第2話 この世界の片隅にある島

 私の担当するこの島は、そんな数あるの中でもひときわ小さいらしく、島の広さは300メートル四方、周囲1km強程しかない。海抜も最高点で30mほど。面積から見ればそれなりの高さだが、津波でも来たら沈むんじゃないかと思ってしまうほどの大きさしか無い。

 そして、この島にある重要な施設はたった一つだけ。

 それが、私の管理する『櫓島やぐらじま灯台』である。


 この海域は海流が複雑で暗礁も多く、古くは座礁する船が後を絶たなかったという。そこで政府は、当時としても大量の資材と人足を用いてこの島に灯台を建造したらしい。

 以来、この海域を照らす灯りは絶えること無く海の安全を守ってきた。国家間の思惑はともかく、この灯台は海で働く者たちにとっては希望と安心の灯火でもあるのだ。


 だが、灯台守である私の仕事は、実はそれほど多くはない。


 一日に一度、灯台の設備に異常がないか、正常に作動しているかを確認。ついでに周囲の海域を航行する船舶の記録を取り、それらを日に三度の定時連絡に無線で報告するだけ。肝心の灯台整備も週に一度、それも火を落とすこと無く目視で確認できる部分の煤や埃を払う程度で難しいこともない。

 直接光を放つ照射レンズや灯火バーナー、マントルの交換などは専門技術を持った技師でなければ手がつけられず、おまけに整備の最中は火を落として別な灯火を臨時で灯さなければならないので、それらの作業時には軍の専門の作業技師小隊が年に一度島を訪問することになっている。結局は、私という灯台守一人で出来ることなどたかが知れているのだ。


 つまり私の役目は、本当に……単なる設備の見張り番なのである。


 科学万能とも云えるこのご時世、そんな事は自動制御と遠隔通信で済ませてしまえばよさそうなものだが、そこは長い歴史を持つ──この灯台島。

 この灯台は今の時代に全くそぐわない、古いガスマントル式の灯火を今も継承して使用しており、それらを運用するための謂わばの役割が必要なのである。

 他にも……かつての教訓で、島に流れ着いた漂流者や難破船の乗組員を灯台守が救助したという故事にちなみ、このような緩衝島には必ず人を常駐させるという慣例が踏襲されているのである。実際、私がこの任についてからも漂流してきた人を何人か助けたことがあった。もっともそれらは……隣国の圧政や貧困に耐えかねて逃げ出してきた脱国者のほうが多かったくらいで、ほんとうの意味での遭難者というのはめったに現れることがない。

 そのため、仕事の割合としては灯台管理1に対して、漂流者や航行船の監視9といった具合だ。島も小さいため、見回りに手間がかかる程でもない。灯台の監視台に登って双眼鏡でぐるりと見回せばその全域は確認できる。霧の濃いときなどに、直接海岸の見回りに出るくらいで、普段は監視巡回も散歩の意味合いのほうが大きいくらいだった。



 …………………………



 だが、この島を訪れた当初は流石に一抹の不安のようなものもあった。事は国家間問題にも発展しかねない重要な拠点。私の対応如何で、戦争が始まってしまう可能性も無くはないのだ。

 であるにも関わらず、いかんせん普段が平穏すぎるためどうしても緊張感に乏しくなってしまう。そんな業務の安楽さとは対照的に、ここの灯台守は随分と入れ替わりが激しかったらしい。その理由は単純で、娯楽が一切無いからである。


 だが私としては些かの不満も無い。

 今はただ、こんな毎日が平穏無事に続いてくれればいいと願っている。


 灯台管理官の給金は下級軍人並みだが、なにしろこんな場所だ。お金など使うことすらできないから、とにかく貯まる一方だ。その上、私はもはや金銭的な欲というものが薄れてしまっていた。

 この世で人として生きる上で、この平穏な暮らしに勝るものが存在するとは到底思えないのだ。いまさら、俗世間に戻って暮らしたいとも思わない。叶うことなら、老後もこの島で静かに暮らしたいとさえ思っている。もし運良くそれが叶って、かかる費用があるとするならば、蓄えはその為にこそ使おうと思っているくらいだった。


 私は、人に囲まれているのが耐えられない性分だった。


 いつも何かに苛立っている人間という生き物。

 常に誰かと比べ、その優劣や面子のために人は平気で人を陥れる。

 人間の最大の悪徳が自己愛と承認欲求であることは、既に紀元前から分かりきっていたはずなのに──。過去の偉人達が揃って警鐘を鳴らしていたにも関わらず、何故か人間はそこから学ぼうとはしない。それがあるから人はここまで発展を遂げてきたという面も、一方ではあるのかも知れないが……そのために喪ったものの多さを顧みて、私はに正当性があるとはとても思えなかったのだ。


