第21話 一人での外出(未遂)(天保6年(1835年))への応援コメント
> そこは俺を一人で活かせる流れだっただろうに、
行かせる
幕間 時は流れて(1980年)への応援コメント
後世の評価は入れると引き締まりますよね〜
第30話 宮腰(天保7年(1836年))への応援コメント
懐かしいフレーズですね(笑)
ニコ動を思い出します
第4話 父との初対面(天保2年(1831年))への応援コメント
年の差婚は前田家の伝統でしょうか?
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます
前田家の伝統ではありません。一部がヤバいだけなので(藩祖)
これからも応援よろしくお願いします
第31話 蠢(天保7年(1836年))への応援コメント
遊び相手候補というより従僕ではあったのだろうけど中の下か下の上の家格ということは父の良くも悪くも愚直なところというより今回のエピソードが決定の理由なのかな。
指摘されてる方がいたので確認したら身の回りの世話係が身近なのもあってか手がついたというパターンなのか。
兄とともに苦労したんだろうな。
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます
これからどのような展開になって行くのか、お待ちください
第31話 蠢(天保7年(1836年))への応援コメント
ゼークトは言ってないですよ。日本ではハンマーシュタインが言ったとされて、海外ではモルトケが言ったされています。多分仮託でしょうが。
余談ですが勘違いの元になったのはWikipediaでは小林原文がきっかけになったと書いてますが、石川出身の作家佐藤大輔がそれより前に征途やrsbc外伝で書いてます。
まあ2人は親交あったしさらに前に元ネタになった本はあったかもれませんが。
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます
作者は源文コミックが大好きでして、それの影響やもしれません。(源文先生が書かれていたのはレイドオントーキョーでしたっけ?)
正しい出典の情報ありがとうございました。
第31話 蠢(天保7年(1836年))への応援コメント
おおぅ、この“阿保”な伝兵衛さんが近衛文麿の曽祖父になるんかいっ!?
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます
驚いてくださって嬉しいです。この祖父にしてこの孫あり……と言いたかったので……
史実では祖父になりましたが、この世界線ではどうなるか。
これからも応援よろしくお願いします
幕間 時は流れて(1980年)への応援コメント
一気読みしました。続きが楽しみです。
主人公の現代治安感覚引きずりと、自分の立場への客観視不足が心配ですね。
あんた言うなれば武家連邦国構成国(外様)の嫡男だぞ!
一人歩きして拐われたら、元服前の子供とか武家の恥として病で夭折した事にされても不思議無かろうに。
藩政に首突っ込んだら元服前でも公人だぞ、家は幕府に敵視されて知恵がある所出したから転がし難そうだし、国家老達は対立して面子に傷入れてるから弟担いで邪魔な嫡男は何時消されても不思議じゃないぞ!
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます。
現代的な感覚が後々に……
これからも応援よろしくお願いします
幕間 時は流れて(1980年)への応援コメント
戦後すぐに日本全国のあちこちで始まった干潟の埋め立てはそのあと減反政策に直面して「いらない田んぼ」になっていきました。しかしここにきて減反政策の失敗が明らかになってきて米価が高騰し・・・歴史はつながってますね。
作者からの返信
読んでいただきありがとうございました
歴史は繋がっていますよね。
河北潟の埋め立てがなされなかったこの世界線はどのような未来を辿るのでしょうか。
宅地の造成は少なくなり、能登から金沢近郊に流出した人口の減少は食い止められるかもしれません。
暇があったら考えてみたいと思います
幕間 時は流れて(1980年)への応援コメント
埋め立て計画が上がる度に、
前田本家当主「潟の計画(大規模埋め立て)はちょっと……」
県民「うちの殿様がそこまで言うなら……」
で凍結してきたんだろうなあ
作者からの返信
そういう情景が思い浮かびますね
読んでいただきありがとうございました
これからも応援よろしくお願いします
第30話 宮腰(天保7年(1836年))への応援コメント
パチンコバージョンだったら、どんな改変があるのかな?w
作者からの返信
読んでいただきありがとうございました
加賀藩の伝統文化として紹介される未来がある可能性が微レ存
第30話 宮腰(天保7年(1836年))への応援コメント
≫「『烈剛』って何ねんろうな」
…(; ・`д・´)な、なーん、しらんちゃ。(動揺
作者からの返信
ニコ厨が炙り出されますわ↑
読んでいただきありがとうございます
第30話 宮腰(天保7年(1836年))への応援コメント
素晴らしい!
