ずるい大人は薔薇に負けた

たこ

第1話

 バーテンダーをバーに連れて行くのも今日で六回目になる。

「今日はどこ行くの?」

 都心のバーで働く若い彼が、タクシーに乗り込みながらあっけらかんと尋ねた。 

 暁人はその問いを聞き流しつつドライバーに向けて行き先を告げる。すると車が走り出すより早く彼が素っ頓狂な声を上げた。

「わあ、遠いところまで行くんだね」

「そうだね。でも一応二十三区だよ」

 暁人が言えばそれ以上彼は何も言わず、シートに深く身を沈めた。無防備にリラックスしているその様を視界の端に収めながら、暁人は鼓動が少し増していることを自覚する。


◇◇


 暁人がASAHIのいるバーを初めて訪れたのは半年ほど前のことだった。

 会社の管理職研修に続いた懇親会が終わり、もう一軒と連れて来られたバーの中で彼を見つけた。

 一目惚れ、とは少し違う。金髪のショートヘア、すっきりとした輪郭に大きな目と優しい眉、薄いメイクときっちり着こなしている制服。大きくも小さくもない身長、高くも低くもない声。胸についている「ASAHI」というネームプレート。暁人がこの、自分よりかなり若いバーテンダーを見て最初に抱いたのは「あの人は男性だろうか、それとも女性だろうか」という疑問だった。

 他の連中が何やら仕事の愚痴を言い始めたのをいいことに、暁人は話の輪よりもASAHIというバーテンダーの性別を見抜くことに意識を割いた。

 ASAHIの動きはしなやかだが、まだ不慣れなのか何かと周囲のスタッフたちに質問をしたり指示を受けたりする姿が初々しかった。お客にもスタッフにも、はい、と答える時に見せる笑顔がとても綺麗だった。手や喉元、あるいは足、なんとなく性別を判断する材料はあると思いながら観察したがテーブル席からでは今一つ男性か女性か分からない。やがてただひたすらASAHIの一挙手一投足から目を離せなくなっている自分に気が付いた。結局一周回って一目惚れ、だったのかもしれない。


 だから日を改めて暁人はそのバーをひとりで訪れた。カウンター席に座ればごく近くにASAHIを見ることが出来て男性だとすぐに分かり、暁人の気持ちをより惹きつけることとなる。何度か通う内に言葉を交わすようになり、そして、ある日思い切って声を掛けたのだ。

 飲みに行かないか、と。


 彼は少し考えてから、バーになら行くと密やかに応じてくれた。今はまだ修行中の身であり、他の店の研究もしたいから飲むならバーだと言って綺麗に笑った。


 そこから暁人はバーテンダーをバーに連れて行くという厳しいミッションを抱えることとなる。行きたい店はと聞いても任せるとしか言われないし研究には何を求められているか分からないしで悩んだ挙句、その晩はとりあえず暁人が学生時代に時々行っていたチェーン店のバーに仕事上がりのASAHIを連れて行った。

 しかしこれが大失敗だった。いい歳になった暁人は、若かりし頃の自分がこんなにガチャガチャとした雰囲気を好んでいたのかと失望するに至る。到底バーテンダーの勉強などできそうにないクオリティの店で、それでもASAHIはカクテルを数杯飲み、愛想よく他愛のない話をして、そして帰って行った。

 全然ダメだ。終わった。


 翌週、それでも諦めきれなかった敗北者暁人は客という権利を行使してASAHIのいるバーを恐る恐る訪れ、信じられないことにまた行こうと敗者復活の機会を与えてもらったのだった。楽しみだなと小声で告げるASAHIの、はにかむような表情を見て暁人は完全に落ちた。


 そこからネットや周囲への聞き込み、なんなら自身の足も使ってバーを探し、厳選し、ASAHIの店に行き、仕事上がりの彼を連れて行くという一連のミッションが続いている。


