第3話
アメリア・メイズは書類上死んで、毒の紳士ウィリアム・ライデッカーから「エメ」という新しい名前をもらった。
「毒殺するなら、まず毒を知らないといけないからね」
そう言って頻繁に私にそうと気付かせずに毒を飲ませた。食事や水に混入させて。「死なずについてきたら」の意味を私はやっと理解した。
毒の症状に苦しむ私を横目に、先生は嬉しそうに語る。私はウィリアムのことを自然と「先生」と呼ぶようになっていた。
「君には素質がある。大体皆、五種類目くらいで死ぬからね」
苦しむ私を興味深そうに観察し、何かに書きつけることもある。
「考えるんだ、エメ。どうやって彼女に毒を飲ませるのか。摂取させるのか。ヘビやハチが刺してくれるなんて思わないだろう? 紅茶に入れるのか? 化粧水に? 香水に? ガスで吸わせるか? 周囲の人間が犠牲になってもいいのか? 別に一発で殺す必要はない。じわじわと何年もかけて苦しませながら殺すのもいいだろう」
完全に異常者だ。
対外的には医者を志す姪として、医者としてのウィリアム・ライデッカーの診察についていって驚いたものだ。
患者たちは先生であるウィリアムを信頼しきってる。ウィリアムは患者の前ではこのようにおかしな発言はしないものの、医者である時も暗殺者である時もあまり変わらない。
先生は本当に人の懐に入り込むのが上手い。マインドコントロールでもしているみたいだ。
「毒とは毒物だけを指すのではない。何でも毒になりえる。言葉でさえも。最もいいのは愛の感情だろうね。あれは本当に毒に似ている」
体を毒にならし、毒の調合を教えてもらい、動物で実験する。そんな日々の繰り返しだった。
「さて、エメ。君が商会の息子に粉をかけているのは手に入りにくい薬草を融通してもらえるからだと思っていたよ」
「……そうです」
「さっき、別れる前にキスまでしていたじゃないか。それほどの仲とは私も知らなかったよ」
いつも通り上品な笑みを浮かべて、でも威圧感を感じさせながら先生は問うてくる。
「見てたんですか」
「よく見えたよ。あの男の手が君の腰に回っているところなんかも」
「別に……目的のためです」
「そうかな? 街では君と婚約するんじゃないかってウワサもある」
先生の言葉に顔に熱が集まるのを感じる。
カールセン商会の商会長の息子であるパトリックとは確かに仲良くしている。最初はカールセン商会の扱う珍しい薬草欲しさだった。薬草は簡単に毒にもなりえる。でも、だんだんパトリックに惹かれていっているのも事実だ。
「そんなつもりは」
「君がそうでも、あちらがそうでないとは限らないよ」
「そこは大丈夫です」
「どうかな? でも、エメが彼と結婚したいというなら反対はしない」
もっと怒ってくれたらいいのに。そんな変なことを考えてしまう。
嫌だ、これではまるで先生の気を引きたいからパトリックと仲良くしているみたいじゃないか。
パトリックは先生とは正反対だ。誠実で優しくて、普通の人。
「だって王太子妃を殺したいのに彼と結婚するなんて。自分と家族のための復讐はどうでもよくなったということなんだろう?」
笑顔で言われて思わずカッとなって反論する。
「違います!」
「そうかな? デートにかまけて勉強もおろそかになっているようだが」
「それは……すみません」
「いいんだよ。君も年頃の娘だしね。恋の一つや二つするだろう。失敗は若いうちがいい。傷が浅くて済む」
「そんな言い方はないでしょう。まるで私が失敗するのが前提みたいな」
「エメ。知っているかい? 君のお母さんが亡くなったよ。情報集めも怠っていたね」
「え?」
「君は毒に慣れるのと勉強とでいっぱいいっぱいだろうから、黙っていたんだけどね。恋愛にうつつを抜かす暇があるなら伝えておかないと」
「嘘ですよね? だって罰金はなんとか払い終えて、借金も目途がついたはずで!」
「金銭面はそうなんだけどね。犯人は君のお父さんだよ。あぁ、もちろん逮捕なんてされていない。君のお父さんにはね、ずっと愛人がいたんだよ」
