第7話

 レッスン直後の汗を拭いながら、自販機のボタンを押す。

 スポーツドリンクが落ちる音が響いた。キャップを開けたボトルを傾けて喉を潤す。

 じんわりと火照った体が落ち着いてきた。


 この後はミーティングだ。

 内容は今後のスケジュールや方針の確認だと聞いている……が、正直気が重い。

 百合営業ハーレムを軸にしたプロモーションなんて、何をさせられるのか想像もつかない。胃に優しい話題は期待できそうにないだろう。


 ペットボトルを片手に元来た道を歩き出す。


「……ッチ、ここの自販機にもえのかよ」


 不意に鋭い声が聞こえて思わず振り返る。


 自販機の前に、いつの間にか黒いパーカーを羽織った少女が立っていた。

 無造作にまとめられたポニーテールに、腰に垂れた銀のチェーンが光を反射して鈍くきらめく。

 お目当ての飲み物が無いのか、猫目が恨めしそうに自販機を睨みつけている。


 知らない顔だ。

 所属アイドルの顔は大体覚えたつもりだけど記憶にない。だからといって裏方のスタッフさんにも見えない。


 人懐っこさの欠片もない瞳がこちらを向く。


「……ドーモ。見ない顔だな」

「百合色ブロッサムの駒嵐詩喜こまあらししきよ。あなたは?」

「……百合色ブロッサムぅ? ……じゃあ、アンタが噂の百合ハーレムのセンターか」


 あたしの質問に答えることもなく、露骨にあざけり滲ませて薄く笑った。

 その態度が、彼女の言う噂がいい話ではないことを物語っていた。


 ……まあ、無理もない。

 好待遇での加入に、胡散臭いグループコンセプト。

 同じ事務所の人間に嫌われる要素は多い。あたしだって逆の立場ならいい気はしないだろうし。


「ええ。それが何か?」

「別に? どんなツラしてるか拝んでみたかっただけだよ」

「……それならもう行くから」


 淡々と話を切り上げる。

 嫌われている相手と無理に仲良くなるつもりはない。


「待てよ」


 背中を向けたら、すぐに短く呼び止められる。

 少しだけ振り返ると、彼女は無造作に自らを指差した。その動きには妙な自信と、どこか勝ち誇ったような雰囲気を感じさせるものだった。


「ウチは超実力派ガールズロックアイドル『輪廻の竜ウロボロス』からデビューする野浪杠葉のなみゆずりは。ウチの活躍を這いつくばって見ときな」


 瞳に宿るのは強烈な自負と敵意。


「……悪いけれど、這いつくばる趣味はないの」


 それだけ告げると、今度こそ振り返り足を進める。

 背後からチェーンの揺れる音が聞こえた。


◇◆◇◆


 部屋に足を踏み入れると、甘い匂いが鼻をかすめた。

 他のメンバーは全員揃っていて、あたしが最後だったようだ。

 テーブルの上には開封されたクッキーと飲み物が入っている紙コップが複数。


「あっ、詩喜ちゃん帰ってきた!」

「うふふ、数分ぶりですぅ、詩喜先輩♡」

「詩喜お姉ちゃん用に甘くないクッキーも持ってきてるよ」


 三者三様の賑やかな声に迎えられる。

 初日はこのテンションについていける気がしなかったけれど、残念なことに慣れてしまった自分がいる。


「……ミーティングって聞いたんだけど?」

「そうだよ!」


 雲英きらが元気よく即答するが、ミーティングというよりはホームパーティでも始めるみたいだ。

 ルリがあたしの席に紙コップを置いた。


「詩喜お姉ちゃんはお茶で大丈夫?」

「大丈夫だけど、それぐらい自分でやるわ」


 ペットボトルを受け取り紙コップへ静かに注ぐ。


「うふふ、紙コップにお茶を注ぐ姿もスマートで素敵ですぅ♡」


 彩芭さやはは恋する乙女のように両手を頬に添えて、こちらをうっとりと見つめている。

 この間のカレーの一件で大人しくなったと思えば、次に会った時にはすっかり元通りだから困ったものだ。


「見て見て、彩芭ちゃん! 雲英もスマートに入れてるよ!」


 ドヤ顔で雲英がコップを掲げるが、水面は表面張力の限界を迎えようとしている。

 危なっかしいたらありゃしない。


「星々先輩、零れちゃいますよぉ?」

「ふっふっふ、ギリギリを攻めるのがスリルがあって楽しいんだよ!」


 言ったそばからピチョンと一滴。雲英が「わっ!」と声を上げて台拭きで零れた水を拭く。

 やんちゃな男子小学生みたいだ。


 呆れを口にしようとしかけたそのとき、部屋の片隅から控えめな声が上がった。


「あ、あの……そろそろ始めてもよろしいでしょうか……?」


 小さく手を挙げて存在を主張しているのはマネージャーの三津井さん。

 相変わらず、キチッとしたスーツ姿にクマ頭というアンバランス具合。……目立つはずなのに存在感がなくて気づかなかった。


「三津井さん、いたのね?」

「す、すみません……消えます……」

「消えなくていいから……! そういう意味で言ったわけじゃないわ」


 心なしか三津井さんの体がスーッ……と薄くなっていっている。


「ほらほら、三津井さんもこれ飲んで元気出してよ」

