第5話 電気の紐がつなげた絆

 姉は目に涙を浮かべながら、赤いシャツを着ていた。そのシャツには「LOVE BROTHER」の文字と、俺が電気の紐とボクシングをしている姿がプリントされていた。

 奇怪な姉の姿に、俺は動揺を隠せず、ただ姉の目を見ることしかできなかった。それでも、何とか声を絞り出し、今にも泣き崩れそうな姉に尋ねた。


 「…どゆこと?」


 震えた声で姉が答えた。


 「わ、私は…、と、殿真を応援していたんだよ」


 「お、応援ってなに?」


 俺の声も、姉につられて自然と震えていた。

 姉に皆の視線が集まる中、深呼吸をした姉は、目に浮かんだ涙を拭って答えた。


 「殿真が電気の紐とボクシングをするところ、ずっと陰から応援していたの。だって、殿真は運動嫌いで、家にいつもいて、漫画ばかり読んでいたから…」


 姉の話を続けて聞いた。


 「でも、そんな殿真が運動を始めて、それを継続して…。それが、私はとっても嬉しかったの」


 姉は俺の目を見て微笑んだ。少し間が空くと、突然、姉の目が虚ろになり、俺に向かって謝り出した。


 「ごめんね、殿真。本当にごめんね。私が本当に馬鹿で、殿真を傷つけてしまって…。ごめんね」


 姉のこんな姿を見たことがない俺は、ただ黙って姉が謝る姿を見つめることしかできなかった。

 しばらく、誰も話さない重い空気が続く中、知らずと俺の後ろにいた高橋が急に話に割って入ってきた。


 「弓先輩があの動画を拡散させたわけじゃないですよね?」


 姉に集まっていた視線が高橋に移った。


 「だって、今の話や弓先輩が着ている素敵なシャツを見たら、あの動画を意図して拡散させたわけではないって思いませんか?」


 俺は姉を見た。

 高橋が言っていることは理解できた。理解できたというより、姉の話を聞いているうちに、姉が言っていることとやっていることの矛盾に気づき、どこかモヤモヤしていたからだ。姉の話を聞いていると、俺を陥れようとか、俺を嫌悪する感情は感じられない。ただ、どこか気持ち悪い。

 姉を見ても、どこか苦い表情を浮かべているようで、答えてくれる様子はない。とは言え、謎だ。


 謎一つ目。結局、誰があの動画を広めたのか。

 姉が俺の姿を動画で撮影していたことはわかった。現況を作ったのは姉ということに変わりはない。ただ、姉がどうやって俺の動画を拡散させたのかが謎だ。

でも、姉の様子や話を聞いていると、姉本人曰く、不注意で拡散させるつもりはなかったと言っている。それとも、本当に意図せずに拡散したのか?

 謎二つ目、姉が着ている赤いシャツ。

 プリントされた文字や写真は…別として、あれをどこで作ったのかが気になる。部活動の練習や遊びで多忙な姉が、不器用な姉があのシャツを自主制作できるわけがない。

 ここからは推測だけど、姉はシャツを作るとき、誰かに依頼するしかない。その依頼を受けた人が、俺の動画を拡散させたのではないかと、俺の中で考えているうちに気づいた。

 謎三つ目、姉は実はブラコンだった。

 あの赤いシャツを見た瞬間、俺は恐怖と混乱で頭も心も整理がつかなかった。姉は俺のことを大嫌いだと思っていたのに、あんなシャツを着て、急に「陰から応援していた」とか、「嬉しかった」とか言う姉を、俺は知らない。

 喧嘩以来、俺は自分から姉と関わろうとはしていなかったし、姉も姉で俺を避けているように感じていたから、本当に困惑している。

 姉に対してあれほど怒りを感じていたのに、あのシャツを見た瞬間、その怒りが綺麗に吹き飛んだ。ただ、結局、姉は何をしたかったのかがわからない。そこが謎だ。


 俺は状況を整理して、深呼吸をして姉のシャツを見ながら、落ちついた声で再び聞いた。


 「姉ちゃんが俺を陰から応援してくれたことはわかったよ。そのシャツを自分で作ったの?」


 姉が首を横に振って答えた。


 「……この服を作って欲しいって…」


 「誰にお願いしたの?」


 「…」


 俺は姉の無言を聞いて確信した。今回の出来事は、姉がシャツの制作を依頼したことが発端で起こったことだ。ただ、なぜ姉はシャツを作ろうとしたのかそこが分からない。だから、続けて姉に聞いた。


