第5話 漂着
「──動かないで!」
鋭い声、後ろで寝ていた彼女のものだろう。
……どうやら、腰に差していた拳銃を奪って私に向けているようだ。
運転に集中する隙を狙っていたようだが、私は慌てることもなく振り返って彼女に声をかけた。
「あぁ、気が付きましたか、良かった」
「動かないでと言っているでしょう……!!」
改めて顔を確認した彼女は、狼狽えていながらも張り詰めて油断なくこちらを警戒している。奪った拳銃を両手で構えてこちらに向けて……覚悟の感じられる表情だったが、いかにも育ちの良いことがわかる様子でもあった。
私は別段焦ることもなく、また前に向き直って、
「……動かないと運転できないのですけれど」
そう答えた。
「すぐに止めなさい!」
苛立ったように彼女は私に命じた。
「……気持ちはわかりますが、取りあえず基地に戻ってからにしましょう」
そう答えた私に、
「ば、バカにしてるの!? ……撃つわよ、本当よ!?」
彼女は明らかに怒りの籠もった声で、私を恫喝した。
ちらりと首だけ回して再び彼女の様子を確認すると、明らかに銃など扱ったことの無い手付きで、震えながらこちらに向けている。だが構え方がどこかおかしいし、身体が全く固定されていない。そんな手荒な真似が出来るような人間ではないことは明白だった。
おやおや……そんな震える手付きで引き金に指を掛けないで欲しいものです。
撃鉄が起こされてたら、間違いなく暴発してますよ?
──そう言ってやりたかったが、あまり逆撫でしても今後が面倒になるだけだろう。控えめに、諌めるだけにしておくことにする。
「……撃ったこともない人が、そんなことを言ってはいけませんよ。あなたが持っているものは、簡単に人を殺めてしまうものなのです。だからこそ、銃の基礎訓練には時間を掛けますし、その上で取扱いには慎重になるのです」
「この……いい加減にしないと……!」
女は拳銃を空に向けて、威嚇射撃のつもりなのだろう──遂に引き金を引いた。
すかっ
「……あれ?」
すかっ、すかっ
いくら引き金を引いても何も起こらない、そればかりか手応えすら無いはずだ。
「なによこれ……?! 壊れてるの!?」
女はヒステリーを起こしたように、叫んだ。
「……その銃は、シングルアクションと言って撃鉄を起こしてやらないと作動しないんです。そもそも、安全装置もかかったままですよ?」
私がそう言うと、彼女は酷く慌てた様子で、
「あ、安全装置ですって……!? そんなもの拳銃に────」
……付いてますよ、もちろん。
あぁ、そういえば彼の国の上流階級にはレンコン銃の方が一般的ですかね。
「半自動拳銃は初めてですか。無理もない……」
私は、また視線を前に戻して運搬車の運転に専念しながらゆっくりのんびりと答える。
「どこの国でも拳銃は半自動が制式だったはずです。扱いを知らないということは……そちらでは全国民に軍役を課してはいないのですね。或いは、上級国民には軍役の義務が無いのでしょうか? ……羨ましいことでもありますが、私はあまり好きではありません。『平和を望むなら災禍に備えよ』という諺もあることですし……そもそも、この諺の発祥はあなたの国ではありませんでしたか────」
私の話を遮って、女は語気を強く言った。
「おだまりなさい……! 祖国を侮辱することは許しません!!」
ほう? ……国から脱出してきた人間にしては、妙なことを言う。
そんな祖国が嫌で、逃げてきたのではないのか……?
「失礼……。あなたの国を悪く言うつもりは無かったのですが……。お気に触ったなら謝罪しましょう。ですが、この島に流れ着いた以上はある程度従ってもらわなければなりません。ここは既に、我が国の領地なのですから。不可抗力とはいえ、あなたは既に入国してしまったのです。ある程度はこちらの流儀に合わせていただきませんと──」
そんな私の弁舌を聞いていた彼女は、少しずつ冷静な表情になってくる。
そして、私に尋ねた。
「……つまり、ここは天華民国では、ないのですか?」
再び目を向けると、拳銃は既に私に向けられてはいなかった。だが、それでも鋭い視線と威厳のようなものはむしろ増しているような雰囲気があった。
「はい。……勿論、帝国領でもありません。ここは、連合王国の領土です」
私のその言葉を聞いて、彼女は私の目を見つめる。
「王国……」
その呟きには、確かに安心したような響きがあった。やはり、ただの遭難者という訳ではなさそうだった。
「はい。我が国はあなたの国とは友好国ですから、どうかご安心ください。そして……できれば、聴取にはご協力をいただきたいのですが……」
半ば、彼女が華国人であることを前提にした物言いではあったが、彼女はその点に異議は持っていない様子である。
今度は、戸惑いの無い意志の籠もった目で私を見据え、彼女は言葉を返してきた。
「……ええ、必要があればそうします。ですが、基本的人権は守っていただきます。私は捕虜でも奴隷でもありません。意思を持った一個人であり、人間なのです。国籍は関係ありません……それは、あなたの国でも同じ事ですね?」
……やはり、荒事が似合うような人ではなかったようだ。目が覚めた時の状況が悪かったために、動転して咄嗟に取ってしまった行動だったのだろう。坂道を登りきって灯台の入口が見えてくる頃には、だいぶ落ち着いた様子で話し始めていた。
「──ええ、もちろんです」
私がそう答えると、彼女は少し俯いて、
「……先程の私の行為については、謝罪します。……殿方に身体を触られたのは……その、初めてだったもので────」
腕で身体を抱きながら、少し恥ずかしそうにそう答えた。
……どうやらこちらが思っていたよりも、彼女は早くから目を覚ましていたようだ。
「いえ、こちらこそ。……規則とはいえ、もう少し配慮すべきでした。申し訳ありません」
そう言って、こちらも謝罪する。
ほどなく、私の運転する運搬車は格納庫に着いた。
エンジンを止めると振動も音も止み、再び島の静けさが戻ってきた。
私は、荷台に積んでいた救急パックを降ろして用具棚に戻し、それから彼女に向き直る。
荷台に座ったままの彼女は、しばし下を見て何か考えていたようだったが、目を一旦閉じて微かに頷き、そして再び目を開いて私を見た。
「……助けていただいて、ありがとうございます。それと……できれば、本国への連絡は……少し待っていただきたいのです」
本国──、この場合は彼女の祖国という意味だろう。
仮に、国から逃げてきたのだとすると亡命が目的ということも考えられる。迂闊に彼女の国へ連絡するのは、確かに避けたほうがいいだろう。
「分かりました。連絡については、事情を聞いてから考えましょう。まずは、遭難者ということで扱わせていただき、可能な限り善処いたします」
元より、亡命希望者であるなら私もそうするつもりだった。だが、
「感謝します。……それから……その、できればあなたの国への連絡も、同様に──」
彼女はそう、意外なことも付け加えた。
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