第10話 島暮らし
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夜が明け、私と彼女の島の日々は始まった。
朝、いつものように定時連絡と島の見回りを済ませた頃、彼女は自室として充てがわれた例の部屋から出てきて、食卓のあるこの居室に現れた。普段は、食事を取ったり本国での報道情報を見るだけの部屋だったが、これからは彼女との会話と学習を持つための部屋になるだろう。
昨夜の彼女は疲れもあって早々に床についたようだったが、目覚めの具合は良さそうに見える。
二人で簡素な食事を囲んでいると、彼女はこんな事を言ってきた。
「……あの、王国のシャワーは冷水を浴びるのが一般的なのですか?」
「はい?」
もちろん、我が国でもシャワーは温水だ。
お湯の出し方が分からなかったのだろうか。
「いえ、その……私の国では温水を使うのですけど、やはり気候の差もありますし、お水を浴びるのかと──」
そこで気づく。
あの部屋はしばらく使っていなかったものだ。
昨夜、彼女と一緒に簡単な掃除はしたのだが、給湯栓の確認まではしていなかった。
「す、すみません! 温水の切り替えをするのを忘れておりました……!」
私は彼女に謝罪し、お湯の出し方を改めて説明した。
そして食事後、私は彼女にこれからのことを話すことにした。
「……違和感や疑問を感じたなら、その都度話してください。文化の違いと施設の不備を混同してはいけませんから」
「はい……。ですが正直な所、見るもの全てが新鮮なので、いったい何処から尋ねたらいいものか」
彼女はお湯のことなど気にしていない風で、にこやかにそんなことを言う。
「……そんなに、あなたの国とは違うのですか?」
私が尋ねると、
「違うといいますか……初めてのことが多いのです。おそらく、私の家では常に召使いがいて、身の回りのことを任せきりにしていたせいもあるのでしょうね。一般人との感覚の乖離というのも、違和感の原因のような気がします」
そんなことを申し述べてきた。
ふむ、たしかに私の家は庶民の中でも下層と言っていいような暮らしぶりだった。彼女の家と比べれば、たしかに生活様式からして違うのだろう。そして、この灯台での暮らしはそんな一般とも更に違うものだ。
……そういえば、私の母親は父親からそれなりの金を受け取っていたはずだが、暮らしぶりはごく質素なものだった。元々、贅沢を好む人ではなかったのだろう。
考えてみたら私の母という人間は、そもそも愛人稼業などするような人柄でもなかった気がする。堅実な人なのに、出会って気の合った相手がたまたま妻子持ちだったということなのだろうか。
自分の家族の意外な一面を、彼女の言葉を通して気づく。
これも、異文化交流の成せるわざだろう。
「なるほど、それはあるかもしれませんね。ですが、そう言われると私の暮らしぶりが一般的なのか……という問題もあります。ふむ────」
こんな中年の独身男の暮らしを、一般的と受け取られても問題があろう。
それに、私の暮らし方は軍役中に身に付けたもので質素極まりなく文化的でもない。それこそ、あの蔵書として置いてある多数の本の存在が無ければ人間味すら乏しい、異常とも言えるような生き方であろう。
それらの事情を踏まえ、これから彼女には炊事や掃除といった作業を手伝ってもらうことにした。一般の暮らしというものに馴染んでもらうため、彼女と生活を共にしつつ都度その行動様式についての議論をしながら学んでもらおうと考えたのだ。
彼女の今後の生き方がどのような形になっていくのか、その概容はまだ見えていないが……とりあえず一人でも生活できる程度の技能は身につけてもらったほうがいいだろう。軍隊式の生活様式は、そう言う意味では理にかなっていた。
…………………………
「これは……お魚ですか?」
堡塁から灯台に繋がる通路を案内していると、そこに干してあった干物を見て彼女は不思議そうに尋ねてきた。
「ええ。島では基本的に補給物資をやりくりしての食事です。ですが、それだけだと味気ないので、身の回りで手に入る物でできる事を探します。まぁ、魚くらいしか採れないのですけどね、この島では」
