第2話

 嵌められた。そう気づいた時にはすべてが遅かった。


「うちの領で栽培禁止の植物が見つかるなどあり得ない!」

「しかし、山奥で見つかったぞ? 登山家が通報してくれた」

「自然に生えたものに違いない!」

「あれほど大量に? しかも丁寧に整備されていた。他国に売っていたんじゃないのか」

「うちのような弱小男爵家が他国へのルートなんてあるわけないだろう!」


 栽培禁止の植物がうちの男爵領の山奥で見つかったのは本当に突然だった。物的証拠を前に、父である男爵の弁明は許されなかった。


「うちではありません! 誰かがあそこで秘密裏に栽培していたんだ!」


 ちょうど隣の伯爵領との境界ギリギリにある山。その山の奥深くに一面、栽培禁止の植物が生えていたのだ。

 真っ先に思い浮かんだのは隣を治める伯爵に嵌められた、ということ。あそこは王太子の新しい婚約者に娘が選ばれそうな家だから。今は醜聞はご法度だ。


 結局父が栽培に関与していた証拠はないものの、男爵領で起きたことなのでかなりの額の罰金を科せられた。


 調度品を売って知り合いから借金をしても罰金の額には届かなかった。私と金持ちの老人との結婚も選択肢にあったが、タイミングが悪かった。


 問題のあった王太子の元婚約者がとある有名な老人のところに嫁いだばかり。足りない金額を出してくれそうな、ただ若いだけの妻を求めている家はなかった。そもそも当時の私はまだ十二歳で、幼すぎる年齢も発育の悪い外見も良くなかったのだろう。


 母を娼館に売り飛ばすわけにもいかなかったので、跡継ぎでもなんでもない私が売られることになった。


 礼儀作法と勉強をある程度かじっていたおかげか、いいお値段で私は売れたようだ。

 迎えの馬車が来て、さめざめ泣く父母と事態を分かっていない幼い弟に見送られて、金の入った袋と引き換えに正真正銘ドナドナされに乗りこんだ。


 覚悟を決めていたはずだ。

 何度も両親とも話し合った。これしかお金を手に入れる手段はない。お金が払えなければ先祖から受け継いできた家は没落決定なのだ。領地と爵位を手放しても良かったが、どのみち借金は残ってしまう。


 分かっている。これはしょうがないことだと。でも、馬車の中で涙が止まらなかった。別に娼婦が嫌なわけじゃない。彼女たちだって必要な仕事だから存在している。


 でも、うちの男爵家は何も悪くないのに。

 何も悪いことなどしていないのになぜこんな思いをしないといけないんだろう。

 これから輝かしいまでいかなくても、平和な未来が待っているはずだったのに。普通に生きて普通に年を取って、普通に結婚する。そんな未来が。


 泣いていたら馬車が不自然な止まり方をした。これまで乗ったどの馬車よりも良い馬車だから、そういう止まり方なのかと思ったがあまりに雑で急だ。


 なかなか出発しないので何かハプニングでもあったのかと、そおっと扉を開けて外に出た。霧が濃いが、なだらかな山道が見える。


「ひっ」


 馬車につながれた馬が泡を吹いて倒れている。

 御者は苦しそうに喉をかきむしる動作のまま投げ出されたようで、離れたところに倒れていた。密室が苦手だと御者の隣に乗っていた娼館の関係者もピクリとも動かずに倒れ伏している。


 最近出るという山賊の襲撃ではない。

 これは一体、何? もしかしてここには何か幽霊でも出るの?


「ほぅ。この中で立っていられるのか」


 深い落ち着いた声がして慌てて振り返り、さらにギョッとした。


 鳥の頭の形をしたマスクをかぶった、おそらく男性が立っていた。服装がぴしりとしたジャケットにズボンとあまりに小ぎれいで、山奥という立地と今の状況に一切似合わない。


「あ、あれ?」


 急に手足に痺れがきて、震えながら膝をつく。


「ここまで吸ってもその程度か。やるね。君、名前は?」

「あ、あ、アメリア」


 何が起きたのか分からずパニックになりそうだ。全然体がいうことを聞かない。


「娼館に売られそうだったのか?」

「もう、売られました」

「そうか。今どんな感じだい? 体の状態は?」

「て、手足が動かなくて……立ってられなくて」


 小ぎれいな服装と丁寧な問いかけに、鳥の被り物をしている男からの質問に思わず答えてしまう。でも、何も話しかけられなかったら怖くて耐えられない。


「実はこの一帯には毒ガスを撒いて実験している」

「は、毒?」

「商人も通る予定がなく、誰も近付かないはずだったんだが。君たちには悪いことをしたね」

「あ、なた、だれぇ?」

「呂律が回りにくくなってきたか。期待通りの効果だ。私はウィリアム・ライデッカー。しがない藪医者だよ」


 医者が毒ガス? 何それ?

