


 トムはあっけにとられてその様子をみていた。しゃべる犬としゃべるお嬢様……だが、生け垣の向こうで老執事アランが手信号を送っている。自分はこの家で30年務めてきてきたのだ、三人目の孫も生まれたばかり。このくらいで動じてはならないと自分に念じる。トムはそっと遠くを見た。


「そうですね、早ければ一週間くらいで芽が出るでしょう」

「そうなの?すごい」


 アランが拍手のジェスチャーをしている。


「水やりの時は呼んでください」

 リリアーヌはとてもいい笑顔でうなずいた。



 その後、リリアーヌは人型のアルバスと、犬型のアルバス。交互に庭を駆けまわって遊んだ。トムは何度か目をこすってみていたが、二人……いや一人と一匹か。はそんなことには気にせず声を上げて笑っている。



「はいけい、お父さま

 お元気ですか? ケガなどされていませんか?

 わたしとアルバスとウィリディスは元気です。

 お花のタネありがとうございます。にわしのトムにおそわっていっぱいおせわをしました。

 とっても大きくなって今では私とアルバスが木登りしてあそぶくらいよ。

 こんどトムがブランコをつくってくれるとやくそくしました。

 そう、ウィリディスは木の名まえです。こんなにきれいな子をみたのは はじめて。

 すぐになかよくなりました。

 そういえば、ピクニックのためにじょう馬のれんしゅうをはじめたのよ お父さまととおのりできる日をたのしみにしています リリアーヌ」



 辺境伯邸の庭に一晩で大きな木が生えた。

 たいがいのことには驚かない辺境伯邸の侍従たちもその成長の早さに驚いた。そしてなにより驚いたのは、成長した木のうろに8歳くらいの男の子が眠っていたことだ。光の角度で色をかえる白銀の髪と長いまつ毛。神の采配と思われるほど整った顔立ち。そして特徴的なのはその耳の形だった。


 ――とがっている。


「アラン。どうしましょう。わたしのお花が子供を産んだわ」

「ええ、これは間違いなく子供ですね」

 アランとリリアーヌは膝を抱えてその子供を見守った。

『なんと。聖樹の森のエルフじゃないか』

「え?アルバスは知っているの?」


 アルバスは眠る子の頬を人差し指でつつく。


『あぁ、彼らは妖精の王とも呼ばれている。緑の森の眷属だ』

 リリアーヌはアルバスを真似て指を伸ばす。だがその指は頬に届く前につかまれた。

 眠っていた子がゆっくりと目を覚ます。若葉のような緑色の瞳がリリアーヌたちを見る。

『うるさいな 君たちは誰?』

 その声はとてもかわいらしい。

「はじめまして。わたしはリリアーヌ。こちらのじいはアラン。そしてこっちはアルバスよ。大丈夫?」

 リリアーヌの早口に男の子は驚いて目を見開く。だがその表情すらかわいい。

「あなたとってもかわいいわね。わたしのお花が産んだ子なのだから。あなたはわたしの家族よ」

 若葉色の瞳が揺れてすがるようにアランを見上げた。アランはしっかり、ゆっくりとうなずいた。なるようになれのうなずきだ。

『ありがとう?』

「どういたしまして、でも、名前がないと不便よね。そうね……ウィリディスなんてどうかしら」

 リリアーヌは目を輝かせてウィリディスを見つめる。

『あ、はい』

 ウィリディスはなんだかよくわからないが邪気のないリリアーヌの圧に流されることにした。

「ところで、あなた裸なのだけど……恥ずかしくないの?」

『え?』

 アランが颯爽とどこからかともなくタオルケットを出してウィリディスを覆い隠した。かろうじて大事な部分は葉に隠されていたので見ることはなかった。アランが言うには男の子らしい。