海鳥がたまに飛んでくることもあるのだが、魚と違って殺生に抵抗を感じてしまうので、私は捕ったことがない。結局は魚や貝を採っては、それを暇つぶしにこうして加工して、日々に彩りを添えているのである。
「ですが、一般の中流層と呼ばれる市民は、おそらくこんな事はしないでしょう。
「その、市民が就くことのできる仕事というのは、自分で選べるのですか?」
目ざとく、彼女が疑問点を見つけて質問を繰り出してくる。
「はい。基本的には職業選択の自由は保証されています。……ですが、希望者の多い仕事はいつも求人が乏しく、給料が安く誰もやりたがらないような仕事は常に人手不足です」
それを聞いた彼女は、
「なるほど……。仕事が自由であるというのも問題があるのですね」
そんな事を呟いていた。
おそらく彼女の国では、属する地域や組織の意向で就ける仕事が決まっているのだろう。共産主義の社会ではその方が一般的なはずだ。
「まぁ、これが世間一般に必要な技能かと言うと、そんな事もないのでしょうけれど……」
そう言って私は、干物をひっくり返して見せる。すると、彼女は興味を持ったように聞いてきた。
「でも、いざという時には重宝する技能だと思います。魚釣りは、私も船上で試してみたのですが、全く釣れる気配がありませんでした。やはり難しいものなのでしょうね?」
たしかに、全くの未経験だとほぼ無理だろうとは思う。
「いえ、コツさえ分かれば案外簡単に釣れます。この島では他に採る者もいませんから、魚の警戒心も薄いのでしょう。
言いながら、一つ思いついた。
「せっかくですから、夕飯はお魚にしましょうか。これから磯場に釣りに出て、釣った魚をロアンさんに捌いてもらいましょう」
「私にも、させてもらえるのですか!?」
彼女はいたく興奮していた。
おそらく、家柄からこういった事に触れる機会も無かったのだろう。
灯台の設備などの簡単な説明を終えてから、私達は再び運搬車を駆り出して島の釣りポイントに向かった。
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昼まで釣りに勤しんで、それから台所に戻り彼女と一緒に魚を処理していく。
わたしが解体して捌いた大きな身を彼女が適当な大きさに切り分けていく。最初はぬるぬるした魚体に苦戦していたが、料理そのものは経験があったのだろう。包丁の扱いもそれほど不安なくこなしていたのは大したものだと思った。
切り身に分けて冷蔵庫に収めるものと、下ごしらえをして衣をつけフライにするもの、薄く削いで干物にするものとに分けて、処理していく。
島では揚げ物など手間がかかるのでめったにしないのだが、手伝ってくれる人もいることだし、せっかくなので挑戦してみたのだ。夜に食べる分だけ手元に残しておいて、残りは衣のついた状態で冷凍して保存しておくことにする。
切り身に衣を付ける作業をしながら、彼女は話しかけてきた。
「────釣り竿も使わないので驚きました。釣りとはこんなに手軽で自由なものなのですね」
「まぁ、あれをちゃんとした釣りというと、釣りの専門家に怒られそうですが……」
島で一人で釣りをするときは、私は釣り竿などは使わず餌の付いた針と重りだけを付けた釣り糸を直に持って、磯場の岩の隙間などに落とし込んでやる。すると、磯の根魚が面白いようにかかるのである。他に誰も採る者がいないからか、魚体もそこそこ大きなものばかりだ。所詮、素人の遊びであるからどんな魚を狙うとかは考えない。その時釣れたものをいただくというスタンスで、あくまでも手軽に済ませられるやり方しかしたことがない。
彼女も最初は半信半疑だったようだが、岩の隙間から次々と揚がってくる大きな魚を見て嬉々としながら釣り上げていた。一時間もそうしていると、持っていったバケツが溢れる程に釣れていたのだ。
「形に囚われない、自由な発想────素晴らしいです。これからが楽しみですわ」
そう言って彼女は、次々と魚の下ごしらえを続けていた。
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