 それに、悪いことをしたねなんて言いながら全く悪びれていない。


「なんで、お医者さ、んがぁ」

「まだ喋れるのか。すごいな」


 マスクさえなければ紳士という言葉が似合うであろう格好と口調の彼は、懐から何かを取り出して私の口元に冷たいものを押し付けた。


「飲みなさい」

「こ、えなに?」

「解毒剤だ」


 痺れる手で朦朧としながら解毒剤を掴もうとする。

 この男は危険だと頭のどこかで激しい警戒音が鳴る。でも、何となく分かる。このままだと大人たちと馬のように私も死ぬ。

 暖かい春のはずなのに、手足が寒い。


 痺れながらも解毒剤をつかんで口元に持っていこうとしてうまくいかない私の様子に、またも彼は感嘆した。


「素晴らしい」


 何がと声に出す暇もなく、彼は解毒剤を掴んで開け私の口に流し込んだ。


「飲めるかな? 飲めなければ死ぬだけだが」


 医者どころかこの人、殺人鬼では?

 根性で飲み込んだところで私の意識は途切れた。



 目を覚ますと、知らない部屋に寝かされていた。気だるさを感じながら起き上がると、ベッドのそばに人の気配がある。彼は本を読んでいたようだ。


「あぁ、生きていたか。目覚めないから心配していた」


 そのセリフはあんまりじゃないか。しかもあまり心配そうな声音ではない。


「あの毒ガスにあれほど耐える人間がいるとは。計算外だ」


 やっぱり、この人は殺人鬼かな。

 男が顔を近付けてきた。金と茶の混じったような髪に琥珀色の目。長めの前髪が左目を覆っているが、整った顔の男だった。三十代だろうか。

 部屋には試験管や難しい本が並べてある。部屋だけは医者らしい雰囲気だ。


「面白くて連れ帰ってしまったが……しかもあの毒ガスの中に何の装備もせずにいたのに生きている。素晴らしいね。君はなぜ娼館に売られたのかな? 見たところ、下位貴族の令嬢のようだ」


 珍獣扱いか。

 ある程度鍛えているのだろう厚い体つき。医者はみんなひょろっとしているんだと思っていた。


「そうですけど……あなたは? 本当に医者? 殺人鬼?」

「人を救うことができるということは、人を確実に殺すことができるということだよ」


 医者の返答ではない。

 そもそも医者は毒ガスなんて散布しない。つまり、目の前の男は医者のフリをした殺人鬼なのか。


「……もしもあなたが殺人鬼なら……お願いがあるの」


 おかしなことを言っている自覚はある。毒ガスでおかしくなったのかもしれない。でも、絶望して馬車に乗り込んで毒ガスを撒かれて殺人鬼が目の前にいるのなら……私は自分の運命を信じてみたい。


 手を握りこむ私に対して、男は面白そうに口角を上げた。


「喋れそうなら喋ってごらん。水を飲むかい? あぁ、大丈夫。これに毒は入ってない」


 全く安心できないことを言いながら、彼はコップを差し出した。喉が渇いていたので、香りを嗅いでから飲み干す。

 栽培禁止の植物が見つかったことで罰金を科せられ実家が没落しそうなこと、病弱な母の代わりに自分が娼館に売られるしかなかったことをポツポツと喋った。


「絶対、うちは嵌められたんです。隣のソーン伯爵家に」

「ソーン伯爵家。あぁ、コートニー・ソーンは王太子の婚約者の最有力候補というウワサだね。だって彼女以外の令嬢はほとんど婚約している。なるほど。だから隣の領である君のところに植物を移し替えて後ろ暗いことは何もないことにしたと」

「はい」

「証拠はないんだろう?」

「……ないです。どのみち発見数日前の大雨で全部流れてしまっています。調査隊も何も見つけられなかったんですから」


 ふむ、と男は考え込んだ。仕草がいちいち上品な男だ。正直、父親の男爵よりもよほど気品にあふれている。


「でも、お隣の伯爵領はずっとおかしかったんです。特産品が大してあるわけではないのにずっと羽振りが良かったし……王都では豪遊していないから気付かれなかったかもしれないけど、領地であれだけ贅沢できるのはおかしいんです。だから、ソーン伯爵夫妻と伯爵令嬢を殺してくれませんか? お金は一生かかっても払います!」


