第14話 死者と戦争
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また別な日には、意外なテーマについて話し合うこともあった。
止まったマスには、社会保障に関することが書かれていたのだが、議論が白熱し脇道に逸れまくっていった結果、何故か戦争の功罪という内容にまで話が及んでいた。
「──いえ、私も戦争を是としているわけでは無いのです」
私が慌てて弁解するが、
「そう言っているように聞こえるわ?」
彼女はそれでも納得していないようだった。
……今夜の彼女は少し怒っていた。
無理もなかろう。
「……『結果として人の死ぬ数が減る』こともあるという意味です。下策であることには私も同意です。戦争など、外交の失敗の結果ですから」
私が、理由を述べれば────
「では、何故?」
そこに彼女は鋭く切り込んでくる。
納得のいかないことには、とことん追及の手を緩めないのが彼女だ。時に一つのテーマだけで一晩終わってしまうことも珍しく無かった。
「その……天華民国での内情は、詳しくはわかりませんが……」
「いいわ、続けて頂戴」
彼女の姿勢は、腰を据えて話を聞こうとするものだった。
「……はい。我が国では、近年深刻な問題に直面しているのです。そのために、社会民主主義などという回りくどい政策を取らざるをえなかったとも、言えます」
彼女は私をじっと見つめながら、黙って頷いて聞いている。
「経済が豊かになったのに、我が国ではそれに反比例するように……自殺者の割合が増えていったのです──」
自殺者、という言葉を聞いて彼女の表情にも影が差したのがわかる。
「絶対数が極端に増えていったというわけではありません。ですが、交通事故や労務災害、病気などの死因に比して自殺者の割合が急激に増えてしまっているのです。他の死因は経済の発展に伴って劇的に減っていったというのに……」
「裕福であるのに、自ら命を断つのですか……?」
彼女の疑問に、私は答える。
「当人でない私に、確たる事は言えませんが……。皮肉なことに、戦時中は自殺率はとても低かったという事実があります。一概に、状況や貧富だけが影響しているとはとれません。しかし事実として、過去の戦時中に無くなった人の数より今の社会で自殺している人数の方が……圧倒的に多いのです」
「戦時中のほうが───死者が少ない……」
私は、重々しく頷いた。
「他国から見れば裕福かもしれませんが、我が国の中で見れば貧民層というのは一定数いるのです。ですがこの場合、本質はそこですらないのかもしれません」
「それは……?」
「はい……。自殺者の内訳を見ると、必ずしも貧民層に属する者が多いわけではないのです。むしろ、富の分布から見ると中間層に集中していると言えるデータもあるくらいなのです」
「貧しさに耐えかねて、命を断つわけではないのですか……? 一体どうして────」
「はっきりしたことは、わかりません……、ですが──」
そう言って躊躇する私に、
「いいんです、あなたの見解を聞かせてください」
それで構わないと言った感じで、彼女は私に続きを促してきた。
「……私の国では、治安の悪い場所を除けば、むしろ裕福な家庭の子ほど軽微な窃盗などの犯罪を犯します。ハイクラスな学校に通う生徒ほど、その傾向が強いのです。薬物の乱用も、多いと聞きます」
「………?」
彼女は、不思議そうな顔をしている。
「裕福、なのよね? なぜそんなことをするのです?」
好ましい反応だ。
元来……人とはそういうものであったはずなのだ。
彼女は重ねて聞いてきた。
「……お腹が空いていないなら、盗む必要など無いはずなのに。誰か別な人に施すために、そんなことを……?」
……話していて、自分が恥ずかしくなる思いがした。
私が今話題にしたのは、もっと別の娯楽品や装飾品を狙った類の窃盗のことだ。しかし彼女は、明らかに食べ物のことを言っている。
貧しく狂偏的な思想の国だと思っていた相手にこそ、このような無垢なる正義が今も残り息づいている。……いつから自分の国はこんなふうになってしまったのだろう、と王国の内情を思った。
「……その人たちは自分の憂さを晴らすために、或いは虚栄心を満足させるために他人の物を盗みます。具体的に、盗った物には興味など無いのです」
私自身はそんな気持ちになったことがないので、はっきりとした事は分からないが、雑踏に紛れて店から物を盗むというのは、スリルと満足感を得られる行為らしいのだ。
「転売目的、でもないのですか?」
「はい。ただ盗んだ、という優越感と満足感だけが目的です。仲間内で、より悪いことをした人間がヒエラルキーの上になるような空気も、あるのでしょう」
我が国の空気感の中では、物欲や金銭目的で盗むのは主に粗暴な「犯罪組織」のやることであり、個人的な単なる窃盗というのはどちらかというと……平和な暮らしに膿んだ心理がもたらすものであるらしいのだ。
おそらくだが、彼女の言うように捕まった犯人が食べ物だけを盗んでいたとしたら……私の目にはそちらのほうが異常に映ることだろう。
「……我が国では『
そう私は続けて、その空気を醸成していると思われる要素について語っていく。
「……??」
聞いた彼女は、ますます不思議そうな顔をしている。
「それなのに、依然として貧しい人は多く存在します。厳然とした、貧富の差も」
────もともと、我が国も自由資本主義に則って発展を遂げてきた。そのうち、国民総中流などと言われるようになり多くの者が当たり前のように好景気を享受できるようになっていった。
