第2話 夜明け



 十一年前...国狩り戦争が終結した四年後。


 街は崩壊しており、あちらこちらに爆撃の跡が残っていた。

 "進化の街"と呼ばれていたコルネス区は、灰に包まれ、煌めいていた街は見る影も無くなっていた。


 「早く動け‼︎」


 轟く軍兵の怒声。


 「嫌だ!貧民街ルーズタウンになんて行きたくない!俺らが何をしたって言うんだ!」


「非攻撃型レーヴは貧民街ルーズタウンへの追放命令が出てるんだ!言う事を聞け!」


老若男女、中には怪我をしたまま治療を受けていない者も居たが、軍兵に連行されて行った。


 国狩り戦争直後、非攻撃型レーヴは貧民街ルーズタウンへの強制追放が行われた。

 コルナス区は非攻撃型レーヴが多く集まっており、ナギの育った孤児院のシスターも非攻撃型レーヴとして連行された。

 孤児院は廃墟と化し、齢五歳のナギは途方に暮れた。生きる術も知らない、行く宛ても無い。何も食べず、飲まず、三日目で力尽き、廃墟と化した孤児院裏でじっと蹲っていた。


 「ウゥッ...怖いよぉ...しんどいよぉ」


泣く事しかできなかった。

 連行される人間を見てしまってから、怖くて街へ出られなかった。その為、軍兵の助けも受けることができなかった。


 「ねぇ、大丈夫?」


幼い少女の声が、真後ろから聞こえた。

 恐る恐る振り向くと、自分とは真反対の小綺麗な少女が立っていた。汚れのないピンクのワンピースを着て、風呂に入ってるのであろう艶のある黒髪を靡かせていた。


 「え...」


 突然声を掛けられ、ナギは言葉が出なかった。


 「大丈夫?って聞いてるの!」


 少し苛立ちを含んだ言い方に、ナギは焦った。何を言えばいいか分からなかった。誰か来るとも思っていなかったからだ。


 「お腹が空いた...喉も乾いた...お風呂にも、入りたいよぉ」


弱々しい生気のない声に、少女は少し同情をしたようだった。全身灰塗れで肌は黒く染まっており、泥だけの服と異臭に、少女は彼に助けが必要だと直ぐに察した。


 「これ、あげる」


持っていた紙袋の中から、二切れのパンと瓶に満タンに入った水を渡した。


 「え、いいの...?」


ナギは戸惑った。食糧難であることは知っていたからだ。

 しかし、少女の顔を見るなり遠慮の気持ちは飛んでいった。柔らかく、どこか温もりを感じる笑顔に包まれた。

 次の瞬間にはパンに貪りついた。

 水は瞬く間に飲み干したが、パンは顎の力が弱っており、食べ終わるのに一時間弱掛かった。

 その間、少女はナギの隣に座り、ただ黙って食べ終わるのを見守っていた。


 暫くして、ナギが食べ終わったのを見計らい口を開いた。


 「なぜこんな所にいるの?街に出れば、パンや水を配っているのに。私たちみたいな子供は、一番にパンを貰えるよ」


「...ここで育ったんだけど、シスターが目の前で無理やり連れ去られたんだ。そこで、街に出たんだけど、大人も子供も、嫌がってるのに連れ去られて、僕もこうなったらって...怖くなって...」