 二回目に選んだワインバーで、ASAHIが「朝陽」と言う名前であることを教えてもらった。夜通し飲むのにピッタリな名前でしょ、と笑う顔がかわいかった。

 三回目の店で連絡先を交換した。

 四回目の店では一昨年まで会社員だったことや家族のことなど話してくれた。思っていたより歳下だとも知った。

 そして五回目に朝陽はもじもじしながら、彼女も彼氏もいないと言った。


 少しずつ朝陽のことを知る一方で、暁人はそろそろバー探索が限界かもしれないと考え始めていた。何故なら朝陽は楽しそうに酒を飲むが、店についてはまだ一度も感想を述べてくれないからである。彼の勉強のためにも良い店を探し続けなければならないと頑張ってはみたが、無数に存在するバーの中から朝陽が学べる店を見つける手立てが最早分からなくなっていた。そもそも何を学びたいのかわからないが今更聞けない。それでも何とかしなければと暁人は焦る。

 良さそうな店を見つけたよ。

 今やそれしか誘い文句がないのだから。


 最初にチェーン店に行った頃からおよそ四か月が過ぎていて、初々しさを脱しつつある朝陽の働きぶりをカウンター越しに見ることが出来るようになっていた。シェイカーを振る彼はなかなかに格好良く決まっている。

 一方で暁人自身常連として店から認識されるようになっていて、入るや否や「朝陽、土屋さんだよ!」と他のスタッフに呼ばれるようになってしまった。ここはごく普通のバーで、指名が通るような店でも、ましてや特定の人と関係を深めるための場所でもない。それだけ暁人の朝陽に対する執心が周囲に知れているのは、我ながら客として少し行き過ぎていると思った。いい歳したオジサンが若いバーテンダーに張り付くなんて、犯罪と指摘されても反論できない。仕事上がりの朝陽を連れて五回も朝まで飲んだと、店には知られているのだろうか。

 嫌われていないとは思うのだが、朝陽にとって暁人は勉強の場を提供してくれる都合の良いオジサンに過ぎないのではないかという不安は消えない。何かの拍子に店から排除されるような事態になる前に、けじめをつけた方が良さそうだと思った。


◇◇


 そして六回目である。

 都心から幹線道路をひた走ったタクシーはやがて右折左折を繰り返し始め、徐々に細くなる道に従い進んでいく。ついにたどり着いたそこは住宅街のど真ん中、目的の店がなければ絶対に来ないような土地だった。

「すっごい静か」

 世は寝静まっている深夜、タクシーを降りた朝陽の声もとても静かに抑えられていた。ぽつんと灯る看板には華奢な字で「ROSARIUM NOCTURNUM」と店名が書かれている。ラテン語で「夜の薔薇園」と言う意味らしい。どこかなまめかしい名前にも思えるが、店主がここに純粋な意味を込めていることを暁人は知っている。

 とても興味を引かれた朝陽は子どものように、わあと感嘆する。ひとまず掴みは良かったようだ。暁人は苦笑しながら、ほら行くよとばかりにその肩を軽く叩き促した。

 制服姿が中性的な朝陽だが、私服を着ると男性であることがよく分かる。細身ながらきちんと鍛えているのであろう、引き締まった身体に沿う服がよく似合っていた。カウンターの中にいると見えない足元も、こうして見ると靴のサイズが大きくて力強さを感じさせる。何度この身体を組み敷くことを想像しただろう。気持ち悪がられないよう、最低限の接触に留めているが気付かれていないだろうか。

「入ろう」

 暁人が静寂を乱さない声量でそっと言えば、朝陽は好奇心を抑えられない表情でこちらを見上げ頷いた。初めてチェーン店のバーに連れて行った時とは大違いだ。かえすがえすも、よくあの後また行こうと言ってくれたものだと今更ながら肝が冷える。


 ネットにもほとんど情報がないこの小さなバーは、ある意味暁人にとって切り札たる店である。ここが駄目なら完全にネタ切れだ。祈るような気持ちで重たい扉を押し開ける。

 カウンター席のみのごく小さな薄暗いスペースと、白髪混じりの上品なマスターがふたりを迎えてくれた。

「いらっしゃいませ」

 カウンターのいちばん奥を指し示す。他にお客がひとり、男性であるということ以外は何も属性が分からないタイプの人がこちらに構うことなく本を読んでいる。傍らにロックグラスが置かれていた。耳を澄ますと微かにピアノジャズが聴こえてくる。