だが経済が複雑化先鋭化してくると、今度は貧富の差が大きくなり国が富んでいるのに飢えて死ぬ者が現れ始めた。
政府はそういった事が起こる度に、社会の仕組みの微調整を繰り返してその場を取り繕ってきた。
しかし遂に、社会の仕組み……資本主義経済そのものに限界を見出し抜本的な見直しを迫られ、我が国は今のこの制度を取り入れた。
『社会民主主義』という、世界でも最先端……と謳われている社会制度だ。
画期的に見えた制度だったが、実際には問題をより深刻化させるほうが顕著だったように思う。
最低限の保証を金銭の形で支給しているため、元々あった様々な社会保障制度は見直され、これまで目につかなかった部分の社会的弱者まで顕著化させ、そういった人々は一層追い詰められることにもなった。
立ち回りの器用な者は、この政策転換に乗じて暮らし向きを変えたケースもあったが、結果「より器用に」「より
特筆すべきは、「食べることに関して保証されている」と声高に喧伝されたことにより、餓えない事を当たり前と捉える心理が悪い意味で定着してしまい、人々はそれを幸せなことと感じることができなくなっていってしまった、ということだ。かつては、慎ましくも食べていけるならそれで幸せと……そう思っていた者たちにまで、病的な思想は蔓延していくことになってしまった。
このベーシックインカムという制度は画期的に見えて……その実は、必要な人間とそうではない人間を区別してしまうという負の側面を持っている。
社会を運営していく為に、能力の高い人間というものが以前も今も変わらずに必要とされている。問題は、無理な仕事をさせられたり能力の高い人材を無駄に遊ばせていたり、という仕事内容と能力、或いは労働希望者数と雇用枠のミスマッチが多く発生していたことでもあった。
この制度が適用されてからというもの、無理に働かなくても食べていけるという状態になったことで、能力に乏しく働く必要の無い人材が弾かれるという状況が顕在化してきてしまった。そして、効率化・合理化の名のもとにあたかもそれが正当であるような空気が醸成されていってしまったのだ。単純労働は
一定水準以下の能力しか持ち得ない人間に対して、「お金やるからそれで食ってろ、その代わりお前は仕事に関わるな」と、公然と言われる人間を一定数発生させてしまったということなのである。
最先端の享受とは、そのリスクも真っ先に負うことになるのは避けられないことなのだ。だが、我が国は敢えてそこに踏み込んだ。ひょっとしたら、それは他国に向けた示威行動だったのかもしれない。或いは、苦し紛れに取った思いつきだったのかもしれない。
だが一方で、人類が「本当の幸せ」にたどり着くためには、必要な
だが、問題はそれだけにとどまらない。
「────この場合の、基本的生存に必要な経済力とは、誰が設定するのでしょう?」
そう言って提示した私の質問に、
「……政治家では?」
彼女は、少し考えてそう答えた。
「それも正しいです。より正確には、『資本家』です。お金を払う側がその額を決めているのです。『あなたが生きるのに必要な金額は、これくらいです』と言って」
それを聞いた彼女はすかさず反論する。
「でも、そんな人に任せてたらお金が足りなくなるわ。だって、贅沢している人が考えた額なのでしょう? 私が言うことではないかもれないけど…………きっと余計なお金をばら撒くに決まっているわ」
またしても彼女の中に、自分の中には既に失われてしまった感性を見せられて……寂しくなる。
「……残念ながら、そうはなりません。
「そんな……!」
彼女はいきり立とうとする。人間をそんな愚かなものだと思いたくないという、純粋な正義感が彼女をそうさせているのだろう。だが、次の瞬間にはそんな彼女の勢いも萎んでいた。自身の立場と自国の内情を思い出し、それが事実であることだと認めざるを得ないのだろう。
俯いていた彼女は、やがて沈痛な面持ちで口を開く。
「──労働者が働いてくれなければ、結局困るのは資本家のはずなのに……それに気づかないのですか……あなたの国であっても?」
私は頷いて答えた。
「悲しいことですが」
「労働者が一致団結して行動を起こせば、そんな愚かな資本家を分からせる事も……できるかもしれない、けど……」
彼女は、視線を落としながらそう続けた。
なんとか、現実を打開する方法を模索しているのに答えが出ない、そんな心中なのだろう。
「……はい、現実はそうはなりません。より強い力で弾圧されたり、それを避けるために自分のほうがより安い労働力で働きます、と言って自分を売り込むほうに傾倒してしまいます。或いは、世間の空気によってそう言わされているのです────」
……この話題は、「清掃員」というマスに止まった時に盛んに二人で話し合った。
清掃員という仕事に従事する者は、どちらの国にあっても底辺の人間と見做されてしまうらしい。
彼らが働いてくれなければ、誰であっても困るというのに。
街の美観を守るための仕事をしているのに、自分たちが汚したものを綺麗にしてくれているのに……何故か彼らを汚い者と見下げる空気はどこの国でも共通して見られるらしい。そして、そんな仕事に従事する彼らの給金は……とても低いものだ。そんなところまで、どちらの国でも事情は同じだった。
「自分のために働いてくれている人を、大事にできないのね……」
「残念ながら……」
「──安売りは、結局自分の為にならないのに……消費者自身もそれに気づかないのね」
「……悲しいことですが」
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