暗い雰囲気の前半の中にも唐突に烈剛陰陽師が入っていますし
作者からの返信
読んでいただきありがとうございました
あの電波ソングが悪いんです……()
第30話 宮腰(天保7年(1836年))への応援コメント
唐突な雑音工場ネタから、最後のオチまで、一気に駆け抜ける展開ですね。
作者からの返信
読んでいただきありがとうございました。
悪霊退散と聞けば、あれを書かざるを得ませんでした
第29話 天保の飢饉(天保7年(1836年))への応援コメント
虫送りと同時に誘蛾灯もどきを作ってはどうでしょうか。逆三角形のコーン状の提灯を作り、中に蝋燭か油を入れた皿に灯芯を入れたものを用意し、その提灯の下に薄く油を入れた桶を置いたものを用意します。
夜間に提灯の蝋燭か灯芯に火をつけて、虫を誘い、集まった虫を下の桶の油の中に落として窒息させます。現代ならペットボトルで作ったものを見かけるかも。
作者からの返信
読んでいただきありがとうございました
各村に行き渡らせるのに必要なコスト等も鑑みて、対策等を考えていきたいともいます。
これからも応援よろしくお願いします
第28話 飢饉への対策(天保7年(1836年))への応援コメント
霧吹きを考えると構造は難しいが、トコロテンの押し出し機のように竹筒な底の節に極小さな穴を開けたものの中に薄荷油を入れて、小さなたけの棒に布を巻きつけたピストン状のものを作って、開口部から押し出す水鉄砲の様なものを作れば、簡易な霧吹きになると思います。こつは、竹筒の節に霧になるような小さな穴を開ける事と、竹の節がピストンの圧に負けなて割れない程度の力加減でしょうか。
話の続きを楽しみにしています。
作者からの返信
読んでいただきありがとうございました
これからも応援よろしくお願いいたします
第29話 天保の飢饉(天保7年(1836年))への応援コメント
たしかに虫送りは害虫駆除という一面もあるということなんだよなぁ。
そういえば大野町は今でもそうだけど、醤油の一大生産地として北前船により東北などに運ばれていたからね。もっとも江戸の方では野田などの醤油がメインでそっちから大規模化してキッコーマンなどがだけどね。まあ、醤油の輸送もだし、時代はもう少し下がれば大野弁吉や高峰譲吉などの人物も加賀にはいるしねぇ。
まあ、高峰家はもともと藩ご用達の医師だからその跡継ぎか次男あたりに蘭方医の知識と技術を学ばせるためにというのもありかな?
作者からの返信
読んでいただきありがとうございました
またゆっくりと書き進めていきますので、これからも応援よろしくお願いいたします
第28話 飢饉への対策(天保7年(1836年))への応援コメント
同時代の国友一貫斎が空気銃用のボンベとポンプを発明していたとテレビで見たことがある。
実用性や量産性はよくわからんが
>購たい
贖いたい
>そう声を荒げるな庄兵衛
荒らげる
作者からの返信
読んでいただきありがとうございました。
贖いたい←については、罪を償う意味合いの方が強いと思いますので、購いたいとしております
第28話 飢饉への対策(天保7年(1836年))への応援コメント
時代的にからくり義衛門(田中久重)が出てきてほしいですね
作者からの返信
加賀藩にはからくり儀右衛門に肩を並べると言われた人物がおります。
興味がおありでしたら、ぜひとも大野弁吉でお調べください
第28話 飢饉への対策(天保7年(1836年))への応援コメント
ハッカオイルか害虫対策にはうってつけだね。そして霧吹き自体は竹筒を使ってできないかな。霧吹き自体は「口で吹く霧吹き」があるからね。まあ、刷毛で塗るよりも霧吹きで吹きつけたほうがだしねぇ。竹はいっぱいあるからそれで害虫駆除用散布機ができて銭屋がそれで商売すればだしねぇ。
で、漁師とならぬかだけど魚醤を作ると思ったけれど大野で醤油が作られているからなぁ。
まあ、ニシン油をとってその残りかすを農業用肥料にかな?
