第20話 本土

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 彼女が島を去って二週間後────


 軍の機関において彼女の処遇が決まったということで、その詳細を聞くためと、時期外れの休暇を兼ねて私は本土の軍基地を訪れていた。


 そして、確定したを受理するために。




「────まぁ、この程度の処分で済んで良かったよ」


 ……基地の敷地にある一般向けのレストランのテラス席にて、私と将校殿は向かい合って食事を済ませ、のんびりとお茶を飲んでいた。将校殿の傍らには、私への処分を通告する軍からの書類が丸めて置かれていた。

 店の前の閑静な道には、夏らしい薄着をした男女が腕を組みながら歩いているのが見える。非番中の兵士だろうか、オープンカーに乗ったサングラスの男が通りかかって、店に立ち寄っていた。

 これが本来、私もいるはずだった普通と呼ばれる世間……そう思いながら久しぶりに訪れた本土は、記憶の中のものとそれほど違いは無かった。私が見ていないからといって、世間は劇的に進行したりしないらしい。


「寛大な計らいに感謝いたします。このお礼は、必ず……」

 私が彼にそう言うと、

「別に構わんが……。そうだな────ここの勘定は、君持ちということでチャラにしようか」

 将校殿は、穏やかにそう答えた。


 こんな食事など、幾らにもならないだろうに。

 相変わらずお人好しな人だ。


 こんな飄々然とした人が軍内でそれなりの地位にいるのだから、今持って世界は平和なり……ということだろうか。

 私自身は彼が聡明で有能な人間である事に一片の疑いも無いが、それは誰にでも理解できる類のものではないだろう。きっと、普段の彼のやる気無さげに見える姿ばかりを注目して、無能呼ばわりする手合のほうが多いに違いない。尤も、私が知らないだけで実はとてつもなく狡猾な人なのかもしれないが──。

 或いは……軍の上層部には、彼の有能さの本質を正しく理解している者がいる、ということなのだろうか。


 だとすれば──、世界というのは、とも言えるかもしれない。


 ──私の職務規定違反は、最終的に「報告内容の不備」という程度で済まされることになった。実害が無かったための寛大な処分ということだろう。

 だが同時に、難民を預かる身でもあるため些事であっても疎かにしてはならん、という厳重注意もあった。処分を決める会議に於いては、もっと厳しい処罰をという声も挙がったそうだが、私は臨時雇いの予備役であり階級も仮のものである身分のために、降格処分というのもさほど意味が無い。

 なにより……クビにしようにも、軍内では担い手のいない辺境の灯台守を進んで買って出てくれる奇特な人物という扱いで、おまけに背後関係も実績も申し分ない「都合の良い人間」…………簡単に放り出すわけにいかなかったのだろう。

 ならば、一時左遷ということにしよう、と意見がまとまったらしいのだが────


「────他のどこを見ても、あそこ以上の僻地勤務など無い、ということに連中も気付いて……最終的に、左遷先は櫓島灯台に落ち着いたよ、はっはっは」


「……いいんですか? そんな事で……」

 あまりの顛末に思わず、雑な受け答えをしてしまい……少々気まずくなり、私は紅茶カップを口に運んで誤魔化した。

 だが、将校殿はそんな事は気にもとめずに、

「本音を言えば、軍部も喜んでいるのだろう。の内情を進んで語ってくれる貴重な人物を得たのだからな。それに……風穴を開けるなら銃でも経済でも無く文化で、というのは誰であっても共通の認識だよ」

 そう言って微笑んでいた。


 彼の言う文化、という部分でそれとなく気づいた。

「お読みになりましたか……? 彼女のを──」


「あぁ。君のEssayエッセーに勝るとも劣らない、なかなかの読み応えだった。あれなら、資料としてだけでなく読み物としてもがあるだろう────」


 それを聞いて私はほっとしていた。

「そうですか……。それは、何よりです」


 彼女が帝国に渡ってからの仕事として、何か適当なものがないか……私は、そう考えていた。

 天華民国の内情を語るだけの人間では、すぐに価値を失ってしまうだろう。我が国からの支援もあるだろうが、彼女自身、幾らかでも食い扶持を稼げる手段があればと思い、物書きとしての才能を将校殿に伝えておいたのだが、どうやらお眼鏡に適ってくれたようだ。

 異文化を伝える読み物というのは今でも世界中で根強い人気がある。彼女のもたらす異国の様式をつぶさに伝える著作物は、今後長い期間────むしろ、戦争が終結した後の時代になってから花開く可能性が高いであろう。


 彼の話では、ロアンの帝国籍の入手はすんなりと行くであろう、と伝えられていた。外交ルートを通じて得た情報では、彼女のもたらす情報は帝国にとっても有益である。それは、両国の和解と戦争終結に益するものであるとも伝わっていたからだ。



 ……だが、将校殿のについては別に聞かされていた。

 こんな面倒な手続きを経ずとも、私が彼女と籍を入れてしまえば連合王国の戸籍や身分など簡単に手に入る、と。

 そして、そのほうが余計な手間と予算を費やさなくて済む、とも。



「正直な所、彼女はあのまま島に置いておいた方が良かったんじゃないかとさえ……思ったものだがね」

 そうして……何やらとんでもないことを言い出した、将校殿。


「いや、そういうわけには……いかんでしょう?」

 私が、やや呆れ気味にそう言うと、彼も負けじと困ったような顔をして……。

「そう言うがね、君は…………まぁ、見ていないわけだから無理もないが────」


 …………?

