第19話 迎え


 昨夜、あれほど苛烈な感情を見せた彼女だったが、今日はいつもとさほど変わらぬ様子で、旅支度を済ませていた。

 なにか、夜の幻でも見せられたような心境でもあったが、下手につついてまた泣かれでもしてはいけないと思い、そんな彼女を私は少し離れて見守っていた。


 ……明日は担当将校殿が、彼女の身柄を受け取りに島にやってくる。

 その際の手続きを円滑にするため彼女に、軍関係者に会った際には一応の感謝と口上を述べるようにと、助言しておいた。実際に手続きに携わるのは、組織人とはいえ末端の人間のやることだ。気分よく進められる方が、後々に影響せずに済むことだろう。


 支度を進めている彼女に餞別として、蔵書の中で欲しい物はないかと尋ねた所、私が書いて書籍化された例の本を、彼女は望んだ。意外な要望だと思ったが……或いは、私に対するなけなしの忖度でもあるのだろうと思い、その本を書棚から取り出し手渡した。

 この島に流れ着いたときと同じように……彼女はその本を丁寧に包んで、着替えの間に挟んでしまい込んでいた。


 昼を過ぎ、部屋で最後の食事を彼女と済ませていると、水上機から無線連絡が届いた。私はその連絡に応答し、彼女を促して運搬車に乗せ海岸線の岸壁までおりていった。


 小さな岸壁に着いて、海を見ると既に水上機は島への進入コースに乗っており、着水を始めていた。いつもより、少し大きな機体──荷物だけではなく、人を乗せるための配慮であることが伺えた。

 見る間に近づいてくる……これから乗る機体を見ても、彼女の表情は晴れなかった。


 接岸を終えた水上機から、将校殿がおりてきて私に見慣れた笑顔を向けた。


 形ばかりの敬礼と答礼を済ませ、

「ご面倒をおかけして、申し訳ありません」

 開口一番、私は彼にそう伝えた。


 だが、水上機から岸壁に身軽に飛び移った将校殿は、気にした風でもなく私の手を取り握手をして、

「君の方こそな……。頻繁にあることで無いとはいえ、こういう事態は往々にして起こり得る。……私は、いい判断だったと思うよ」

 そう、労ってくれた。


「恐れ入ります」

 私は再び頭を下げる。


 水上機からは、彼の部下と思しき兵士が物資の荷下ろしの準備を始めようとこちらを伺っていた。そんな彼らに、将校殿は簡単な指示を出して作業を始めさせていた。


 彼らの作業を見守りながら将校殿は、私に静かに言葉を続けた。

「……だが、頭の硬い軍の連中の方はそうもいかんだろう。いずれ、君にも召喚命令が下ると思う。その時は……まぁ、追って連絡するとしよう」


「分かりました」


 経緯はどうあれ、私のやったことは職務規定違反だ。

 彼の言う通り、後ほど軍からお達しがあることだろう。


 兵士達は、次々と荷物を降ろしてくる。私はそれを受け取り、書類との照合を済ませて運搬車の荷台に積み上げ、溢れた分は脇に並べて積んでおく。

 その作業があらかた終わったところで、私は将校殿にそれとなく声をかけた。

「……彼女の詳細については、お渡しした書類にまとめてあります。不明な点があれば、後ほど」

「ああ、ありがとう」


 我々のその会話の区切りを見計らって、彼の部下が声をかけてきた。

「少佐! 物資搬出、終了しました!」

 それに軽く手をあげて、彼は部下に次の指示を与えていた。

「あぁ、ご苦労。彼女を乗せて、離水準備を始めてくれ」

「はっ!」


 その部下の姿を目で見送ってから、こちらに向き直り、

「……慌ただしくてすまんが、今日はこれで失礼するよ。本土こちらに戻ったら、その時に改めて……一緒に食事でもしよう」

 そう言って、再び握手を求めてきた。

「はい、ありがとうございます」

 私も答えて、手を取る。


 補給物資の荷下ろしが終わり、将校殿の部下の兵士に促され、少し離れて立っていた彼女はタラップに向かった。


「ロアン……」


 私の呼びかけに、彼女は立ち止まった。

 彼女のそばに歩み寄り、私は彼女を見つめる。


「……お元気で。向こうで落ち着いたなら、連絡をください」


 こんな時、何と言ったら適切なのか……考えてみたが、人付き合いの薄い私に碌な言葉は出せなかった。


「はい……ありがとうございました。貴方も、お元気で」

 そう言って言葉を返した彼女は、やや諦観を滲ませていたが、それでも微笑んでいた。握手を交わし、彼女は機内に消えていった。


 すべての手順を終えて、水上機を留めていた係留索を外すと兵士がタラップを外して機内に収納していた。エアステアを閉める間際、将校殿がこちらに軽く敬礼を送ってくれた。

 それに、私も答礼する。


 エンジン音を響かせて、彼女を乗せた水上機はあっさりと飛び去っていった。


 その機影を遠くに見送っていると、少し遅れて得体の知れない寂寞感と馴染みのない後悔が、自分の身を苛んでいった。無意識に、ため息も漏れていた。


 今まで、漂流者をこんな気持で島から見送ったことなどあっただろうか、と。

 ここを離れれば、きっとより良い暮らしが待っていると、今までなら信じて疑わなかったのに。彼女にとっては、これが幸せな前途に向かう道なのか、私には今も確信が持てないでいた。


 だが、日々は間違いなくこれからも続いていく。


 私一人がどんなに頭をひねろうとも、世界は素知らぬふりで過ぎ去っていくものだ。これまでも、そしてこれからも────


 補給物資を満載した運搬車に乗り、私は灯台までの道を再び戻り始めた。

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