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます。
さて、これからどうなっていくのかお待ちください。
第28話 飢饉への対策(天保7年(1836年))への応援コメント
ふたつのパイプを組み合わせ口で吹くだけで簡単な霧吹きができます。今更ですが、、、。
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます。
当時の農村部では子供が多く、子供でもできる方法と考えた時に刷毛で塗る方法が最も簡単かと思い、このような展開になりました……
アドバイスありがとうございます
第28話 飢饉への対策(天保7年(1836年))への応援コメント
ハッカ油は確かに効果的ですね。
江戸時代なら他にも木酢酢とニガリがあるでしょうからニガリと木酢酢を混ぜ合わせた混合液とかもウンカ対策に効果的で安価に済むかもしれませんね。
作者からの返信
読んでいただきありがとうございました。
たしかに安価になりますね。
アドバイスありがとうございました。
第28話 飢饉への対策(天保7年(1836年))への応援コメント
バグパイプの構造をまねて、袋に貯めた空気を押し出すようにしたらスプレーになりそうですね。フイゴと組み合わせれば口で吹く必要もないですし、力仕事の出来ない老人の仕事に出来そう。
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます。
そういう方法もありますね。
色々と検討してみたいと思います。(普及のスピードやコスト、効率の面からも)
アドバイスありがとうございました。
第28話 飢饉への対策(天保7年(1836年))への応援コメント
JINで確か動物の玉袋?か何かを使った人工呼吸器が出てきたような覚えがあるけど使えそ?
作者からの返信
読んでいただきありがとうございました。
効率と価格、普及のスピードを考えて、現実的な方法を志向しようと思います。
アドバイスありがとうございました。
第28話 飢饉への対策(天保7年(1836年))への応援コメント
…(; ・`д・´)口で吹く霧吹きが人気だけど、デッサン塾で使うフィキサチーフスプレーが高くて小遣いが足りなくなったから、仕方なくフィキサチーフの瓶と口吹き霧吹きで目止めした経験から言うと。
B3用紙1枚分吹き付けるだけで、酸欠で眼の前が真っ暗になりました(クラクラクラクラ
畑の農作物にフーフーやってたら、何人か血管切れて逝くよ。ヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます
当時の農村は子供の数も多いですし、人海戦術でやるのも有りかなと思っています。
アドバイスありがとうございました
第28話 飢饉への対策(天保7年(1836年))への応援コメント
口で吹く霧吹き 子供の頃 亡くなった祖母 明治生まれ の家に有りました。アイロンかける前に霧吹きで水吹いていた気がします。
タンクの付いた手押しの散布機もあったですね。未だ下水道が整備されて無くて、夏になると隣家との間の排水路付近に蚊を退治するのに薬を撒いていましたね。
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます
そうだったのですね。
どのような展開にしていくか現在検討しておりますので、続きを楽しみにしていてください。
第28話 飢饉への対策(天保7年(1836年))への応援コメント
今のところはとりあえずはけ塗りしていて、ある日犬千代さんかどなたかが突然細い竹を節抜きして作った管をゴニョゴニョしたり何らかの方法を思いついたりすれば良いかと思いました
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます。
出先なので、帰宅してから物語構成を確認します。
今後の展開に支障が出ないように改稿かどうかを判断したいと思います。
今後とも応援よろしくお願いします
第28話 飢饉への対策(天保7年(1836年))への応援コメント
はじめまして。
転炉等に使うならトロンペ!ですがポータブルではないので、他の方も書かれている人力駆動の霧吹きが良いかと思います。
「その時代の工学要素技術でなんとかする」は心惹かれるテーマのひとつですね。
作者からの返信
はじめまして。
読んでいただきありがとうございます。
皆様のお知恵をいただいて大変ありがたいです。
心惹かれるテーマとまで言っていただき恐縮です。
更新速度は遅いですが、今後とも応援よろしくお願いします。
