第15話 民主主義
「……悲しいことですが」
二人の間に、沈黙が訪れる。
しばらく間をおいてから、私は続けた。
「……ですが、結局は私もそちら側の人間なのでしょう。そんな世俗が嫌で目を伏せて……こんな島に引きこもっている。おまけに、そんな世間の恩恵にあやかって生きているのですから────」
「あなたは違うわ……!」
そんな私に、彼女は言う。
「あなたは、自分の役割を全うしている。誰にも知られない場所で、人知れず海の安全を守っていたじゃないの……!」
その言葉に、私は苦笑して答えた。
「海の安全を守っているのは灯台です。私は、おまけですよ……。私でなくても、代わりなどいくらでも────」
「そんな事無い!」
彼女は、立ち上がって力説する。
「こんな海の果てで、たった一人で居続けるなんて……誰ができるというの? 他の人間はすぐに逃げ出したのでしょう? 貴方でなければ、出来ないことなのよ……?」
将校殿の話では、そうらしい。
灯台守任期の最長記録更新中だというのが、嘘でなければ。
「私を、救ってくれたのも────あなたでなかったら、私はきっと国に送り返されていた」
それはそうなのかもしれない。
だが、そこまで明確に祖国を捨てる決断ができたという彼女が、私にはどこか不思議でもあった。少なくとも、祖国を侮辱することには毅然と反論する、それくらいの愛国心は持っているはずの彼女が。何不自由無い暮らしを送っていたのに、そこに対する未練の全く無い様子の彼女が────。
かの名著に導かれたというのはわかるが、あの書を読んだ者がすべて彼女のようになるわけではない。裕福な者なら、なおさらだろう。
不適切かもしれないという躊躇もあったが、私は彼女にその事を尋ねてみた。
すると彼女は、
「──貧富が……幸せを決めるわけではありません。私が言えることでは、ないのかもしれませんが」
そう言って、自身の境遇を語り始めた。
「資本家の家に生まれるというのは、辛いことでもあるのです。たとえそれが、誰かの羨望の対象であったとしても」
おそらく、事情を知らない誰かが彼女の言を聞いたら不遜に思うことだろう。結局は、金持ちの我儘であると。
「それは……分かります」
私は、自分の立場を照らし合わせてみる。
私のこの灯台守という立場を聞いて、羨む者は少ないだろう。憐れんだり蔑んだりする方が圧倒的に多いはずだ。
だが、私はこれを恵まれた立場、天職だと思っている。
生き方の価値は、誰か他人が決めるものではない。体験価値とは何者にも侵されない最後にして唯一の尊厳でもある。本来、自分の境遇の幸不幸は自分で決めるものであるはずなのだ。
きらびやかな姿だけに目を向ける者は、例えばロイヤルプリンスに生まれることに憧れるかもしれないが、実際の王族の日々は決して市井の民が思うような愉快なものではないはずだ。徹底的に縛られた、自由など一切無い檻のような人生。財産など何の意味も無いと思ってしまうこともあるだろう。
「……結婚相手も、私の人生には親の決めた相手しか用意されていませんでした」
よく聞く話だ。
彼女も、やはりそうであったのだろう。
生まれた場所で咲くのが尊いとする教義もあるらしいが、それは他人の都合で押し付けられたものでもあるはずだ。
「二人いる姉も、政治と権力維持の名の下に親の決めた家に嫁がされました。唯一男児であった、兄は……進んで政治の世界に身を投じましたが、それも自ら望んだものだったのか、今では疑問もあります」
人間としての尊厳、自由の意志……それらやむにやまれぬものに突き動かされて、彼女は海へ出たのだろう。
「私たちは、生まれながら道が決まっていたのです。他の生き方など……ありませんでした」
彼女の境遇を聞きながら、私は自分の立場を顧みていた。
……私は、愛人の子として生まれたが、その生きてきた過程は自由そのものだった。それこそ、世間の蔑んだ視線など気にもならないほどに。経済的に恵まれていたということもあっただろうが、幸いだったのはむしろ……制約が無かったという事の方だろう。
「────逆らうなら、お前は一族として認めない、とも」
生きる場所を選べないというのは、どこの世界にでも存在することなのだろう。そして、それに疑問を挟むことは大抵の場合、許されないのだろう。
「誰もが理不尽だと思っているはずなのに、大衆の心理はなぜか不可思議な働きを見せます。立場が下の者に対して、どこまでも残酷に、高圧的になっていくのは……人間の根源に通ずることなのかもしれません」
…………私には、そんなありきたりな答えしか言えなかった。
それがたとえ、自分の子であったとしても────
私は、まだ本土にいたときのことを思い出しながら、そう答えた。
仕事の上司、学校の教師、学友同士のヒエラルキー、そして……親。
「悲しいことですね……」
彼女は、ぽつりと言った。
理不尽を感じたら、それに反論し立ち向かう。
私も彼女もそう思う人間なのだが、残念ながら皆がそう思うとは限らない。
理不尽な……卑怯で利己的な振る舞いを目の当たりにした時、それをけしからんとは考えずに自分もそうしたいと考える者は……意外と多いのだろう。
どんなに取り繕おうとも、我が身可愛さに勝るものはない。
いくら正義の合理性を騙ろうとも、結局はそこに行き着くのが人間なのかもしれない。
正義など、何処にでも転がっている。
それぞれの思う、自分勝手なそれぞれの正義が……
要は、それに賛同する者が多いか少ないかの違いでしかないのだ。
そう言う意味では、この世は真に民主主義なのかも知れない────
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