第7話 脱国者

 ……彼女は、自分について話し始めた。


 私が察した通り、彼女は隣国『天華人民共和国』の人間であり、上級華族の三女に当たるそうだ。兄妹は自身を含め4人で、上から二番目に男子が居るという。つまり、末の子ということだろう。

 彼女の親は政治に関わる人間であり、それなりの権力を保持している一族でもあるらしい。現在は中央とは離れた地域に家族で赴任中で、地方の行政を取り仕切る立場にあるという。察するに、辺境の地方領主の家族という事なのだろう。二番目の子で長男でもある兄は若いながらも既に政治の世界に進出しており、いずれは国の中枢で働くことになるらしい。

 彼女は家族に、地方の見聞を深めるためと称して家を出て定期船に乗り、計画していた通りに救命いかだに乗り込み海上で船を離脱、国外に向けて漂流を始めたそうだ。海上の国境である、領海線の最も近くなる地点を見計らって────


 ────不自由の無い暮らしをしていたはずの彼女が、なぜ危険を冒してまで国を出ようとしたのか。


「……政府の発している言葉に、看過できない齟齬を感じたからです」

 私の疑問に、彼女はそう答えた。


 中央で暮らしている頃には、政府の報道の通りに世界が動いているように感じており、そこに疑問は持たなかったという。

 だが、地方に赴任してみると中央政府の統制が完全に行き届いておらず、特に沿岸部や国境付近では市民が独自に引いた国外からのネットワーク回線に繋いで、世界中のなまの情報を手に入れている者が多いというのだ。

 PLN(プラネットリンク・ネットワーク)……世界中を電子の海によって繋ぐ、夢の情報ネットワークと呼ばれた技術だ。元は軍事目的で作られたらしいが、その汎用性の高さから民生利用にも開放され、現在ではこのネットワークに繋がっていなければ日常が成り立たないほど生活に深く根ざしている。


 だが情報統制の厳しい天華国ではネットの利用は制限されており、そこから得られる情報も全て政府の検閲と修正のされたもののみが利用できるのだという。全てが国と為政者にとって都合のいい内容に歪曲させられた、とされている情報……。それらだけを見て生きてきた人民は、そこに疑問を持つこともせず社会の歯車として都合よく利用されてきたのだということに、彼女は気づいたのだ。


 彼女にとっては都市部よりも辺境や周辺地域のほうに、どこか拓かれた明るさを感じたのはそのためでもあったのだろう。

 もちろん、それら違法な情報源から手に入れた情報には政府への批判も多く含まれており、それらの多くは規制と処罰の対象となる。そして、彼女の親はそれを取り締まる立場の側なのである。

 だが、その渦中で彼女……ロアンは、世界の真実を目の当たりにしてしまったのだろう。今まで信じてきた祖国の報道や教育が、実は世界的にはとても偏った、おかしなものであったことを。もちろん、各国の報道でそれらは噂として漏れ伝わってはいた。だが、深く国の内部に居る立場ではそれらを容易に信用することはできず、むしろ悪質な偏向報道や政府への中傷だと切って捨てていたのだという。


 ……無理もないだろう。信じていた祖国が、嘘と虚飾にまみれたものだったなど、簡単に受け入れられるものではないはずだ。


 だが、政府の嘘以上に彼女の心を強く掴んだのは、他国の多様な文化と人々の生活の方だったというのだ。

 絵画や工芸品程度なら、自国にいても海外のものを取り寄せることはできる。しかし、書籍や歴史書、映像作品などは厳しく規制されており、その実態を知ることができなかったというのだ。


 自国の振る舞いは世界から見れば特異なものであり、決して褒められるような国ではなかった。そして、最先端を謳っておきながらその実、自分の国が相当に遅れた技術しか持っていないということも────


「……地方に赴任してから初めて知りました。世界ではこれほど多くの知らなかったことが広く伝わっているなんて……。世界にはもっと素晴らしいものが生まれているなんて……!」


 ────話している彼女からは、その境遇とは裏腹に悲壮感よりも希望の方を強く感じる。この島に流れついた人間で、こんな表情をしていた者は今まで見たことが無かった。

 彼女は権力側の人間であり、生活に困ったことなど無いのであろう。これが一般平民であったのなら、圧政に対する苦しみや餓えと貧困の切実さを訴えたはずである。……求めているものが、これまでの遭難者とあまりにも違う。

 私は彼女の素直さを好ましいと思いながらも、同時に貧富の差というものの無情さと無機質さも感じずにはいられなかった。


 倉廩満ちて礼節を知る、という言葉がある──。


 彼女がこのような考えに至り、まだ見ぬ世界に希望を持ち、触れたことのない文化に興味と憧れを抱けたのは……穿った言い方をするならば、からだとも言えるのだ。

 これが、貧しい下層階級の人間であったのなら本などよりも食べ物を求めただろう。決して未来など、一ヶ月程度の先の未来なども想像できなかったはずである。


 話すごとに嬉々としてゆく彼女を見ながらも私の心は裏腹に、生きていくという事への矛盾と限界を感じて仕方がなかった。


 貧しさというものにも種類がある。


 金銭的な貧しさというのは直接見て感じることが多いため、論じられるのは主にこの事であろう。だが、より深刻なのは「発想と想像力の貧困」の方であると思うのだ。

 彼女は金銭的にも恵まれていたため、そのどちらも持ち得ることができていた。仮に適切な教育と環境さえ与えられていれば、きっと一廉ひとかどの文化を担う役割を持ち得たはずである。