「あなた、レーヴ?」


「違う...」


「ヴィザね。じゃあ大丈夫、一緒に街へ行こ!わたしも行くところなんて無いけど、街に出れば大人達が助けてくれるわ!」


この時、ナギはまだ自分が能力を使えることを知らなかった。小屋で生まれた為、測定能力も受けず、記録にも残っていなかった。

 彼にとって、街に出ることは相当の勇気が必要だった。

 自分と変わらないであろう年の子供が、軍兵に連れ去られている情景は、彼の脳裏から焼きついて離れなかった。


 「いいよ、ここにいる。死にたく無い...」


「死なないってば!ここに一人でいる方が死ぬわよ!」


無理やり彼の手を引っ張る少女。

 ナギは簡単に持ち上がった。


 「あら、軽すぎない?」


「ご飯はありがとう...でも、もういいんだ、放っておいてくれ!」


助けてほしい、また一人になりたく無い、寂しい、怖い...様々な感情が葛藤しており、ナギの気持ちは纏まらなかった。混乱して、また泣き出してしまった。

 少女は涙を見て、腕を離した。代わりに、彼の手を握った。


 「じゃあこれで怖く無いでしょ!何があっても一緒。私、一人は寂しいもん。一緒に居ようよ」


久しぶりに人の体温を感じた。

 優しくて、小さい手。女の子で子供なのに、繋がれた手は寂しさを紛らわせてくれた。

 少女の顔を見る。

 目を充血させ、瞳を濡らして今にも泣き出しそうだった。


 そうか、この子も寂しくて怖いんだ。


「あなた、名前はなんて言うの?私はメラ!」


 「僕は、ナギ...」


メラはいつも笑顔だった。どんな時も、その笑顔はナギの暗い心を晴らしてくれた。辛い時も、寂しい時も、二人はいつも手を繋いでいた。


 一年もしないうちに、街は復旧していった。食糧も増え、国からの救済制度も与えられた。

 ダリスはナギを探し出し、二人は一緒に暮らし始めた。メラも引き取ろうとしたが、血縁以外の子供と暮らすことは禁止されていた為、メラは施設で暮らすこととなった。

 幸い、ダリスの家と施設は遠くなく、二人は変わらず一緒に居ることができた。

 

 「ナギ...ナギ!」


ダリスが必死に呼びかける。

  

 「飯...食えよ」


ナギの目の前には、骨付き肉やグラタン、スープ等沢山の料理が置かれている。


 「国狩りの頃、俺はサブドル王に使えていてよぉ...」


「ギャハハハハハハ!」


ダリスの店は毎度ながら大繁盛だった。

 特に、今日は国狩りが終結した日だ。酒を食らった男達がいつも以上に騒いでいる。

 ナギはただ一人、盛り上がる店のカウンターに鎮座していた。金色のブレスレットを握りしめて。


 「飯、冷めちまうぞ」


もぬけからのようになってしまったナギに、ダリスはなんと声を掛けたらいいか分からなかった。



ーーメラが死んだ。


 そう言って帰ってきたナギの血まみれのを見て、ダリスは驚いた。

 あれから五時間以上経つが、何も話さない。俯いているだけで、泣いているのかさえ分からない。

 いつもなら揶揄からかってやるところだが、今はとてもそんなことをできる状況じゃない。

 ダリスは絶望の淵に居るを見て悲しくなった。彼にできることは、ナギの好物を作り、時間が流れるのを待つことだけだった。


 「なぁ、ナギ。何か話してくれねえか?今じゃなくてもいいから、気が向いたらよ...」


腹が減った。鼻から抜ける好物達の匂いは食欲をそそり、思わず手を伸ばしてしまいそうになる。こんな時も腹が減る自分に、嫌気がさした。

 ナギは黙って席を立ち、「ごめん」と一言呟いた。


 二階にある自室へ行き、電気も付けずベッドへ倒れ込んだ。

 扉を閉めても一階から聞こえてくる酔っ払いの笑い声が響き漏れている。

 ナギは目を瞑った。

 

 誰に殺された?なんで助けられなかった?メラにはもう、会えないのか?彼女はこの世に存在しなくなったのか?


 自問を繰り返すが、答えは出ない。

 脳裏に浮かぶのは胸から血を流し、生気の無くなった目で空を見上げているメラ。止まっていた脈。抱き寄せた時に感じた温もり。


 メラのブレスレットを眺め、胸ポケットに仕舞う。


 やがて、彼は気を失うように眠りに落ちた。



ガシャンッッッッッッッッ



 耳をつんざくような騒音に、ナギは飛び起きた。

 そして、目を丸くする。


 「え、え...?」


そこは見慣れた自身の部屋ではなく、全く見覚えのない場所だった。

 

 暗すぎる場所。牢、なのだろう。至る所にシミのような汚れの付いているコンクリートの壁と床、目の前には大きな鉄格子、鼻がもげそうになる程の糞尿のようなひどい匂い。


 そして、一番の違和感は両手に鎖手錠が付けられていた事だ。


 「え、え、待って待って...夢?」


混乱と動揺で頭がどうにかなりそうだった。呼吸を整える。恐怖と違和感で寒さなど感じないほどに焦燥する。

 

 昨日、メラが死んで、帰ったらダリスさんが好物を作ってくれたけど食べずにそのまま寝て...