 暁人には心地よい空間だが、果たして若い朝陽はどう思っているだろう。振り返った暁人の視線の先で、朝陽がさっさと暁人を追い抜きいちばん奥の席に座った。前のめりになりテーブルの上を指差して、それから楽しげに暁人を振り仰ぐ。

「薔薇だよ」


 カウンターテーブルには一輪挿しが等間隔に置かれていて、それぞれに薔薇が一輪ずつ咲いている。マスターがおしぼりを差し出しながら朝陽に微笑みかけた。

「妻がガーデニングの趣味を拗らせましてね。庭に薔薇園を作ってしまったんですよ。一年中何かしら咲いているので、こうして飾らせていただいています。お邪魔でしたら下げますので仰ってください」

「とんでもない」

 朝陽が手を振ってマスターに応えた。

「とっても素敵です。是非このまま……でも、この薔薇って何色なんだろう」

 暁人も遅れて席に着きつつ同じことを考えていた。抑えられた照明の下、形よく開いた一輪は白の鮮やかさも赤の深さもない不思議な色をしていた。マスターが待ってましたとばかりに尋ねる。

「何色に見えますか?」

「うーん、セピア? ピンク? いや、うーん……暁人さん、何色だろ?」

「白じゃないよな……オレンジ、でもないか」

 悩むふたりを前にマスターがクスリと笑った。

「そうして少しでも目の前の薔薇に興味を持ってくださることが嬉しいと、妻が言っておりました。ありがとうございます。さて、何をお作りしましょうか?」

 完全に薔薇に気を取られていたふたりは、ハッとしてそれぞれの注文を告げたのだった。


 暁人が頼んだモスコミュールは軽くて飲みやすかった。目の前にマスターがズブロッカの透明なボトルを置いてくれている。

 ここに来る前に朝陽の作ったカクテルをそれなりに飲んできていることを考えると、流石にショートカクテルを頼む勇気は出なかった。今日は特にこの恋に何かしらのけじめをつけようと思っているのだから、うっかり酔い潰れるわけにはいかない。

「美味しい」

 朝陽はマルガリータを一口味わって、無邪気に微笑んだ。

「そうか、良かった」

 店で仕事用に微笑むのもかわいいのだがこういう不意打ちの笑顔はまた格別で、ついこちらも頬が緩む。もしこの後朝陽に告白して玉砕したら二度とこの笑顔も見られなくなるのだと思うと、二の足を踏みそうになる。

 いや、しかしもうただ並んで酒を飲むだけでは物足りなくなってしまったのだから仕方ない。若いバーテンダーに張り付く怪しいオジサンを終わらせるためにも、暁人はこの関係を変えるタイミングを伺いながらロンググラスを傾ける。けじめと言いながら決して終わらせる算段ではないのだが、果たしてどうなることやら。


「このお店いいね」

 暫しの会話をした後、朝陽が不意に囁いた。この店は開店してそれなりの時が経っているがどこもかしこも綺麗に磨き上げられていて、そして静かで酒も美味しい。そっと咲く薔薇も粋だと思う。マスターも人柄が滲み出るような優しい接客をしてくれる。暁人自身もとても気に入っている店だ。

 マスターは今、もうひとりのお客と何やら話しているところだった。本が傍らに寄せられている。そんな様子を一瞥してから暁人は朝陽の方を振り向いて、安堵の気持ちをそのまま伝えた。

「……やっと合格した」

 朝陽が目を瞬かせる。

「えっ? 合格って何?」

「六軒目にして初めて良い店って言ってくれたな」

「暁人さん、良い店って言って欲しかったの?」

「朝陽は良い店が必要だったんだろう?」

 なんだか噛み合わない会話が交わされた。朝陽は修行中の身だから勉強したい、だからバーになら飲みに行ってもいいと最初に言っていた。暁人は最初にチェーン店に連れて行ったことを後悔して必死に学ぶに足りる良さそうな店を探していたのに、何故朝陽は初めて聞いたみたいな顔をしているのだろうか。

