第16話 月光

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 ふと、目が覚めて私は寝台を起き出した。

 島は夜の静けさに包まれている。風も無く穏やかで、波の音も聞こえない。

 どうやら、今夜は満月のようだ。

 窓から差し込む灯りが、それを告げていた。


 気配を感じて部屋の外を見遣ると、暗がりの先にロアンが歩いて灯台の方へと向かっているのがちらりと見えた。

 ……彼女も、眠れないのだろうか。



 ────間もなく、時が来る。

 彼女が島に流れ着いてもう二ヶ月が経とうとしていた。

 期限である軍の定期便が島に来るのは、もう来週のことだ。

 彼女の処遇の結論を、出さねばならない時が迫っている……。



 通路をくぐり、頭上に煌々と輝く灯台の明かりを避けるように設けられた、通用口──そこを通って展望台のような監視台に出ると……眼前に、月明かりに照らされた海の景色が広がる。 


「ロアン……。ここでしたか……」


 月明かりに照らされた監視台の上に彼女の姿を見つけ、私は声をかけた。


「リカルド……。はい、なんだか目が覚めてしまって」


 私も、静かに彼女の隣に歩み寄り、手すりに凭れながら空を見上げた。


 大きな月が、天から光を降らせている。

 遥か水平線の上には、どこの国のものともしれない船の明かりが静かに水面を滑っていくのが見えた。

 視線を巡らし、足元の小さな島に目を向ければ、昼とは違った姿を浮かび上がらせていた。命の気配の薄い荒涼とした島にも見えるが、私にとっては命を繋ぐ……世界に遺された最後の楽園のようでもあった。

 夜の明るさに目が慣れてくると、まるで夜行性の動物にでもなったように景色を見通すことができる。真夜中に目が覚めた時の、ちょっとした楽しみだ。


「こうしていると、世界の中に……二人だけみたいですね……」

 彼女は、そんなことを言った。


 確かに、そうかもしれない。

 そして、今までならそんなことを思うこともなかった。


 私がこの島に暮らすようになって、もう十年にもなる。

 既に孤独の恐怖は失っていたが、やはり自分も集団で生きる動物の末裔であることを思い出させるような、不思議な不安を感じることはあった。だから、自分が一人だとかここが海の孤島だとかは、努めて意識はしないようにしてきた。


「ええ、夜は特に……そう感じる事が多いです」

 私は、静かに彼女にそう答える。


 だが、今は二人であることが、却ってその孤独感を増長しているような気がする。

 この感情は、あまり良くないものかもしれないな、と不意に思っていた。


 思えば誰かとこれほど長い期間、一緒にいたことなど無かった気がする。母親でさえ、物心ついてからは一緒にいないことの方が多かった。

 翻って、この漠然とした寂しさが人間らしさとするならば、決して悪いものではないと今では思える。だからといって、誰かを感じながら日々を過ごす生き方が自分に向いているとも思えなかった。

 私は一人で生きていくのが適切な人間なのだ。

 彼女が去って一週間もすれば、きっとに戻れるであろう。



 (戻れる……筈だ)



 ……彼女とは、もう終わりの見えた関係だ。

 情に流されるようなことがあっては、きっとこの先の灯台守としての人生は辛いものになってしまうであろう。


「ここに来てからの毎日は、本当に新鮮な感動ばかりでした──」

 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、彼女は気にもとめない様子で話している。

「世界は確かに開かれている。そして、まだ知らないことが無限に広がっている……」

 夜の海を見つめたまま、彼女は言葉を紡いでいる。


「私、海に出て……良かったです」


 言葉とは裏腹に、彼女の本心はわからない。

 ここに来てから後ろ向きなことは殆ど言わなかった彼女だが、国と家族を捨ててきたという事実は、彼女の胸に重くのしかかっているはずだ。

 だが、それ以上に彼女の心に喜びが生まれたことは間違いないのだろう。なにかを偽っている者に、この澄んだ笑顔は決して映し出せないであろうから──。


「……私も」


 夜のせいであろうか、月明かりで見る彼女が美しかったからであろうか──。


「あなたとの日々は、楽しいものでした。……世を捨てたつもりになっていた私に、あなたが新たなかぜと見識を与えてくれたことは……間違いありません」


 思いがけず私は、口をついてそんな事を言ってしまっていた。


 良くないな、と思い直し

 浮足立ちそうになる自分を押し留める。


「……私はこの灯台島で、これからも書き綴ることを続けようと思います。あなたも、どうか……書くことを止めないでください」


 そして、自分の中に芽生えた気持ちを誤魔化すために、創作というものを言い訳として引き合いに出してしまっていた。

 ……創作の神がいるのなら、私に苦言を呈したかもしれない。


「もちろん、続けますよ? これからも、ずっと────」


 そんな私の逡巡には気づかずに、彼女はそう言って私に微笑みかけ……夜風に吹かれる髪を撫でていた。




 ……………………………………………………




 私は時計とこよみを確認する。

 ……担当将校殿は今日、平常勤務のはずだ。今の時間なら夜勤を終えて軍の自室で寛いでいることだろう。


 ────私は、自室に隠しておいた衛星電話を取り出した。

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