「そうか!夢か...」


五感がえらくリアルに研ぎ澄まされているが、現実か夢か区別が付かないほどの夢もある。何度かそんなものも見てきた。

 ナギはもう一度目を瞑った。


 ガン!ガン!ガン!ガン!


 鉄格子を殴る鈍い音が牢全体に響き渡る。

 あまりの煩さにまたもや飛び起きそうになるが、これは夢だと言い聞かせ、目を瞑ったままだった。


 「おい!起きろ!夢か〜?とか思ってんなら現実だぞゴラァ!」


誰かが怒声を浴びせてくるが構わない。

 コンクリートが冷えていて、頬が冷たい。硬くて寝心地の悪い床。もう一度眠りにつきたくて、体勢を変えようとモゾモゾと動くが、どの体勢も体が痛い。


 「テメェシカトこいてんじゃねえよ!呑気に気持ちよく寝れる体勢まで探しやがって...お前は軍兵に捕まってんだよ!アホ!」


軍兵に捕まった...


「嘘だ!!!」


 起き上がり、罵声を浴びせてくる男に目をやる。しかし、牢の暗さで顔はよく見えなかった。


「あ?嘘じゃねえよ。お前は昨晩、≪時間操作≫で一日前に時を戻した。それが目の門番アイズドッグにバレて、お前は明日死刑だ」


「時を戻した...?俺は昨晩は自室で寝てたんだ。それで起きたら今ここに...無意識下で発動したってことか...?」


「ハッ。お前レーヴだろ。テメェの能力の使い方も知らねえのか?無意識下で発動してたとしても、強い念があってこそだ。それは事故じゃなくて故意に行ったことになるんだよ」


少しずつ状況が見えてきて、ナギは落ち着いてきた。


 つまり、メラへの強い想いが眠っている最中に無意識に能力を発動させた。渋滞している感情の中で、「過去に戻したい」という気持ちが実際に起こってしまった...。


「「過去に戻りたい」なんて、億人も思ってんだ。お前もその中のうちの一人。それがたまたまお前が≪時間操作≫の能力を持っちまってたせいで、運悪く発動したんだな」


 最大の禁忌を犯してしまった...


明日、死刑...


 実感湧かず、呆然とする。

 

 「待って、それで、過去には戻ったのか?今は、一日前ってことか?」


「正解」


「それなら、今は何時だ?!」


「あぁ?」


「頼む!時間を教えてくれ...」


「午前九時だが...なんだ?」


午前九時...まだ起きてもなかった時間。

 起きたのは十一時、メラが殺されたのが十五時過ぎ...

あと六時間ある!今ならまだ、間に合う!


 「頼む、出してくれ!」


顔の見えない男に懇願する。


 「待て待て待て。明日死刑の男をここから出す?笑わせんな」


それはそうだ、とナギは落胆する。

 今ならまだメラの殺害を防げる。  

 そして、もう一度メラの生きる世界で生きられる...。


 しかし、軍兵が死刑になる男を逃すはずがない。


 「まぁでも、お前がただの死刑囚だったらの話だ」


男はしゃがみ込み、こちらへ近づくようナギに手招きした。

 ナギは言われるがまま近づいた。

 そして、思わず凝視してしまった。


 男...というより女...?


