第8話 知識欲と食欲
「どこまでご希望に添えるかわかりませんが、やれるだけ……やってみましょうか」
最悪の場合は、私の『父親』である人物に助けを求めることも辞さないつもりだった。ほとんど面識のない人物ではあるが、血を分けた息子の一生に一度の頼みなら聞いて貰えるかもしれないない。それに、他にも幾つか方法を思いついてもいた。
私の言葉を聞いて、彼女の表情が、ぱっと明るくなる。
「ですが、そのためにはまず……あなたは学ばなければなりません。外の世界が、どのようなものなのか────」
外の世界で暮らすには、彼女の世間知らずな部分はなんとかしなければならないだろう。他にも越えねばならないハードルが幾つかある。あるいは、実態を知って幻滅し、国に帰りたいと言い出す可能性もゼロではない。
彼女の今後の心配を払拭するのなら、亡命するにしても表向きは死亡した事にするのがいいだろう。彼女の家族はそれなりの地位を持っている。身内から亡命者が出たとあっては一族に迷惑がかるのは間違いない。たとえ家を捨てる決意であっても、一族が路頭に迷うようなやり方では彼女自身も寝覚めが悪かろう。その点、不慮の事故による死亡であれば一時的な混乱で収束できる公算が高い。
その場合問題になるのは、彼女の新しい身分だが────
「ロアンさん……帝国に行くつもりはありませんか?」
「て、帝国ですか?」
その言葉を聞いて、今度はあからさまに困惑したような表情をする。
無理もないだろう。天華民国と帝国は件の領土侵略問題での当事国同士、つまりは敵国である。その敵国へ亡命するとあっては、流石に彼女も二の足を踏むであろう。
「……抵抗感があるのは、わかります。ですが、おそらくあなたが思っているような国ではありませんよ? 帝国という国は──」
敵国だと思っていた相手を信用するには時間がかかるだろう。だが、彼女の求めるものを手にするなら、おそらく帝国に行くのが一番手っ取り早いであろう。その理由も、私は申し添えた。
「────恥ずかしながら我が国も、過去の戦争による情報統制で歴史書や貴重な文献などの資料の多くが禁書扱いされたり、失われたりしてしまいました。……ですが、彼の国にはそういった前科はありません。真実を求めるなら、一次資料の豊富に残る帝国が一番いいと思います」
「一次資料……」
彼女の興味が、それに食いついたのを感じる。
「はい。それに……彼の国は難民に対する新たな身分を用意してきた前例が多数あります。それに、帝国は友好国も多い立場ですから、帝国籍が取得できれば王国に渡航するのも自由です。その点では、我が国よりも円滑に運べると思いますよ」
「なるほど……」
彼女の思考が、そちらに傾いていくのを感じた。
私は表情を緩めながら、
「そのためにも、まずはここで色々と学ぶ必要があるでしょう。……及ばずながら、私から教えられることもあるかと思いますので」
彼女にそう伝えた。
「分かりました。見識が深まった時点で、その答えを出したいと思います」
彼女の納得したような声色に私は安心し頷き、次の課題に入ろうとした。
「では、次に……あなたの持ち物と健康状態についてですが────」
ぐぅ~……
私の言葉を遮るように、妙な音がした。
腹の虫だろうか? 私のものではない……。
……そういえば、船の中の食料は食べ尽くされていた。どれくらい漂流していたのかは知らないが、空腹であることは間違いないだろう。書類に目を落としたまま、私は聞こえなかったふりをしつつ、わざとらしくならないように時計に視線を送る。丁度、無線報告で告げておいた二時間が経とうとしていた。
「……そういえば、そろそろお茶の時間ですね。ちょっと休憩にしましょうか」
「は、はひっ!」
彼女は若干慌てたような声だったが、まあ仕方あるまい。
「我が国のお菓子で、お口に合うかどうか分かりませんが……よかったらご一緒にいかがですか?」
私はそう、水を向けてみた。
「はいっ、いただきたいですっ!」
彼女は勢い切ってそう答える。……どうやら相当空腹だったようだ。
「では、支度をしてきますので……あぁ、申し訳ないのですが、部屋の扉は施錠させていただきます。……規則ですので、最初だけは────」
「はい、それはもちろん」
彼女は承諾してくれた。
「部屋のものは自由に使っていただいて構いません。水回りも……簡素ではありますが、用意してありますので」
そう言って、シャワー室を指した。