「あいする、リリアーヌ

 わたしは元気だよ。おし花をありがとう。こんな色の花がさいたのですね。

 とてもきれいだったからみんなにじまんしたよ。 

 ウィリディスか。とてもかっこいい名まえだね。またかえるときのたのしみができたよ。

 ところで、じょう馬なんてだいじょうぶか。しんぱいだな

 とっておきのうまをおくるからそれでれんしゅうするといい

 リリアーヌくれぐれもケガにはきをつけて。あいしています 父より」



 ウィリディスの木はぐんぐんと伸びてトムのはしごではブランコが掛けられなかった。代わりにウィリディスがつるを伸ばしてブランコをつくってくれた。ウィリディスは少し不思議な子だけれど、かわいらしいからすべて許されている。


 お父さまの手紙にあった馬が到着したのは、手紙が届いてから1週間後だった。さすがに荷物と一緒には送れなかったみたいだ。


 3人は手をつないで厩舎きゅうしゃに行った。

「マシュー。おとうさまのお馬さんはどこ?」

 厩番うまやばんのマシューは白髪の好々爺で、馬のお世話だけではなく調教もできるベテランの厩番だ。そんな彼が少し落ち着かない様子だ。

「ええっと、そちらに」

 マシューはなんだかあいまいな笑顔を浮かべて視線を厩舎に向ける。リリアーヌはうなずいて厩舎の中へ入っていく。


 するとそこには輝くような白い馬がいた。


「まぁ、この子ね!」

 リリアーヌはそっと白い馬に近寄った。白銀色しろがねいろのたてがみににごりのない白い被毛。オニキスのような黒い瞳は優し気な光を宿していた。リリアーヌは意を決して手を伸ばしてみた。馬はゆっくりと頭を下げてその手に鼻面を押し付ける。

「わぁ、素敵。とてもやさしそうな子だわ」

『あぁ、乙女よ。そなたは純潔か』

 馬からは大人の男の人のような声が聞こえてきた。リリアーヌは驚いてアルバスやウィリディスの方を振り返る。

「一言目がそれか。くそ変態駄馬め」

 ウィリディスが悪態をついた。

「野に帰そう。リリーに似つかわしくない」

 アルバスが鼻の頭にしわを寄せて怒っている。

「どうしましょう」

 リリアーヌは助けを求めるようにマシューを見る。マシューはわかりやすくひいっと声を上げて驚いた。

「あ……あの。そうですね……あの」

 

 (よく見てくれ、その馬呼ばわりしている馬の眉間にらせん状の角があることに気づいてくれ!)

 マシューは念波をおくったが三人には届かなかった。

 もしかしたら馬の方が話が分かるのかもしれないと、マシューは馬の方に向き直り人差し指を眉間に添える。

(お嬢様はまだ八歳です。純潔で間違いありません)

『ほほー素晴らしい。美しく聡明で、純潔。リリアーヌ 君は素晴らしい淑女しゅくじょだ』

 白い馬は機嫌よさそうに頭を上下させた。

「だまれ、変態駄馬」

 ウィリディスが吐き捨てるようになじる。アルバスに至っては言葉もなくうなっている。


「せっかく、お父さまが送ってくださった馬なのよ。仲良くしましょう。そうね……呼び名がないから駄目なのよ」


 リリアーヌは腕を組んで考える。

「そうだわ。ヘンデルなんてどうかしら」

 リリアーヌはキラキラとした目でユニコーンを見上げている。

 マシューは驚いて目をかっぴらく、先ほどから口が悪い男の子が “変態駄馬” と呼んでいるその名残が名前に残っているからだ。ギギギ……と音が出そうなぎこちなさでユニコーンを見やった。

 ユニコーンは鼻息をフンっと吐くと。

『乙女の名づけだ、受けよう』

 と言った。

 ウィリディスも、アルバスも良い名まえだと笑っている。

 リリアーヌは得意げな顔でユニコーンの頬を撫でた。


「あらヘンデル。あなた角があるのね。不思議」

「旦那様の馬ですから」

 いつの間にか横に立っていた老執事アランがそう言ってうなずいた。

「そうね、お父さまだもの」

 マシューは二人が会話をしている間にユニコーンにくらを付けた。この国で初めてユニコーンに鞍を付けた男になった。


『はいけい、おとうさまへ

 お元気ですか? 