 顎に手を当てたまま、にこりと男は上品に微笑んだ。


「伯爵夫妻はそうでもないけど、娘は将来の王太子妃。かなり高額になるよ?」

「それでも、です」

「そのためならなんでもできるのかな?」

「はい。だって私、娼館に売られる覚悟もしたんですから」


 私がしたいのは復讐だ。何も悪いことをしていないのに、私は娼館に売られた。実家の男爵家だってこれから苦しい生活を強いられるのだ。


 そんなの許せない。なぜ、私がこんな目にあわないといけないのか。なぜ、うちがこんな目に。どうして本当の犯人は普通に生きていけるのか。私たちの普通は奪われたのに。


「じゃあ、君が殺しなさい」


 男が表情を変えることなく何を口にしたのか分からず、一瞬呆けた。


「え?」

「私が教えよう。とびきり美しい殺し方を。君が将来王太子妃となったあの女を殺しなさい。伯爵令嬢のうちが殺しやすいが、訓練すればちょうどいい頃合いだろう」

「えっと、あなたは本当に殺人鬼なの?」

「美学もセンスもない殺人鬼と一緒にされるとは心外だよ。私は殺し方に美学を持っているし、そこそこ名の通った紳士だよ」


 上品な男は笑みをたたえたままだ。嘘をついているのかどうかさえ分からない。でも、この男は会った時に毒ガスを散布していたのだ。毒が回っていく私のことを興味深そうに観察もしていた。私は自分の目と運を信じることにした。


「私でも、殺せますか?」

「君は現時点でも毒に耐性があるようだからね。私が教えてあげよう。死なずについてこれたら確実に殺せるよ。私もまだ王太子妃は殺したことがないんだが、楽しみだね」


 楽しみというのはどういうことか分からないが、男が手を差し出してきたので私はおずおずとその手を握ろうとした。


「握手したら契約成立だが、いいのかな? ソーン伯爵家は無実かもしれないよ?」


 その言葉に動きを止める。


「うちは栽培に関与していません。それにソーン伯爵家の倉庫にあの植物が積んであるのを私は見たことがあります。小さい頃にいたずらで入り込んだだけだから証拠にもならないけど……そもそも不法侵入だし……」

「少し意地悪をしすぎたようだ。私もソーン伯爵家が犯人だと思うよ。この業界は情報が命だからね。あの家は栽培禁止の植物を秘密裡に栽培して儲けているんだよ。いい加減、手を引き始めたようだがね」

「……本当にあなたは暗殺者ですか? 毒ガスを撒いてましたけど……」

「あれは今度使おうと思ってるんだがどうも効果が広範囲だからね。一人を殺すには効率が悪い。面白いんだがね」

「は、はぁ」

「そうそう。私のせいだが、君は死んだことになっている。御者と娼館の関係者もね。彼らは事実死んでいたが。大変だったよ。山賊の仕業に見せかけるのも、君に似た死体を工面するのも」


 さらりと口にされた事実に目を見開いた。


「大丈夫。金を返せなんて娼館は言っていないよ。契約書には君が途中で死んだら返金なんて書いていないからね。そこは大丈夫だ」

「あ、ありがとうございます。私、何日眠っていたんですか?」

「五日だな」


 あぁ、なるほど。この男はすでに私のことを調べて上げているのだ。


「私のこと、すでに調べてあったんですね」

「一応ね、アメリア・メイズ元男爵令嬢。でも、知っていることでも君の口から聞きたいじゃないか」


 男は手を差し出したまま、何てことはないように答える。琥珀色の目は玩具を見つけた子供のように煌めいていた。


「どうする? 私と契約するかい? しなくてもいいけど、王太子妃になる伯爵令嬢を気付かれないように殺すのは難しいよ? 失敗してもいいから捨て身で行くなら止めないが、せっかくまだ生きている君の家族を巻き込みたくないだろう?」

「はい……あなたに教えを乞えば、確実に殺せますか?」

「もちろん殺せる。まだ私は前公爵までしか殺したことがないんだがね。毒殺は芸術だよ。元公爵は長年の不摂生で太っていたから最後はあまり美しくなかったんだが。将来の王太子妃ともなると、実にいい。労働を知らない手が痺れで震えるのもいい。日光を浴びているのか不安になる白い肌に、口から吐いた赤い血が流れるのも美しいだろう」


 どうやら大物を引き当てたらしい。明らかに異常な発言もそれを物語っている。


 田舎者の私でも知っている、スターレン前公爵の変死。

 それは暗殺者『毒の紳士』の仕業だったはず。この国で起きる証拠の出ないほとんどの毒殺に関わっているとされる、暗殺者の通り名。


「まさか……あなたは、毒の紳士?」

「その通りだよ。新聞屋がつけた名前だがそこそこ気に入っていてね。紳士とはなかなか鼻が利くじゃないか」


 私はがしっと両手で男の手を掴んだ。


「よろしくお願いします!」

「元気だね」


 こうしてアメリア・メイズは死んで、毒の紳士の弟子になった。彼は、昼間は医者で夜は暗殺者だった。いや、昼間も暗殺者の時だって多々あった。

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