第28話 飢饉への対策(天保7年(1836年))への応援コメント
昭和の時代には手押し式噴霧器で殺虫剤を噴霧していました。
構造としては水鉄砲のようなポンプの先に殺虫剤を入れる小さなタンクを備えて、手押し式で空気を吹き出し、その流れの中に先端の水タンクから細い管を伸ばして置くとベンチュリー効果で水タンクの殺虫剤が吸い上げられ、霧状になって吹き出しました。
これだと構造が簡単で竹でできるのではないでしょうか。詳しくは「旧式 手押し式噴霧器」で検索できると思います。
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます
検索してみたのですが、確かに竹でできそうですね。
検討してみます。
第28話 飢饉への対策(天保7年(1836年))への応援コメント
「口で吹く霧吹き」なんてものもあったので、それの拡大発展応用するのも良いかもしれませんね。
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます。
口で吹く霧吹きなんて物もあったのですね。
調べてみたら、かなり簡易的な構造で実現可能だと思いました。
細い管をどうするかも含めて、考えてみたいと思います。
第28話 飢饉への対策(天保7年(1836年))への応援コメント
噴霧器 原始的なやつなら竹と木綿でできそうですけどね
作者からの返信
コメントをいただきありがとうございます。
竜吐水の存在を失念しておりました。
少し、構想を練り直します。
第28話 飢饉への対策(天保7年(1836年))への応援コメント
耳鼻科などで見かける、チューブ付きのゴムボールを握った勢いでガラス瓶の中の液体を鼻の奥に噴霧する器具の仕組み、とか使ってどうにかならんかな?
作者からの返信
コメントをいただきありがとうございます。
今更思い出したのですが、江戸時代で竜吐水が作られていましたね。
そう考えれば江戸時代の技術でも噴霧器は作成可能だと思いました。
少し、構想を練り直します。
第20話 課題(天保6年(1835年))への応援コメント
>懸念点とすれば、犬千代君はもうすぐ元服を迎えるだろうから、
⇒犬千代ではなくて勝千代なのでは?
作者からの返信
その通りでございます!
大変申し訳ありませんでした!修正しておきました
誤字報告ありがとうございました
第1話 死への応援コメント
きんかんなまなま(道の氷がつるつるの意味?)につられて初めて読み始めました。ゆっくりと完結するまで読みたいと思います。続きが楽しみです。きのどくな(ありがとう)
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます。
ゆっくりと書いていきますので、今後とも応援よろしくお願いします。
第25話 焦燥(天保6年(1835年))への応援コメント
最新話まで読んだ感想だけど、面白い(´・ω・`)
結核対策も必要だから大変だなぁ。30年くらいの猶予はあるけど。
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます
温かい応援コメントありがとうございます。
これから頑張って書いていきますので、これからも応援よろしくお願いします
第25話 焦燥(天保6年(1835年))への応援コメント
誤字報告です
>文机に正体し、頭を抱えて「うんうん」と唸りながら手紙の内容を考えている俺に対して、勝千代くんが背後からにべもなく宣った。
文机に正対し、
作者からの返信
誤字報告ありがとうございます。
今後とも応援よろしくお願いします
第2話 状況確認(文政13年(1830年))への応援コメント
目指すは金沢奠都?ケンミンショーにみられる石川ケンミンの傲慢が強化されそうで楽しみなような怖いような
>加賀国は遠国
検索したら北陸道の遠国は越後と佐渡って出てきた
この時代は変わっているのか
二話の言い回しなど
>前世に未練が無いかと言えば嘘になる
質問は絶対に嘘にならない
「無いと言えば嘘になる」か「無いかと言えば有る(無くも無い)」か
>おしめを見ず知らずの世話役たちに変えられる
替えられる
>犬千代様は御前様のことを、もう母親であることが分かって
ことが重なっていてくどい。「御前様が母親であると分かって」でええと思う
>「ほほほ、何を言っているのでしょうね。(中略)おたた様にも、はようこの子の顔を見せてあげたいのに」
・お着きになられるのでしょう
・待たねばならぬ
・で、あるか
どれが誰のセリフかよくわからないのだが、母上と女官の二人の会話ではないのか?