 アルバスとウィリディス、ヘンデルとわたしは元気です。

 馬の名まえはヘンデルにしました。とてもやさしい子です。

 このまえはじめてヘンデルにのりました。

 みずうみはしんとすんでいてきれいですね。

 帰ってきたらそこでピクニックをしましょう。

 もうすぐ冬なので、いまは冬じたくをしています。

 ウィリディスが言うにはことしの冬はさむくなるらしいのでいっぱいまきをよういしました。

 お父さまもおからだにきをつけて リリアーヌ』



 リリアーヌは羽ペンをくるくるまわしながら、湖はしんと澄んでいるなんて詩的だわと自賛していた。

 湖へは辺境伯領邸から半日以上かかるのだが、ヘンデルだと数時間でついてしまう。

 最近はピクニックの現地調査もかねてヘンデルたちと楽しく領内を走り回っている。


『純潔の乙女よ。今日はどこへ行こうか?』

 どういう質量変化なのか。大きなヘンデルもなぜか執務室まで入ってきている。

『その呼び名変態臭い。変態駄馬め』

 ウィリディスは執務机の前に置いてあるソファでごろごろしている。

『山か!山に行くか! 枝を集めるか!』

 アルバスは相変わらず、リリアーヌの横で手紙に鼻息を吹きかけている。


「そうね、雪が降ると山は立ち入り禁止になるから、そうなる前に山に行きましょうか?」


 リリアーヌはクッションを敷いた椅子から降りて、アルバスとウィリディスの二人の手を引いた。

『無念。わたしのひづめも握りしめてほしい』

『黙れ、ヘンデス』

 ウィリディスがべッと舌を出した。

『山!山だ! 俺が一番立派な枝をひろう!』

 アルバスは人型なのに尻尾が仕舞えないほど興奮していた。

 リリアーヌはクスクス笑って皆を見ていた。




『かわいい リリアーヌ。

 もう馬にのれるようになったのか。すばらしいな。

 みずうみはわたしもリリーの母といったことがある。空をしずめたような青い色がきれいなばしょだった。リリーとも行きたいと思っていたよ。

 父はもう2どとてきがこの国におそってこないようにてっていてきにやりかえしています。たたかいではせんいをそぐのが一番たいせつなことなのですよ。

 アルドリッド辺境伯領の冬はさむいからあたたかくすごしてください。

 かぜにきをつけて、あいしています 父より』



 リリアーヌは手紙を持ってくるくると回っていた。

「素敵、空を沈めたような青い色ですって!」

 手紙を胸に抱いてふぅっと柔らかなため息を吐いた。

「そうね、アルバスは初雪の白ね。ウィリディスは雲みたいな白。ヘンデルはヘンデルの白は……どうしましょう。もっと勉強しなきゃ!」

 アルバスとウィリディスの二人が笑って、ヘンデルがうなだれている。


「あの、お嬢様……」

 アランが何かを抱えていた。もごもごと動いているのはトカゲのようにも見えるが、それにしては少し大きい。

「旦那様から暖かくすごされるようにと一緒に贈られてきたようです。子トカゲでしょうか」

 アランの腕から抜け出した子トカゲはしゅたりと4本足で立つと小さくボワッっと炎を吐き出した。

「まぁ、お父さまったら手紙にはなにも……でも素敵。あなたはミルクみたいな白いうろこを持っているのね。瞳は琥珀のようにきれい」


『我は火口より生まれし、火の山の眷属!子トカゲではないドラ「そうね、火が吐けるなイグニスなんてどうかしら」

 リリアーヌはいつだってマイペースだ。


『我はドラ「イグニスは嫌かしら?」

 リリアーヌが小首をかしげて子トカゲに詰め寄る。瞳がウルウルとしていて言葉に詰まる。

『……良い名だ』

「よかった、あなたも今日からわたしの家族よ」