「……う、ありがとうございます……」


 ルリからお茶を手渡され落ち着いたのか、薄れていた体がパッと戻る。

 人体の不思議で済まされない超常現象が起こっているはずだけど……。

 いちいちツッコミを入れても疲れるだけなのは間違いない。あたしも深く考えるのはやめて、椅子に座り直した。


「……では、あ、改めまして、これからの活動方針についてお話させていただきます……!」


 三津井さんがわたしたちの机に資料を置いて、ホワイトボードの前に立つ。

 秘書代わりのルリが隣に並んでマーカーを握った。


「ゆ、百合色ブロッサムは今後の戦略として……動画投稿サイトでの活動をメインに進めていきます……」


 動画投稿……か。

 アイドルが個人で動画投稿しているのは稀に見るけれど、グループ単位でというのは珍しい。


「YouTuberってこと!? 雲英は動画編集とかしたことあるから任せてよ!」


 目を輝かせて食いついたのは雲英だ。

 分かりやすいほどノリノリで、机に身を乗り出している。


「……えっと、撮影や編集は事務所でやりますので大丈夫です」

「え~、雲英の編集技術見せたかったのに!」

「……す、すみません」

「謝っちゃダメでしょ」


 ルリが小さく咳払いして場を戻した。


「それで、動画投稿の目的って何ですか?」


 話を本筋に引き戻すナイスサポート。

 三津井さんは資料を見ながら再び口を開いた。


「は、はい……! 動画投稿の目的は、純粋な知名度の拡大とメンバー同士の関係性を視覚的にアピールすることです……」


 それっぽい言い方してるけど、要約するとそれって――


「要するにぃ、いっぱい百合営業しましょうってことですねぇ♡」


 彩芭も満面の笑みで要約する。

 ……百合営業に関しては事前に散々聞かされていたから覚悟は出来ている。動画投稿だとは思わなかったけれど。


「そ、それと……再来月に事務所の別グループのライブに……ゲスト出演することが決まっています……!」


 思いもよらない言葉に場が一気にざわめいた。


「ら、ライブ!? 歌って踊るってこと!?」


 ルリの驚いた声を皮切りに、他の二人もすぐに反応する。


「きたきたきーた、雲英が輝けるステージ!!」

「詩喜先輩のステージ、楽しみにしていますぅ♡」

「アンタも同じステージに立つのよ……」


 ファンのようなリアクションに思わずため息が漏れる。

 メンバーとしての自覚はどこにあるのやら……。


「え、えっと……ライブでのパフォーマンスは、あくまでもゲストとして最後に一曲だけ披露するという形になります」

「……まあ、そうよね」

「当面の目標は知名度アップと、ライブの一曲を完璧に仕上げることだね」


 ルリが手元の資料を見ながらやる気を滲ませた。

 資料の端を押さえた指先に力が入っているのが分かる。


「……きょ、曲の音源や振り付けはまた後日になります……。今日は撮影用のスタジオと機材を用意したので……そちらで動画を撮る手筈です……」


 三津井さんが申し訳なさそうに促した。


「動画だー! 今すぐ撮ろう! すぐ撮ろう!!」

「ちょ、引っ張らないでよ!?」


 風のように走り出した雲英が、弾んだ声であたしの手を引っ張る。その振動で紙コップが危なっかしく飛び跳ねた。


「あ、あの、まだ話は終わってなくて……!」


 三津井さんの制止も意味なし。

 暴走機関車に引きずられるようにして廊下に飛び出す。


「だって、スタジオじゃ使える時間も限られてるでしょ。彩芭ちゃんとルリちゃんも早く早く!」

「ズルいですぅ。詩喜先輩待ってくださぁーい♡」

「わたし荷物持ってるんだけど!?」


 騒がしい二人の声が背中から聞こえる。

 彩芭はともかくとして、ルリにはなんだか申し訳ない。


 廊下に出ても雲英の勢いは衰えることない――と思われたが。


「わっ!?」


 雲英は曲がり角で、壁から取れていたチラシを踏んでお手本のように足を滑らせる。

 軽やかに跳ねていたはずの彼女が、勢いのままに正面に倒れ込んだ。

 

 そうなると、引っ張られていたあたしも一緒に倒れるわけで。

 せめて雲英を体重をかけないように床に手をつく。


「いったたた……」


 小さく呻いた声が耳元で響き、瞼を開けると星を映す瞳があった。

 瞳の彩度の僅かな違いまで分かる程の距離。


 起き上がろうとした雲英の顔が、徐々に近づいてきて――ふわりとした柔らかさが微かに触れる。


「……っ!」


 呼吸を忘れた音がした。

 雲英が口を半開きにして困惑したように短く息を漏らす。


「ふぇ……?」


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百合色ブロッサム ナナミダ @namidassr

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