 だが……おそらく彼女の国の人民は、その一番大切な想像力という力を奪われているのだろう。経済的により貧しい辺境民のほうがむしろそれを探し当てていたというのは、皮肉としか言いようがない。


 国の威信、経済の高揚と支配者の満足、それらを満たすために事実に蓋をされたまま牛馬の如く使役される人民──それらは、我が国にも漏れ伝わっている天華民国の内情そのものだった。

 彼女の話す内容からは、そういったものが忌憚なく感じられる。そして、その搾取の片棒を担がされていたという事への、衝撃と嫌悪の大きさも。


「──私の望みは、世界を知ること。そして……叶うのなら、真の意味で民を解放すること。そのために、私は国を捨る覚悟で海へ出ました」


 ……まだ若い彼女のことだ。

 取ったその行動が周りにどのような影響を及ぼすのか、まだ充全に想像しきれてはいないのだろう。だが、その手の想像力は放っておいてもある程度年齢に合わせて身につくものだ。今はむしろ、その意欲の翼を広げることに傾注していても構わないとも思える。

 この先、国に新しい風を吹き込む事ができたとして、それを担うならやはりその国の人間であることが望ましいだろう。……たとえ祖国からは、裏切り者の誹りを受けることになろうとも。


 果たして彼女が、そのことを何処まで理解できているのかはわからないが、大人しく国に帰りなさいと言ったところで、どだい無理なことであろう。これだけの危険を冒す決意で海に出たのだから────。おまけに、本国では既に大騒ぎになって、取り返しがつかなくなっているかもしれない。


 それに、私自身が彼女に興味を持ってしまったという事もある。

 気位の高さとは裏腹に、素直な優しさと素朴な正義感を感じる。

 そして……私自身も知りたかった、異国の文化というものに直に触れる機会を得たことに、不思議な高揚感さえも感じているのである。

 世間知らずではあるが、その決意に揺らぎは無いように見える。そして……私自身、彼女の探究心を後押ししたい気持ちもあった。


「なるほど……概ね、事情はわかりました」

 私は簡単にメモを取りながらも、調書の項目は埋めずにおいた。あまりにも荒唐無稽な計画だったために、そのまま書くわけにはいかないであろうから。


「もう一度確認しますが……亡命が目的、ということで……間違いありませんね?」

「はい」


 彼女は、国と一族の思想に疑問を持つに至り、亡命を目的として国を脱出した。


「……………」

 私は、調書に添付されている、亡命に関する諸概要の書類にもう一度目を通す。


 我が国で「亡命」という場合は、主に政治関係者や要人の場合を指すことが多い。それ以外の一般市民の場合は「難民」と呼称される。彼女の場合は、名家の出ではあっても実権を持たないためどちらかと言うと難民であろうが────。

 一つ問題なのは、彼女には生活困窮や身の危険などの差し迫った事情があるわけではないのだ。このまま軍に身柄を渡した場合……なるほど、不適切な入国という扱いで本国に強制送還されてしまうかもしれない。彼女が知らせないでほしいと言ったのも、もっともな話だった。


「ふぅむ…………」


 考え込む私の表情を見て、彼女の顔も少し曇っていた。

「……無理を言っていることは分かります。ですが……私は知りたいのです、世界を」


 純粋なる探究心。

 すでに、私からは失われてしまったものだ。


 これほどに真っ直ぐな好奇心を見せられると、かつての自分の姿に重なる所もあり、立場を忘れて手助けをしたくなってしまう。だが、臨時とはいえ私は国境を預かる管理官なのである。国や軍に、背くわけにはいくまい────


「どうか、おねがいします……」

 彼女は、すがるような表情で頭を下げてきた。


 難しい、時間を要する課題だ。

 だが……目下、この難問に費やすことのできる猶予は、二ヶ月ほど先の補給便の訪問日までであろう、それほど長くはない。それまでに結論を出しておかねば、最悪、彼女と共に私も犯罪者となってしまう。少なくとも将校殿には事情を話して、助言なり指示なりをいただいておかねばなるまい。


「……祖国の地を、二度と踏むことはできないかもしれませんよ?」

 私の言葉に、彼女は頭を上げしっかりと私の目を見て言った。

「……覚悟の上です」

 その言葉に────偽りはないのだろう。


 私は、決断した。


「どこまでご希望に添えるかわかりませんが、やれるだけ……やってみましょうか」

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