 彼女が、何か粗相でもしたのだろうか。


「……あの子を乗せて水上機が離水した後……窓から島を見ながら、しばらくは黙っていたが────部下が水を向けると機関銃のごとく捲し立て始めたよ……。いやはや、あんなに喋る子だとは思わなかった」


「あ、ははは…………」

 私の口からは、乾いた笑いが漏れていた。


「最初は……まぁ、亡命者としての節度に沿った口上を述べてくれたのだがね……あぁ因みに、それは『そう言いなさいと君から教わった』と言っていたよ」


 ──ロアン……そこは言わなくていい部分ですよ?

 まったく、最後まで気を揉ませてくれる。


「賢いが、気の強い子だねぇ。『大人しくて従順だ』と君の報告で聞いていたのだが……随分印象が違ったので流石に驚いたよ、……はははっ」


「恐れ入ります」

 私は、軽く頭を下げて彼女の非礼を詫びた。


「君のことも話していたよ。やはり……歳が離れているとはいえ、だ。付き合いの長い私などより、余程君のことを理解していたようだが?」

 そう言って、将校殿は愉快そうにこちらを流し見ていた。


 だが、その視線には気づかないふりをして、私は再び紅茶のカップを手に取り口に運んでから、間を置いて適当に聞き返してみた。


「つまらない男だ……とでも、言っておりましたか?」

 

「いや…………ただ、『女にここまで言わせておいて……』だの、『彼は私の気持ちを分かっていながら、その上で見捨てた』だの、『甲斐性の無い冷血な男』だのと、散々罵っていたよ……?」


 う…………

 ぐさりと、心に何かが刺さったような気がした。


 肩を落とす私を見て、将校殿は愉快そうに笑っている。

 滅多に見せない私の内面を見て、それが可笑しいのだろう。


「だがね……。ひとしきり不満をわめいたあと、急に静かになってね」

「はぁ……」


「しばらくしてから、ぽつりとこぼしていたよ……」


 将校殿は意味ありげに、その先を言わなかった。

 これが、彼の誘い水だということは長年の付き合いで分かっている。

 そして、いつもの私は素知らぬふりをするのだが、流石に……ここで聞かないわけにはいかないだろう。


 諦めてため息を付き、私は彼の誘いに乗ることにする。

「彼女は…………その、何と?」


 すると将校殿は、

 珍しく寂しそうな表情になり、同じく小さくため息を付いて、続けた。


「『それでも、あの人と一緒にいたかった……』と」


「…………」

 また、ちくりと胸が痛んだ。


「その後は本土に着くまでずっと、さめざめと泣いていたよ────」


「……ロアン」

 彼女のその姿を思うと、胸が締め付けられる思いがした。


 将校殿は、紅茶の入ったカップを口に運んでから、続けた。

「──基地に着いてからも、相当に軍の担当の手を焼かせたそうだぞ、彼女は。……いやはや、皆も不思議がっていたよ?」


 そう言われ、私はちらりと将校殿に目を向けた。


「……『あんなが、どうやってこんな跳ね返りの女性の心を掴んだのだろう?』……と」


 なんだか、変なところで私も有名になってしまったようだ。

「…………」

 そして、私はそれには答えず黙っていた。


「その点には、私も同感だね────」

 将校殿は、そうニヤリと笑って意味ありげに私の顔を見た。


「……別に、特別なことは何もしていないのですが」

「本当かね?」


 それは本当の事だ。

 自分の職務を全うしたまで、いや……職務からもかなり逸脱していただろうか。

 そういう意味では、特別だったのだろう。

 だが、多少の規定違反はあっても人道に反することはしていない。人として、いや……自分の素直な気持ちをそのまま実行に移しただけのことだ。決して褒められるようなことではない。


「……初めて見た者を親だと思ってしまう、雛鳥のような心理なのでしょう」


 そう言って、あくまでも捻くれた回答をした私に、将校殿はなんともいえない表情をしていた。

 そして、そのまましばらく黙ってお茶を飲んでいたが、また思い出したように将校殿は話し始めた。


「あぁ……そうそう。彼女が、君の連絡先を知りたがっていたが、教えても構わんかね?」


「直接の連絡は……どうなんでしょう? 機密保持の観点でも、止めておいたほうが無難な気がしますが──」


 新たな身分を手に入れたなら、過去のつながりはなるべく絶ったほうが安全だろう。かつての彼女はもう、この世に存在しないことになるのだ。文字通り、別な人間として生きることに────

 しかし、ここで私との繋がりまでも絶たれてしまったら、彼女はこの先つらい日々を送ることになってしまうのかもしれない。


「手紙くらいでしたら……基地で取り次いでいただければ、島に転送してもらって構いません。私の方でも……たまに手紙くらいは、書こうと思います」


 すると将校殿は、歳相応の親心を感じさせる面持ちで言った。


「うむ、それがいいだろう。……これから彼女は、真の意味で世界を知ることになる。見たくないものも、同様に見なければならないだろう────心の支えくらいは、残しておいてやったほうがいい」


 ……滅多に見せない彼の顔。

 こういう部分が彼の本当の顔なのではないかと、私はいつも思う。


「そうですね……」


 すると、将校殿はふふふっ、と軽く笑い、

「案外、帝国で別な男を見つけて、早々にくっついてしまうかもしれんが────」

 そう言って、将校殿はまた意味ありげな顔を私に向けた。


 でも、もうその手には乗りませんよ……?


「……そうなってくれれば、私も気苦労が減って助かるのですが」

 ぶっきらぼうに私がそう言うと、将校殿は苦笑したような変な吹き出し方をして、

「君が言うと、冗談に聞こえんな……」

 そんな事を言う。だが、


「もちろん、冗談ではありませんから」

 私は、端的にそう答えた。

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