敬語の使い方から母上と対等の三人目がいるのかと思う
>唐名
検索したら最初に出てくる読み方は「とうめい」で、これが一般的だと思っていた
>またぞろ御用商の銭屋が祝いの品を送り届けてきておる
またぞろは呆れた気持ちの現れなのに、わざわざ見に行くのか
序でに一話の方も
>日本海側特有の冬空は、重たい鉛色を湛えて空に横たわっていた
冬空は空に横たわる?一行目からこの記述はよろしくない。人によっては読む気を無くすかも
>50を過ぎた加齢という時間
なんかくどい気がする
>視界は倒れてきた本の波に呑まれ
視界が呑まれるって表現に違和感
普通、視界は奪われるとか遮られるとか
>視界から光を奪われる
前項からの続きで、視界も光も奪われるもくどい
>俺が気を失っていたのは長い時間だったようにも思えるし、一瞬のことだったのかもしれない
前後が並列になっていないのに違和感がある
「長い時間にも一瞬にも思える」ぐらいでええのでは
三話以降も所々気になるところがあるが、ウザいと思われるなら明白な誤字以外は控える予定
第24話 安積艮斎(天保6年(1835年))への応援コメント
渡辺崋山が罪に問われたのは蛮社の獄では?
とまあ、細かいことは置いておいて、崋山が出てきたということは某T氏が出る&救済フラグだと信じたい。
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます
申し訳ありません、当方の確認不足でした! 修正させていただきました!
現在お手紙を渡しただけの某T氏がどうなるかは、これからの主人公の立ち回り次第ですね。
これからも応援よろしくお願いします
第23話 小さな襲撃者(天保6年(1835年))への応援コメント
世話になっている家のおぼっちゃんを容赦なくぶっとばすとはw
先生は主人公の正体を知っているからしょうがないね。
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます
い、一体あの少年はどこのお坊ちゃんだというのか、まだ本文中には出ていませんが、まぁ……
正体を知っているからこそ、あの程度で済んで良かったですね……
あぁして殴り飛ばしたことで、言質も引き出したわけですから、先生は強かですね。
これからも応援よろしくお願いいたします
第22話 二人での外出(既遂)(天保6年)への応援コメント
蛮人(仮称)って、まさかのちの真剣赤…(違うけど違わない)
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます
真剣赤……? が何なのかわかりません…教養不足で申し訳ありません。
これからも応援よろしくお願いします
第22話 二人での外出(既遂)(天保6年)への応援コメント
たまげた誘い文句だなあ…
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます
教養というのは大事なんだって、ハッキリワカンダネ……
これからも応援よろしくお願いします
第6話 育徳園(天保3年(1832年))への応援コメント
>心字池周辺の八景、八境を模した勝は雪が降り積もったままになっているが、園路は除雪が行き届いていた。
「八境を模した勝は」の「勝」は景勝の「勝」なのでしょうか?
あるいは「箇所」の誤変換?
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます
優れた景色という意味の「勝」です。景勝、名勝の勝です
わかりにくくて申し訳ありません。
第5話 欲しい物(天保2年(1831年))への応援コメント
この言い回しが気になりました
>此度こたびのこと、仔細わかりました。
>決まったことに、私わたくしから申し上げることはなありませぬ
申し上げることはありませぬ のタイプミスなのかな?