 さりとて、私のこの暮らしも世俗の誰かが支えてくれているからこそ成り立っていると思えば、そう大それた事も言えるものではない。所詮、私など誰かの庇護が無ければ一時いっときたりとも生きてはいられない身の上なのだ。


 この島に住んでいると、それがよく分かる。


 私の食べるものや日用品の備蓄は三ヶ月に一度、軍の物資輸送の定期便となっている水上機が運んできてくれる。

 ここの担当将校殿(私の直接の上司にあたる)は、伝統的に物資に酒を多く入れてくれるのだが、あいにく私はそれほど酒が強い方ではなかった。

 だが前任者は酒好きだったと見えて、私がここに赴任した時には入江の小さな港から灯台までの道がガラスでできているのではないかというほど、空になった酒瓶が並んでいたのを目の当たりにした。どうやら前任者は暇にあかせて、船着き場から灯台までの道の脇に酒瓶を並べて飾り立てていたらしかったのだが、それほどに……ここには何の娯楽も有りはしないのだ。


 だが、私にとってはむしろそれがありがたかった。


 私には、絵や物語を書くという趣味があった。

 もとより私は本を読むのが好きで特に紙の本には目が無いのだが、我が国ではかつての戦時体制の下、紙の本などは統制下に置かれてしまった歴史があり、今ではあまり流通していない。殆どの本は電子化され、その内容も検閲の対象になってしまったらしい。かつて存在したであろう生き生きとした文豪たちの結晶はAIと云う名の神に依って魂を抜かれ、今では毒も棘も無いような腑抜けた文章が電子の海を通して世間に流布しているばかりであった。


 もっとも、私は検閲対象となるような政治思想などを描いた過激な内容を好むわけではなく、どちらかというと空想世界の暮らしを生き生きと描いたような作品が好きだった。そのため、政治的集団が欲するような堅苦しい内容の本を探し当てては秘密裏に高値で取引する──そんなアングラな素行とも無縁だった。

 年に一度の休暇の折には、本土の街の外れにある自由市マーケットに行き、今も残る古い紙の本を見つけては買い求め、自分の書棚に加える。そして、島に帰る際の定期連絡機の機長と担当官殿に少々の心付けを渡して、荷物にこっそり紛れ込ませてもらっては日々読み耽るというのが、島での私のささやかな楽しみだった。


 ちなみにこの島の歴代灯台守の中には、孤島の寂しさに堪えかねて、他国の船が通りかかった際に助けを求めて便乗し逃げ出した者までいるらしい。

 そんな前例もあるくらい、何も無いこの小さな島に一人で居る孤独というのは常人には耐え難いものであるらしいのだが…………わたしにとっては些かも問題にはなり得ない。もとより人間嫌いで厭世気質の強かった私には、このような環境はまさにうってつけだったのだろう。


 表向きは海の航海の安全を守るこの灯台ではあるが、そこはやはり多国間情勢の絡み合う敏感な海域。ここの灯台管理官が他の一般的な灯台守とは違って、地方自治政府や海上警察ではなく軍から任命されている事からも、それは察せられるだろう。

 軍務扱いのため、仕事内容に比すると割合給金の良いこの仕事。

 当然、事情を知らずに志願してくる者も多いらしいが──事は外交に関わる部分でもある。


 表立っての説明は受けていないが、この灯台は軍事的に重要な意味合いがあることは明白であった。灯台の定期整備の時には、何に使うのか想像もつかないような謎の機材が施設の何処からともなく外されては交換されているのを見かけていた。おそらく、軍事的に有用な情報を人知れず収集し何処かに送信するための装置なのだろう。

 軍事の世界にも『Need to Know』という言葉がある。そしてそれは、他の民間業務とは重さの度合いが全く違うのである。それら詳細は、私ごときが知り得て良いものでは無いはずだ。


 この仕事に就いてしばらくしてから気づいたのだが、過去に灯台守に選ばれた者たちにはある法則セオリーがあった。それは、近親者や親類に軍事関係者が居るということ、その上で親類縁者の少ない者が選ばれるという事だ。

 まぁ、身も蓋も無い言い方をするならば……いざという時に封じる口の数は少ないほうが望ましい。そして、その関係者は文句を言わない軍関係者であるほうが都合がいい、ということなのだろう。


 つまり例に漏れず、私自身もの人間ということだ。

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