 リリアーヌは子トカゲ改め、イグニスを抱き上げてくるりと回った。

「とっても温かいのね。あなたホットミルクみたいよ。これからみんなで山へ行くのよ。イグニスも来るでしょう?」

『あ……あぁ』

 イグニスは遠い目をしてうなだれた。リリアーヌの強引さには誰も勝てない。




 そこへアランの手下。侍従ハワードが乱暴に執務室へ飛び込んできた。

「アランさま!お嬢様!大変です。国境に五百の兵が現れました」


 その進軍は隣国がこの国の将軍である父から娘を強引に人質にとるための精鋭部隊だという。

「ならわたしを狙っているのね」

「いまこの領に残っている戦力は、東部の紛争に参加できなかった傷病兵と、治安維持のための兵のみです」

 将軍の留守を突く卑怯なやり方に、ハワードは机をたたいて悔しがっている。


「おのれ。ならば元傭兵軍の軍団長である私が蹴散らしてくれようか!」

 アランがいつもはきれいにまとめてある前髪をぐちゃぐちゃとかきまぜて、鬼のような顔で怒りに震えている。ロマンスグレーの見事な男っぷりではあるが8歳児にはわからない。


「まぁまぁ。お父さまから留守を守ると約束したのはわたしだわ。アランはちゃんと領民を守って。ここはわたしが頑張らなくちゃ!」


 侍従ハワードが驚いてリリアーヌの顔を見る。どう見たって8歳、幼い令嬢が五百の訓練された兵にどうやって立ち向かうというのか。

 だが、リリアーヌはパンっと手を叩いて話し合いを終わらせる。アランとハワードの視線を集めながらリリアーヌは三つ重ねたクッションから降りた。


「アルバス、ウィリディス、ヘンデル、イグニス 今日のお出かけは国境に決まったわ!」

 ピクニックに行くような、口ぶりでリリアーヌたちは出かけていった。



『はいけい、おとうさま

 おげんきですか? こちらはみんなげんきです。

 あたらしい子はイグニスと名付けました、とってもあたたかくて強い子ね。

 アルバスもウィリディスもとっても大きくなったのよ。

 はやく会っておどろかせたいわ。

 わたしはお父さまとのやくそくどおり、しっかりるすをまもっています。

 おとうさまもごぶうんをおいのりします リリアーヌ』


 リリアーヌは手紙から顔を上げて、目の前で遊んでいる三人の男の子とユニコーンを見る。

「あなたたちって本当はとっても大きかったのね」


 先日のアルドリッド辺境伯 国境防衛戦は主にこの子たちが一方的な蹂躙を行った結果、勝利を収めた。


 生きて返った敵国軍の兵士たちは震えながら語った。

 小山のような白い犬が大風を吹き、蔓が生き物のようにうごめいて仲間を縛っていった。戦場ではユニコーンに乗った少女が兵たちを攪乱かくらんし。そして、最後に火を吐くドラゴンが現れて辺り一面が焦土と化したそうだ。控えめに言っても戦場は地獄だったという。


 その戦線は一〇年後、戦場の白い死神たちという二つ名を与えられる少女たちの初陣となった。


 だが今はまだ、ただの8歳の令嬢だ。




 冬が過ぎて、春が来て。

 一年もかかった東部紛争が終結した。


 父たちが帰ってくる。

 リリアーヌは皆の方に振り返って頬に手を当てる。


「お父さま、国境を燃やしちゃったの許してくれるかしら。怖くてお手紙に書けなかったの」




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拝啓、戦場にいるお父さまへ 立木砂漠 @deserttree

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