 切れ長の目、長いまつ毛、目の下の泣き黒子、暗くても分かるきめ細やかな白い肌。

 あまりの美形に見入ってしまう。


 「≪時間操作≫で未来、見れるだろ。俺達はダブリス王に聖蝋せいろうを手に入れるよう命じられてんだ。そこで、俺らが成功してくれてるか視てくれ」


 ダブリス王に命じられてる...こいつは攻撃型レーヴの兵士か!そうは見えないが、嘘をつくように見えなかった。


 「未来でもし俺が死んでいたら俺は未来から抜けられず、何度も死に地獄を味わなきゃいけない。それは嫌だ」


「お前、この流れで自分に拒否権があると思ってるのがすげえな...」


 「俺は自分以外の他人も未来へ行かすことができる。あんたか誰かが行けるって言うなら、未来を見せれる」


男はしばし黙り込んだ。 

 悩ましく目を伏せると長いまつ毛が一層際立った。 

 ナギは内心喜んでいた。今にも跳ね飛びたい程、ラッキー!と思っていた。

 

 「...分かった。じゃあお前をここから出してやる。その代わり、必ず俺らに未来を視せろ。そして、俺らが聖蝋せいろうを手に入れるまでお前がついてこい」


「えっ!なんで」


「お前を脱走させた時点でこっちはもう犯罪者で追われる身になるんだよ。聖蝋せいろうを手に入れたら、お前が俺らを過去に戻せ」


「過去に戻したら俺また「禁忌を犯したー」って捕まるじゃんか!」


「どうせ今脱走できても、捕まるか、一生追われる身になるから一緒だろ」


 ハンッと鼻で笑われる。

 確かに...とぐうの音も出ない。ナギに交渉の余地はなかった。


 「でも、聖蝋せいろうだって過去に戻ったら手に入れられなかったことになるんだぞ!振り出しに戻るんだぞ!」


「あーあ、無知って怖いねぇ」


男は近くに置いてあったランタンをナギに近づけた。


 「聖蝋せいろうのある楽園エデンには時間も能力も、物理的な概念が存在しねえんだ。だから、お前が≪時間操作≫を行って過去に戻しても、聖蝋せいろうに込めた願いは叶ったまま...ってことになんだよ」


ランタンに照らされ、ようやく男の顔や姿がはっきりと見えた。


 見れば見るほど、人形のように美しく、人間が疑ってしまう程だった。ナギは、これ程までに「美しい」という言葉が似合う人間に出会ったことがない。


 「お前...女?」


「ハァ?!テメェ殺すぞ正真正銘の男だわ!」


確かに声はずっと男特有の低音だ。

 

 年は自分と同じぐらいそうだな...

いやいや、そんなことより、ナギは本題へ戻そうと男の話を思い出した。


 「もう、もういいよ取り敢えずここから出して、メラに合わせてくれ!その後はなんでもいうこと聞くよ」


やり取りをしている時間が煩わしくなってきた。

 

 「どうすんだ、どうやって出るんだよ」


時間が分からない。ざっと一時間は過ぎてしまっただろうか...。ナギは内心焦っていた。鎖手錠が食い込み、手首は赤く腫れていた。

 

 「まぁ取り敢えず、ついてこい」


男は腰に掛かってきた無数の鍵をジャラジャラと音を立て、外す。

 全部似てるんだよな〜と、鍵を見分ける。 


 「あったあった」


牢が開く。ナギは心底安心した。

 とりあえず、第一関門は突破した。

 同時に、ダリスを心配した。ダリスに自分が捕まったことは伝えられているのだろうか。だとしたら、もしかすると心配とショックでかなり落ち込んでいるかもしれない...


「さ、手錠の鍵は持ってねえから強行で外させてもらう」


「え、強行って...」


男は右手の人差し指に付けていた、指輪を外した。

 指輪は緑の小さなダイヤが三つはめられているものだった。

 手錠に触れる。


    ボンッッッッッッッッッ


 爆音とと共にガシャンと音を立てて手錠は

床に落ちた。目の前で小さな爆発が起きたことに、ナギは感動した。


 「す、すっげ!これが攻撃型レーヴか...」


「じゃ、行くぞ」

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聖蝋に願いを込めて 高菜明太子 @pupupu112

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