 朝陽が暫し考えた後あっと声を上げた。マスターが振り返ってしまい、なんでもないですと頭を下げなければならないほどの大声だった。

「どうした、朝陽」

「うん、うーん、暁人さん。オレ謝らなきゃ。あれ嘘」

 また囁き声に戻った朝陽がこちらを向いて両手を合わせた。

 嘘。嘘とは何のことだ。怪訝な顔になってしまった暁人の前で朝陽がぼそぼそと言葉を継いでいく。

「オレあの時、暁人さんに初めて誘われた時ね。まだ入ったばっかりだったから軽率な行為はするなってすっごい釘刺されてたんだ。お客様と店の外で会うとかダメって。ほら、なんか物騒な事件もあったし」

 封じていたはずの店の話を自らし始める朝陽を、止めそびれた暁人はひとまず聞いた。向こうから見知らぬ客の軽い笑い声が聞こえたからマスターの耳には入っていないだろうとヒヤヒヤしながら。

「あ、ああ、なるほど?」

「でもね、どうしても飲みに行きたくて咄嗟に考えた言い訳が勉強だったんだよね。後から先輩たちに聞かれた時答えられるように、って」

 暁人の鼓動が一気に倍増する。どうしても飲みに行きたかった、の部分に特別な意味合いを見出して良いのだろうか。今日はこの恋情に何らかのけじめをつけようと考えていたことを急に思い出し、意識が持っていかれそうになるのをすんでのところで堪え暁人は相槌を打った。

「ふうん」

「本当は居酒屋でもラーメン屋でもよかったし、その、毎回違う店じゃなくても良かった。暁人さんと行くならどこでも構わなかったんだ」

「待て」

 朝陽の言葉は甘過ぎて、逆に心に引っかかってしょうがない。

「気軽にそういうことを言うな」

 朝陽をいつの間にか好きになっていた自分と同じ気持ちを、彼も持っているみたいに聞こえてしまう。期待してなかったと言えば嘘になるがまだだと自戒しつつ朝陽を諭し続けた。

「そもそも先輩たちの言うとおりだ。何者かも知らない俺の誘いに簡単に乗ってどうするんだよ」

「何者か知ってるよ。暁人さんは土屋暁人さんで、F株式会社の課長さんで、ウォッカが好きで、とってもクールな顔してるけど優しくて、かっこよくて、真面目で、あと」

「そういうことじゃない」

 ペラペラとそれらしいことを並べる朝陽に押し負けそうになって、暁人は話を強めに断ち切った。駄目だ。こんなにいやらしい目で見ている、危ないオジサンを喜ばせないで欲しい。朝陽は若く、かわいく、バーテンダーとしての実力も付けつつある魅力的な男だ。オジサンに世辞を言えるぐらいの接客に長けた人。うっかり乗ってしまえば恥をかくのはこちらだ。

 止められた朝陽は不満そうな顔でグラスをくいと空け、口を尖らせた。

「なにそれ。帰る」


 席を立とうとする朝陽をなんとか押さえつつ、暁人はマスターに向かって手を挙げた。機嫌を損ねてしまったのは暁人が臆病になり過ぎたせいだと分かっている。けれど鵜呑みにして浮かれて梯子を外される未来もまだ捨てきれない。歳を取るとつまらない経験値が増えて困るが、こればかりはどうしようもなかった。

 恋はいつでもした瞬間から失う恐れを伴うのだ。

 ただ、だからと言ってこちらの手の内を明かすことなく試す態度が若い朝陽に通じるはずもなかった。拗ねるのももっともだ。


 伝票を差し出しながらマスターが微笑んだ。

「薔薇の色は何色か分かりましたか?」

 言われて暁人も、隣の朝陽も再び薔薇に目をやった。楚々と咲く一輪からはやはり、この照明の下で色の主張を感じ取れない。

「残念ながら」

 伝票を受け取った暁人が苦笑しながら応えると、マスターがペンライトを取り出した。片手で持ち、もう一方の手で先端を覆ってからライトを灯す。薔薇だけがパッと照らし出された。

「青です」

「青?」

 暁人はおうむ返ししていた。何故なら灯りに照らされてもなおその花弁が青には見えなかったからである。目を凝らしても、せいぜいグレーか薄紫にしか見えない。記憶の中にある鮮やかな群青からは程遠かった。