 「なんでこのシャツを作ろうと思ったの?」


 「殿真と仲直りがしたかったから、このシャツを作ったの」


 誰がシャツを作ったかは答えられないのに、この質問には答えてくれるんだ。


 「仲直りって?」


 「中学の時のやつ」


 「姉ちゃんが幽霊を信じて、俺の尻を蹴ったやつ?」


 姉はコクリと頷いた。


 「つまり、姉ちゃんは俺と仲直りがしたくて、あのシャツを作ったと」


  姉が刹那に言った。


 「それを一緒に着たかったと」


 「い、一緒に着るって?」


 「同じやつ二枚作ったの。ペアルックをしたら仲直りするかなって…思って…」


 高橋が小声で「いいねぇ」と不気味な笑みで言っているのが聞こえた。


 「なるほど…」


 どうやら、俺の姉はブラコンになっていたらしい…。



 文化祭で起こった姉弟喧嘩は、学校で大きな注目を浴びた。上級生からも良い意味で揶揄われるようになり、それまでより話す人が増えた。前田たちやクラスの子たちとの距離も縮まった。プライベートを姉に晒された俺に、同情してくれたのだろう。文化祭の後、前田たちが直接謝りに来た。


 「殿真、本当にすまん。今後も嫌だと思ったら言ってくれ。俺も気をつける」


 「ごめん、弄りすぎた。マジでごめん。次からは気をつける」


 「殿真が面白かったから、俺らもエスカレートしていった。ごめん」


 「俺も周りに流されて、殿真をからかってごめん」


 誰かを笑わせようとせず、引き笑いもなく、女子もチラチラ見ないで、豚鼻で笑わない、本当の「みんな」を初めて知れて、どこか共感できて嬉しかった。


 「いいよ、いいよ、しゃーない」



 文化祭の後、家で姉と話をした。そして、今回の出来事の真相がやっとわかった。

 姉はあの時の喧嘩以来、俺と仲直りしていないことにモヤモヤした感情を抱えていたようだ。そして、そのモヤモヤを解消しようと、俺との仲直りの計画を考えたものの、実行に移せずにいたらしい。そんな中、姉は俺が電気の紐とボクシングをしているところを見て、感動とともに俺との仲直りの方法を閃いたらしい。それが、ペアルックのシャツをプレゼントすることだった。

 姉は電気の紐と戦っている俺をほとんど撮影しており、その戦っているシーンをプリントしたシャツをペアルックにしようと思いついたのだ。自分ではシャツを作れない姉は、友達のいる手芸部にお願いし、その際、「他言無用」としていくつかの写真を送ったそうだ。

 しかし、その中には動画も含まれていたらしく、「他言無用」のはずなのに、手芸部のグループチャットにいくつかの写真と動画が送られてしまい、その結果、俺の動画が学校中に広まってしまったということらしい。姉本人も動画を送ったことには気づかず、学校に行って初めてそのことを知ったそうだ。

 姉はその後、俺にその経緯を説明しようとしたが、その頃にはすでに手遅れで、しかも俺と姉は喧嘩中だったため、話しかけることができなかった。さらに、姉の中では、このことがきっかけで俺に友達ができたことが嬉しく、「結果オーライ」と思っていたらしい。そのため、結局、姉から俺に話しかけることはなかったというわけだ。

 その他にも、姉が文化祭の時にみんなの前で事の経緯を話さなかった理由は、手芸部の友達や手芸部の子たちを悪く言われたくなかったからだそうだ。

 実際、姉と手芸部の友達との間には認識のズレがあったらしく、姉は依頼した子個人にシャツ作りを依頼していたつもりだったが、姉の友達である手芸部の子は、私個人ではなく、手芸部全体に依頼したと思っていたようだ。このすれ違いが原因で問題が生じていた。

 姉の中では、勝手に撮影し、誤って動画も送ってしまった私が全て悪いと思い込んでいるのだろう。

 実際、被害者である俺もそう思っている。けれど、一次被害で済んだところが、二次被害にまで発展してしまった。だから、姉が全て悪いとは言い切れないし、言いたくない。

 まず、シャツ作りで依頼された写真の中に動画が混ざっていた場合、その動画について姉に確認を取るのが普通だろう。しかし、姉は結局、学校に行くまでそのことを知らなかったわけだし…。だから、姉の友達側にも、動画を学校中に広めた手芸部の誰かにも問題があったと思う。

 でも、そうやって考えてみると、自分の部屋の扉を全開にして、電気の紐とボクシングをしていた俺にも問題があったと思う。俺は俯瞰して物事を見ることができるからね。


 久しぶりに姉と一対一で話すから緊張でもするかと思っていたけど、文化祭の時にあれだけ感情的になったおかげで、緊張することなく姉に事情聴取することができた。それに、二年前の姉とは大違い、二年前はサバサバしていた感じなのに、今じゃ何があったのかというほどシットリしている。

 今では、姉が俺の部屋に来て、一緒に電気の紐と戦っている。振り返ってみると、なんであんなに喧嘩していたのか、正直、よく分からない。やっぱり、誰とも揉めたくない。

 もし、誰かと喧嘩でもして、仲直りが上手くいかないなら、お揃いのシャツを着て、一緒に電気の紐と戦えばいい。

 そして、その状況を第三者視点で見てほしい。何やっているんだろうってなるから。笑えてくるけど、それが案外、うまくいく方法かもしれないと思った。

 結局、ちょっとした馬鹿げたことが、物事を前に進めるんだなと、初めて知った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

電気の紐とボクシング 晴光悠然 @seikou-yuzen

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