先生の言葉に寒気がしてくる。彼はおかしなことを言うが嘘をつかないのだ。
「その愛人と一緒になるために何に乗ったと思う? ソーン伯爵の提案だよ。すべては仕組まれていたんだ」
「一体……何を言っているの?」
「最初の栽培禁止植物の発見から、すべては計画されていたんだよ。君のお父さんもグルだったわけだ。君が娼館に母の代わりに行くと言い張り、頑張ってしまったから彼の計画は一部変わってしまったかもしれないが病弱な妻を殺すのは簡単だ」
さっきまでパトリックと一緒にいて感じていた穏やかな熱が冷めていく。浮かれていた気持ちに冷水をかけられた気分だ。その代わり、私の心には別の熱が灯る。
先生の元で当たり前のように学んで、バカみたいな恋に浮かれていた自分への激しいまでの失望。どうして、私はあの日の悔しさを忘れていたのだろう。
「さぁ、エメ。どうする? 君のお母さんはお父さんに殺された。お父さんは再婚してのうのうと幸せに生きているよ。次のターゲットは君の弟かな? まだ新しい妻との間に子供がいないから大丈夫だが、子供が出来たら危ないのは弟だ。愛する人との子供を跡継ぎにしたいだろうからね。君の最初の獲物はお父さんと愛人にしようか。記念すべき初陣だ。美しく成功したらいいワインを飲もうか」
キュッキュッと洗った実験道具を拭きながら、先生は明日の天気くらい軽く話す。
「証拠は……」
「あるよ、もちろん」
打ちひしがれて床にへたりこんだ私を面白そうに眺め、実験道具を置いて先生はかがんで視線の高さを合わせてきた。長い指が私の顎にかかる。
「エメ、どうしたい? パトリックと結婚して平和に暮らしたいのかな?」
「……いいえ」
「どんな気分だい? 恋に浮かれていたら母親が死んでいた気分は?」
触られて、問われて、ぞくぞくする。寒気なのか熱さなのか分からない。先生は紳士的でミステリアスで、どうしようもなく危険な男だ。この男こそ毒そのもの。
悔しくて震える。
「パトリック・カールセンはそんなにいい男だったのかな?」
思い切り首を横に振りたいが、顎を掴まれているのであまり動けなかった。
「私とは正反対の男だね。彼はとても魅力的だよ。若くて金持ちで優しくて顔もいい」
分かっている。パトリックとは年も近く、一緒にいてドキドキしたのは確かだ。でも、こんな風に胸が焦がされるような感情になったことはなかった。ぞくぞくもしない。さっきまでの感情なんて、熱さなんてこれに比べたら幼子のそれだ。
「どうしたい? エメ? 私の可愛い一番弟子。君はもうあんな目はしてくれないのかな? 王太子妃を殺したいと私に縋ったあの目を」
「父を……殺します」
「パトリックはどうするんだい?」
「パトリックとは何もないので。別に明日から会わなくても一切問題ありません」
「そうか。彼が邪魔してきたらどうする?」
「消します」
「パトリックが聞き分けてくれる男だったらいいね」
先生の指が私の頬を撫でてから離れる。名残惜しいようなホッとするような複雑な感情が渦巻いた。
「うっ」
急に、軽くだが吐き気が襲ってきた。
「駄目だよ、エメ。油断しては。皮膚から吸収される毒もあるんだ。反応が早くていい。まだこれには慣らしていなかったかな? 油断したらいつ殺されるか分からないよ」
先生は先ほどまで私の顎にかけていた指をひらひら振った。
「さぁ、これまでの分の勘も取り戻そうか」
「っ、はいっ」
「いい子だ。早く解毒剤を作りなさい」
立ち上がって戸棚に向かう。
先生みたいな人を絶対に好きになってはいけない。分かっているのに、視線がいってしまう。頭を振って目の前のことに集中しようとする。
この六年であの女は王太子妃になった。まず、父を殺そう。弟を保護して……そしてあの女が王妃になる前に殺す。自分の家の罪をうちになすりつけて平然と生きているあの女を。
毒の紳士と死の祝祭 頼爾 @Raiji
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