言いながら気づいたが、この部屋は男性仕様のままだったため、トイレは囲まれているが、シャワー場所は腰までの高さの衝立があるだけの剥き出しだった。カーテンくらいは付けてやらないと彼女が困るだろう。
「私は先に、王国に報告を済ませてきます。あなたのことは、伏せて報告しておきますので」
「ありがとうございます……」
私の言葉に、彼女は安心したように頭を下げていた。
……………………
『こちら櫓島灯台、こちら櫓島灯台
報告、報告───
先程の、救命いかだらしき物体は……
……そこまで言ってから、少しばかり躊躇した。
明らかな虚偽の報告をするのは、初めてのことだったからだ。
だが、重要なのは人命に関わる事態かどうかということであろう。彼女については改めて報告すればいい、日時のズレはさしたる問題にもなるまいと自分を納得させ、あらかじめ考えておいた報告内容を続けた。
……古い物で単なる漂流物の模様
内部に人の姿、痕跡共に無し
異常は認めず
報告終わる、
無線のマイクを切り、これで後戻りはできないなと私は覚悟を新たにした。
それから私は、基地の中の小さな台所に入り冷蔵庫の脇にある食料棚から栄養強化ショートブレッドを取り出した。
自分で食べるなら簡素なクラッカーでもいいのだろうが、彼女には空腹を満たすものが必要だろう。夕飯はちゃんと食事らしいものを出すとして、とりあえずはこれで飢えを凌いでもらおう。
これは、漂着した難民に好評だったミルク味のお菓子のようなものである。二本食べれば一食分の栄養素がほとんど得られる便利なもので、軍用の行動食にも採用されているものだ。時間がないときなどは私も食べることがあるが、普段はあまり出番がない。
それから、ティーポットとカップを取り出し茶葉をいれる。お湯を注いでトレイに乗せて、おやつといっしょに持って行くことにした。
「おまたせしました、お茶にしましょう……?」
部屋に入ると、彼女は部屋に備え付けてあるラジオにかじりついていた。
流れているたのは我が国の音楽番組だ。どうやら、異国の音楽が珍しいようだ。
「あ、す、すみません……使っていいと言われたので、つい──」
彼女は慌てて立ち上がったが、
「いえ、そのままで。せっかくですから、音楽を聞きながらお茶にしましょうか」
私はそう言って、彼女のいる机にトレイを持っていきカップを差し出した。
「簡単なものしか無いのですが、よろしかったら……」
そう言って、小皿に入ったショートブレッドも差し出す。
「はい、いただきます」
彼女はまず紅茶のカップを手にしていたが、ほんの少し口をつけるとすぐにテーブルに戻してショートブレッドと云う名のブロック栄養食に手を伸ばしていた。おそらくだが、お茶のマナーとしていきなりお菓子に手を伸ばすことが憚られたのだろう。その辺りも、今までの漂着者とは明らかに違っていた。
ショートブレッドは、一応自分のものも含めて四本用意していたのだが、彼女の食べっぷりをみて、自分はそれとなく遠慮しておこうと思った。
「お口に合いますでしょうか? こんな簡素なもので……」
私がそう、控えめに尋ねると、
「美味しいです、私の国にはないものですから……」
そう言って、あっという間に二本平らげてしまっていた。
さて、そろそろ頃合いだろう。
続いての聴取、と行きたいところだが一つ気づいたことがあった。
先ほど彼女を連れてくる際に、彼女の手荷物をそのまま置いてきてしまっていたのだ。それに、乗ってきた救命いかだもそのままである。
一応、軍の方に偽の報告は済ませてあるが、見る人が見れば新しい救命いかだだと気づかれてしまうだろう。あれは早々に回収しておいたほうが良さそうだと思った。
「すみません、お茶を飲みながらで結構ですので……もう少しだけ待っていて貰えますか。あなたの乗ってきた救命いかだの回収を、先に済ませておこうと────」
その件を詳しく説明すると、彼女も察したようだ。
「そうですね……。あの救命いかだには私の国の紋章が入っていたはずです。見つかっては、困りますから……お願いします」
彼女を部屋に残して、私はもう一度運搬車を駆り出し海岸線に降りていった。
……出掛けに、「よかったらそれもどうぞ」と、自分の分のショートブレッドを彼女に勧めておくのも忘れなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます