山吹色の金盞花
@Ricoris3
春、渡る
プロローグ
もし、なんて話は仮定でかしかなくて。それが実際に起こり得る事は、場合によってはないに等しい。
過去の選択を悔いたところで、時間が巻き戻るなんてことは、どう足掻いたって不可能なのだからーー。
それでも、やっぱり思ってしまう。私は当時どう行動して、どのような選択をすればよかったのだろう…。
十年余りの月日が経った今でさえ、答えが出ない問いを、何度もぐるぐる自問自答している。
『他にやりようはなかったのか』
『もっと上手く動けたのではないか』
『戻れたとしても、また同じことを繰り返すのだろうな』と、最終的に何時ものところに着地したって。
当時の行動を後悔はしても、当時の私を責める気はない。その時の感情はその時のもの。どうしてそう感じたのかも、鮮明に覚えている。だからこそ、反芻する訳なのだが…。
『何か一つでも違ったら』
数えきれない程、頭の中で繰り返した言葉。
こちらに都合のいい話なんて、ある訳がない。
そんなことは、理解っている。
春
一、四月
小学校六年生を目前に、海外から日本へ帰国した。今回は、二年生の時のように急に決まった訳ではないから、心の準備は出来ている筈だった。このタイミングでの帰国も、年子の姉の中学校入学に間に合う時期のため、理解はしている。
しかし、だ。理解するのと受け入れるのとでは、また別の話で…。
ーーいくら願ったって、叶わないのは分かってる。でも…どうせなら、卒業したかった…。
三年生で戻って来た時の、皆の反応を思い出した。出戻り状態だったから、クラスの皆も私のことを覚えていた。一年しか間が空いてなかったのもあるだろうが…。
今回も出戻りであるのは同じだ。だが、一学年十人前後の日本人学校と、一学年二学級で一教室に三十人の学校では、規模が違う。
半年いた私を覚えている人はいないだろう。私だって、仲良くしていた子の顔は一人しか覚えていないのだ。
ーーいた学校にまた通うとはいえ、『初めまして』って感じだな…。女子内でグループは決まってるだろうし…。色々憂鬱だなあ…。
そうして鬱屈とした気持ちを抱えたまま、始業式の日を迎えた。
それから約一週間後、私は何時ものように酷く疲れて家に帰った。バス通学で且つ七時間授業で拘束時間が長い日本人学校の時より、今の方が疲労は大きい。想像していたより、精神的にダメージが来ている。
女子にグループが出来ているのは想定内だ。だから、案の定休み時間に一人で過ごしても、気にはならない。
だが…クラスが五月蠅さ過ぎる。これに慣れるのは無理だ。
ーーなんで授業中にあれだけ喋れるのか。真面目に受ければいいのに…。静かに受けれていた向こうが懐かしい…。
人数が日本人学校の約二倍はいるから、色々な人がいるのはまあ、解る。それを差し置いても、五月蝿い。
かといって、注意するほどの勇気がある訳でもないけれど…。変に目立つのは絶対に嫌だ。それに、誰も転入してきたばかりの私の言葉を聞くとは到底思えない。
クラスの人だけでなく、先生にも苛々はある。何故該当しない人まで怒るのか。
だから、五月蝿い事やそれ以外で自分が真面目にやっている時に説教が始まる時と、騒々しい授業中は、『聞くな、聞くな、聞くな…。心よ閉じろ、閉じろ、閉じろ…』と言い聞かせる。
扉を閉じて鍵を掛け、カチンコチンに凍らせれば、本来聞く必要のない言葉は半分くらいで済むから。それでも半分は、要らぬダメージになるのだ。いっそ、何も感じなくなったら、楽なんだろうなあ…。
本当は耳を塞いで、目を閉じてしまいたい。何も見ず聞かずに出来たらどれだけいいか。
先生だけでなく、私だって同じことを思っているのに…。間違っても表には出さないけれど…。怒られている時は、早く終わって欲しいから、あくまで萎らしいふりをしている。
頂けないのは、その頻度がかなり高いこと。
ーー私のいるべき場所は、ここじゃない。帰りたい、帰りたい、帰りたいよ!!!
両親に言ったところで、叶わない望みだとは理解している。だから、口には出さない。でも、胸の内に秘めたその思いは、日を追う毎に強く、大きくなっていく。
環境の違いに嫌気が差していたのだろう。クラスの空気、学校の雰囲気、開き直って一人で過ごす休み時間、時間の使われ方と流れ方などに…。
慣れる必要があるのは、頭で解っていても。心が受け付けない。どうにもならないという諦めはあるが、心情は頑なに受け入れることを拒んだ。
ある日の登校前、朝食を吐いた。それは一〜二週間続いた。熱はない。風邪気味でもない。ただ、精神的に辛い。
まさか、こんなに学校に行きたくないと思う日が来るとは思わなかった。でも、行かないという選択肢は無い。母は、体調不良でもない限り登校するように言う人だ。
ーーこんな状況に、卒業まで耐えなければいけないのか…。
学区を変えたところで、状況は変わるだろうか…?あまり希望はない気がするし、転校に次ぐ転校は…。
ーーあと一年…。あまりにも長過ぎる…。
唯一の救いは、隣の組に仲の良い子が出来て、下校時に少しの間だけ一緒に帰れること。学校の坂を降りたら直ぐ逆方向だから、本当に僅かな時間だけど。
二、五月
今日の給食当番は散々だった。よりによって具と汁のバランスが難しい汁物を割り振られ、担任に「遅い。早くして」と言われながらの配膳。
周りの子と比べて、経験は少ない。四年前に一年間しか日本の学校に通っていないのは、先生も分かっている筈なのだが…。
時間が押してるのは解る。慣れないなりに頑張ってやっているのに、急かすような事を言わないで欲しい。そのせいで、後半は内心自分と担任に苛々しながら、それを表に出さないようにするのに無駄なエネルギーを使った。
何が割り振られるかはローテーション制だから、文句はない。ただ、憂鬱なだけ…。配膳のバランスを間違えると、担任から叱責が飛んでくるから、戦々恐々としながらの当番だった。
自身の至らなさの自己嫌悪と担任のそんな調子の所以で、元から憂鬱だった給食当番は更に嫌になり、当番が近づいてくると普段より気分は落ちた。
給食はいつも味がしない。口に合わないのか、大して美味しいわけではないので楽しみでもない。先月末に配られた献立表は、さっと目を通して家での雑紙に回った。メニューに一喜一憂できるクラスメイトがすごいと思う。例の如くカレーや人気のお菜はあるけれど、おかわりをする程ではない。
本を読んでいて時折見られる場面ーー献立表を見て、好きなお菜の日を心待ちにする。学期末のまとめテストの内容は入らないのに、給食の献立は覚えている、など。家の御飯に置き換えたら理解る。が、そのままでは未だに共感し難い。
班の人に話を振られない限り黙って食べる。私からは何を話せばいいのか分からないから、振る事もなかった。女子が話すアイドルや俳優に興味はないし、無理に話を合わせるつもりも端からない。全員、『用があったら話す程度』の仲だ。
ーーお弁当の方がいい…。
毎回、家族以外の誰にも言えないことを飽きもせず思いながら、もそもそと口に運ぶ。
母は大変だろうが、幼稚園からずっとお弁当だった身としては、正直美味しくもない給食よりずっといい。
ーー作ってくれている人に失礼だから、出されたものは全部食べるけど…。
ただ、栄養を補給するためだけの時間。楽しみながらの食事とは程遠い。各々のお弁当を前に、会話に花が咲いた日本人学校が懐かしい。
ーー慣れなきゃいけないのは分かってる…。でも……。
学校が苦痛である原因の半分が、自身にもあることは理解していた。しかし、一体どうするのが最善だったのか、解らなかった。
自分の意思に背いてまで無理にでも馴染みにいくべきだったのか?
開き直って一人で過ごすままで良かったのか?
それとも、考えが至らなかっただけで、他にやりようがあったのだろうか…。
給食と片付けを終えて昼休みになり、既に充電切れの気持ちで窓の手摺にもたれる。この後の掃除の為に机は後ろに下げられるから、十分休憩のように本を読むわけにはいかず、何時も外をぼんやり見て過ごす。図書室に行ったり、外で遊ぶ程の気力もないし、わざわざ出て戻るのが面倒だ。
ーー疲れた…。この後掃除と午後の授業が残ってるのか…。長いなあ…早く帰りたいな…。
中学校が見える。あちらも今、昼休みだろうか。男子生徒が数人、グラウンドでサッカーをしている。
ーーお姉ちゃん、何してるんだろなあ…。いいな、早く中学生になりたい。
中学校は大体四〜五つの小学校の生徒が集まる。一学年六クラスらしいから、小学校からのメンバーも散るだろう。お互い初めましての人の方が多い筈だ。
年子だからどうしようもないのは解っていても、きりのいいタイミングで転校出来た姉は羨ましい。実際のところどうか知らないけれど、楽しくやっているように見える。
方や私は授業中の騒々しさと、先生の怒声に辟易している。意識して周りの言葉を聞かないようにする癖がつき、精神的な負担を出来る範囲で軽減させて、内心の怒りをなんとか鎮めての学校生活。
叶わない望みなどの向ける矛先のない感情は、『どうせ誰も分かってはくれない』『口にしたところで状況は変わらない』と内に仕舞い込み、孤立への拍車を掛けた。
ーー大体小六で転校してきて、馴染めっていう方が無茶なんだ…。グループが出来てる中に割り込めと…?
外を見ながら思うのは何時も同じことだ。早く中学生になりたい、海外に帰りたい…。所謂現実逃避である。
クラス内で浮いているのは自覚していたが、どうでもよかった。無理して周囲に合わせる気はないし、私は私だ。
一月が過ぎた時点でもう、自暴自棄に近い状態になっていた。と同時に、良くも悪くも
諦めがよくなった。自分が動いてもどうにもならない、と解ると『もういいや』と投げ出してしまう。
平日は週ニ回の習い事の公文と、姉が部活から帰ってくるまでの約ニ時間がストレス発散となった。
公文の先生は優しかったから、忙しい時間帯を避けて行けばある程度は構って貰えた。学校の事を相談したりは出来ないが、『人の気配があり、且つ静かに学べる』環境が家以外にあるのはありがたかった。学校の授業面では副教科以外、騒々しさからの苦痛と怒声への苛立ちで出来るだけ内容だけ聞き取りつつ板書を取るものに成り下がり、四十五分を六コマはかなり精神的に辛くなっていた。
それ以外の三日は母も仕事で帰宅が十八時頃になるのをいい事に、好きなミュージカルの動画を見て過ごす。夢中になって歌を聴いていると、その間は憂鬱な学校生活の事を考えたり、思い出さずに済んだ。
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