ドロウ・ア・レッドライン

冬野川一郎

1.ある仕事

壊れた街灯の下、カインは煙草の火を潰しながら、地面に転がった男の言葉に耳を傾けていた。


「命だけは……」


今日のターゲットも『死んだほうが世の中にとって良い人間』だと依頼主は言ったそうだ。そんな人間はシティに腐るほどいる。だから毎回ターゲットを同じように評して依頼してくる。


「すまないが、仕事なんだ」


「たすけ」


引き金を引くと、死んだ方が良い人間との会話が終了した。

同時にカインの本日の仕事も終了する。たいていの場合死体はそのままにしておく。

カインの仕事は殺しそのものだけではなく、殺しが発生したことを知らせることが目的となっていることがほとんどだ。そのため死体を回収して処理することは稀で、依頼主からはそのまま現場を離れるように指示される。


高層ビルのいたるところには監視カメラが設置されている。

今回もあらかじめ移動ルートを指定されていた。移動は毎回指示された通りに動いているが、カメラに収められたことは無い。監視カメラの死角を縫うようになっているのか、組織の人間がネットワークに侵入してカメラを停止させているのか、そこまではわからない。ともかく最近のカインの仕事は面倒なことを考える必要もなく殺しに専念できるように設計されていた。


スラム街に向かう薄暗い路地を歩きながら、ポケットで通知を知らせるデバイスを手に取る。マルクスだ。


「先ほどターゲットの死体を確認した。仕事が正確でありがたいね」

「はいはい。完了しましたよ」

ため息交じりに答える。

「報酬はすでに振り込んである。今回もご苦労だった」


依頼主と直接やり取りすることは無い。直接コンタクトをとるのは組織の上司にあたるマルクスだけだ。声の感じからして年齢はそれほど変わらなさそうだが、仕事運びを見るに相当頭の切れる人物に間違いないだろう。


「死んだ方が良い人間はあとどれくらいいるんだろうな」

煙草に火をつけて尋ねた。

「それは難しい質問だ。『死んだ方が世の中のためになる』なんていうのは人間の悪い感情からくる言葉だろう。誰しも死んだら悲しむ人がいるからね。基本的には死んだ方が良い人間なんていない。でも同時に誰かにとっては死んだ方が良い人間になっているかもしれない。人間は悪い感情を捨てることはできない。特に殺しを依頼してくるような人はね」


だからこの仕事が成立するのだ。人間が愚かであり続ける限り。


高層ビルの並ぶ中心街からスラムまでしばらくかかる。この通りには大きな壁画がある。毎回それをじっと見てしまう。美しい女神が民衆に語りかけているような構図だ。誰かの救いになると思い書かれたのだろうが、女神の口元には誰かが後から落書きしたと思われる『絶望』の文字があり、それが美しい壁画を台無しにしていた。


いつかこの落書きをした人物と話してみたいものだ。

きっと何かに絶望させられたのだろう。

かつての自分と同じように。

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ドロウ・ア・レッドライン 冬野川一郎 @huyunogawa

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