「はい、青です」

 マスターが穏やかな声で繰り返す。ペンライトを消し片付けたので、薔薇は再び薄闇の中に沈んだ。

「妻の請け売りで恐縮ですが、薔薇はもともと青を発色する遺伝子を持っていなかったそうです。そこで研究や交配を重ねて漸くこの色まできた、と」

「でも真っ青な薔薇をどこかで見た記憶があるような」

「それは恐らく切り花にインクを吸わせたものでしょう。もしくは花びらを直接染めているかもしれません」

「そうなんですか」

「はい。薔薇の自力ではこれが精一杯です」

 知らなかった。薔薇に関する知識を持たない暁人はきまり悪くなり口を噤んだが、対して隣にいる朝陽は心なしか目をキラキラさせて薔薇を見つめているような気がした。その感覚は間違っていなかったようで、わあ、とお約束の感嘆詞を口にした後顔を上げてマスターに問いかける。

「この薔薇をいただいてもいいですか?」

 マスターがぱっと破顔した。

「もちろんです。どうぞ愛でてやってください」


◇◇


 朝陽が機嫌を損ねて帰ると言い出したせいとは言え、始発までまだ時間がある半端な時間に店を出てしまった。この後のことを考えて悶々とする暁人の隣で、朝陽は薔薇を眺めながら歩いていた。青い薔薇のおかげで機嫌は直ったようだ。香りを確かめたりする姿がかわいくて、つい暁人は怒らせたことも忘れ声をかける。

「薔薇が好きだなんて知らなかったよ」

 朝陽がうーんと唸った。

「薔薇は、まあ、好きだけど。青っていうのがいいよね」

「へえ。青い薔薇が好きなのか」

 朝陽が足を止めてこちらを向く気配を感じたので暁人も釣られるように向き直る。そこには真顔の朝陽が立っていた。

「さっきマスターが言ってたとおり薔薇ってもともと青が出せなかったから、青い薔薇は不可能の代名詞だったんだよ」

 暁人と違って朝陽には何らかの知識があるようだった。バーテンダーは雑学に富んでいると聞いたことがあるが、その一環なのだろうか。黙っていると彼がさらに言葉を継いだ。

「だから青い薔薇の花言葉は『夢叶う』なんだってさ」

「ほう」

「ということで」

 そこまで言うと朝陽はその青い薔薇を暁人に向けて差し出した。

「どうか、叶えてください。オレ、暁人さんの恋人になりたい」

「朝陽」

「これでもダメ? オレ本当に暁人さんのこと好きなのにさ。酷いよ暁人さん、あんな」

 全て聞き終える前に、暁人は朝陽を思い切り抱きしめていた。多分、ちくしょうと言ったような気がする。

 先に言われてしまった。いや、言わせてしまった。青い薔薇にしてやられた。グズグスしている暁人と違い、朝陽は既に焦れていたのだ。まったく情けない。

「こんなオジサンでいいのか?」

「オレ、オジサンの定義知らないけどいいよ」

「オジサンはずるいんだからな」

「そうなの?」

 手を緩めれば少し距離ができて、すぐそこにある朝陽の大きな目と目が合った。全幅の信頼を置いているような目で見られて、暁人は少しの罪悪感とこの子が欲しいという欲望とで余計なことはもう何も考えられなくなっていた。大人げなく、暫し夢中になって朝陽の唇を貪る。


 何故、今宵とっておきの店「ROSARIUM NOCTURNUM」までタクシーに三十分も乗ってやって来たのか。玉砕するだろうと後ろ向きなふりをして実は欲しくてたまらなかったからだ。店を出た後のことは少しぐらい考えていた。一縷の望みもない相手にぶつかれるほど暁人は若くない。オジサンとはやはりずるい生き物だ。

 唇を離せば朝陽が目をとろんと潤ませて更に暁人を煽り立てる。暁人は自分の背後を指さした。

「そこを曲がったら、俺の家だ。来る?」

「……うん」

 はにかむ朝陽の肩を抱き寄せた。相手に選ばせるなんて、やはりオジサンはずるい。この後もきっと朝陽に、欲しいと言わせるよう仕向けてしまうんだ。この素直で可愛い恋人に。


 青い薔薇が、いつの間にか暁人の胸ポケットに差し込まれていた。

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