第11話 焚書
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夕飯を済ませシャワーを浴びて夜の定時連絡を終えると、そこからは彼女の学びの時間だ。
私が灯台の業務に勤しんでいる間、彼女はラジオを聞いてそこで得た情報から分からない部分や疑問に思ったことなどを書き留めておいて、夜間の勉強の題材にするのである。
本土からの放送の他に隣国の電波もある程度傍受できる位置にあるこの島では、帝国の番組も聞くことができるのである。流れてくるニュース番組の内容から、外の世界の情勢を想像し疑問を持ち、そこで得た内容を二人で話し合いながら理解を深めていくのである。
彼女に教える事が目的だったが、自分自身世間にそれほど関心があったわけではなかったため、この時間は存外私にとっても新鮮な学びの時間であった。彼女と共に、最近の流行などに触れそれを「一緒に学んでいく」という過程は、彼女にとっても思考の幅を広げてくれるものだったらしい。
教師ではなく、意外な……学友という立場で過ごす時間は、私自身楽しくなっていくのにそれほど時間はかからなかった。
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そうして数日が経つと、お互いの国の文化の相違点というものの比較に、次第に興味が移ってくる。彼女の学びと言いながら、既に私自身それが目的になりつつあった。
「────えぇと……」
昼下がりのお茶の時間に、いつもの簡素なクラッカーを食べながら彼女が話題にしたのは、祖国の地方でおやつに出されていたもの。
「よく出されていたのは、麦で練った小さな団子を豆の甘いスープに放ったものでしょうか……。故郷の言葉で『ウギィ・ウギィ』と呼んでいます」
不思議な響きだったが、妙に面白みのある呼び名でもあった。
「ほぅ……、普段からそれを食べるのですか?」
私が尋ねると彼女は、
「いえ、どちらかと言うとハレの日に伝統的に出されるもの、という意味合いが強いですね。……私はあまり好きではありませんでした。事あるごとに、しょっちゅう出されるものですから、その……飽きてしまって、味も単調ですし」
そう言って苦笑していた。
なるほど、地元の名物というのはそう云ったものかもしれない。私の地元にも、もろこしの粉で焼いたパンケーキのような伝統的なおやつがあるのだが、味が素朴すぎて私はあまり好きでは無かったのを思い出していた。
その夜は、彼女が私の部屋を訪れ蔵書の棚を前に何かを探していた。聞くと、王国の料理に関する本が見たいという。日中に食べ物の話題が出た為だろうか。
生憎、私の書棚に料理に関する本はほとんど含まれていない。二、三冊あっただろうか、という程度だ。私のよく利用する紙の本の仕入先でも、料理本というのは需要が少ないらしく値段も付かないため、それほど多く流通していないらしい。
「あら……?」
机に向かって物書きをしていた私が、かろうじて気づくほどの声。何やら興味を引く本でも見つけたのだろう。
そこで彼女が見つけていたのは、棚の隅に一緒に収めてあった手書きの本。
申し訳程度に付けられた表紙に、記されていた筆者の名は───
「『Ricardo Connolly.』……?」
彼女のその呟きで、手にしたであろう本の正体が思い浮かぶ。私は机から顔を上げ、立ち上がって彼女のいる書棚に歩み寄る。
「あぁ、見つかってしまいましたか……」
少し恥ずかしさもあったが、正直な所、彼女がどんな感想を持つのか聞いてみたいという気持ちもあった。
私は、別の棚に入っていた真新しい本を取り出して彼女に見せた。
「これは、私が書いた本なんです。たった一冊ですけど、書籍化されたことがありましてね……」
彼女が見つけたのは、その原本とも呼べる手書きの方だったのだ。
「まぁ……すごい! リカルドは作家先生なんですね!?」
先生、というほどの大層なものではない。
作家と呼べるのかも怪しい、たまたま機会に恵まれたというだけのものだ。
「島にいると、時間だけはふんだんにあるものですから……。日記がてら付けていた記録を、随筆風にまとめましてね────」
そうやって日々書き貯めていたものが多くなってきた頃、島に様子を見に来た担当将校殿がそれを目にして、「出版してみたらどうだ?」と私に持ちかけたのである。
その時は、私ごときが書いた文章に将校殿が興味を持った事自体も意外だったのだが……。聞けば、将校殿も大変な読書家で、私と同じく紙の本にこだわっているのだという。更には、彼自身も『星の海の女神』の愛読者だというのだ。
それ以来、彼との距離は一気に縮まり、会えば本の話題を交わすのが定番となっていったのである。そんな彼の厚意で、補給物資の内訳に本が含まれる事にもなり、そのお陰で私の灯台守の任期は長くなったのかもしれないと思うほどだった。
こんな孤島の灯台堡塁に似つかわしくない量の蔵書は、そういった事情があったためなのである。
「──書き記すというのは、いいものです。考えるばかりでは人間の頭というのは重くなってしまう。こうして紙に書き出してしまうことで、余計な考えや悩みを物質化して扱いやすくするのです。日記というのは、そういう効能もあるのですね。私が長い間ここで灯台守をしていられたのは、読むこともさることながら……『書く』事を続けていたからかもしれませんね」
「なるほど……!」
「わたしたちが、たかだか100年も生きられないのに、その知識と感性、文化を次の代に継承して来られたのは、こうして『書を残す』ということを続けてきたからだと思います」
言いながら、私は本棚の背表紙たちに指を這わせていく。
私が紙の本にこだわるのは、こうして直に触れるという行為に特別な意味があると思っているからである。生きている間にすべての本を読めるわけではない。だが、出会った本全てに触れることはできるのである。今の生ではその文字全てを読むことが出来なくとも、私の魂に触れた、刻まれた本たちは……きっと来世で会いに来てくれると信じているから。
「……なにより、創作の中には制約がありません。思ったことをそのまま形にできるのです。その想像力が、やがて現実を変える力を持つのです────」
彼女は、深く頷いていた。そして、
「わたしたちがこうしてここにいるのも、創作に導かれたからなのですね」
そう言って彼女は、今度は自分の国にいたというある作家の話を始めた。
「私の国にもいました。書を愛し、創作の素晴らしさを説いた作家が。しかし、彼は国の指導部の弾圧に遭い……おそらくは処刑されてしまったのでしょう。あれから彼の姿を見た者は……いません」
私も、その作家のことは聞き及んでいた。
当時、諸外国でもセンセーショナルに報道されるほど有名な作家だったが、それ以上に彼が党執行部によって拘束されたという事が、何よりも衝撃だったのである。
その以前から、天華民国内では禁書指定される本が急激に増え、各地で盛んに焚書が行われていた頃でもあった。この事件は彼の国での事実上、暗黒の言論統制の幕開けでもあったのだ。
彼が逮捕された瞬間の映像は当時何度も繰り返し放送されていた。その時に放ったとされる言葉が、特に印象的だったという事情もある。
『────国に巣食う為政者気取りの阿呆ども! 貴様らも本を焼かずによく読んで勉強しろ!!』──と
だが、華国内では映像のこの放言の部分は消音されており、詳しい内容までは報道されなかったという。
「今では、物語の創作そのものが悪と見做されるような世情なのです、私の国では……」
「……悲しいことですね」
彼女の言葉に、私はそう言って頷いた。
想像力を奪うということが、人間にとってどれほどの悪徳であることか。
それは人間の尊厳にも等しい、手放してはいけないものでもあるはずだ。
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