作者からの返信
タイプミスです。
ご指摘ありがとうございました
幼少期編登場人物・用語への応援コメント
…(; ・`д・´)加賀藩出自の明治の偉人って、タカジアスターゼの高峰譲吉しか知らんちゃ。
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます。
高峰譲吉は有名ですよね。生まれが高岡で育ちが金沢の「加賀藩ハイブリッド」ですし。()
加賀藩には面白い人物がたくさんいますので、そこから妄想が捗ります。(銭屋と大野弁吉コンビもおすすめ)
これからも応援よろしくお願いします
第21話 一人での外出(未遂)(天保6年(1835年))への応援コメント
主人公転生者の外出時の危機意識が低いのがアレですが面白いです←フラグなのかしら?
金沢富山が大好きな東海民ですが観光情報やグルメ等の豆知識なども少々盛り込んで頂けたら嬉しく思います。
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます。
外出に対する危機意識が低い←危ないですよね。今はまだ良いかもしれませんが、後々に不平浪人や攘夷派志士に目を付けられるかもしれませんよね()
金沢富山が大好きと言う事で、見所を本文中か活動報告で発信するかもしれません。まだ未定ではありますが……
今後とも応援よろしくお願いします。
第21話 一人での外出(未遂)(天保6年(1835年))への応援コメント
奥村丹後守すごい国学者だったのか
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます。
実は、当時そこまで評価は受けませんでしたが、明治時代にようやく再評価された感じですね。
現代において、彼がいなければ、上代日本語の発音の解明が一歩進まなかったかもしれません。
これからも応援よろしくお願いします
第21話 一人での外出(未遂)(天保6年(1835年))への応援コメント
惜しい。もう少しで脱出成功だったのに
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます。
入念な準備をしたのにこんな結果になってしまって、主人公が可哀想ですね。
これからも主人公は足掻き続けるでしょう。
これからも応援よろしくお願いします
第21話 一人での外出(未遂)(天保6年(1835年))への応援コメント
自業自得(笑)
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます。
主人公が自由を手にする日は来るのでありましょうか。いや、無い。
これからも応援よろしくお願いします
第2話 状況確認(文政13年(1830年))への応援コメント
今富山のこと何処に居るのかも分からねえ田舎の中のド田舎って言ったかコノヤロー!!(富山人の偏見)
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます。
富山も石川も田舎ですよ。
強いて言うならば、石川県の方が本家なのでちょーっとばかり全国的な知名度が高いだけで(石川人の傲慢)
これからも応援よろしくお願いします
第20話 課題(天保6年(1835年))への応援コメント
もうすぐ元服なのは勝千代君だけでなく主人公犬千代君もなのでしょうか。
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます。
史実よりも早く元服できるかは、飢饉対策の成否にかかっております。
元服前に初名というものを名乗り、その後将軍に拝謁して初めて元服となります。実際に史実では、初名を名乗ってから元服まで4年のタイムラグがあります。
これからも応援よろしくお願いします
第19話 巣食う者(天保6年(1835年))への応援コメント
名前が出た本多政和は史実で奥村の死後年寄と組んで藩政主導してましたがその息子である本多政均は前田斉泰の寵愛を得た側近なんですよね。この世界ではどうなるか。
藩内は保守派と改革派で別れて家老もそんな感じで対立していた前田家をうまく纏めることができるか、今後が楽しみです!
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます。
保守派と改革派をどのように融和していくのか。それとも処断していくのか。これかの主人公の行動にご注目ください。
これからも応援よろしくお願いいたします
第11話 初めてのお出かけ(天保4年(1833年))への応援コメント
たまげた描写だなあ…
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます
一体どこにたまげたのか、自分ちょっとわかんないっスね(すっとぼけ)
第19話 巣食う者(天保6年(1835年))への応援コメント
前田利家が尾張から連れてきた者達の子孫で構成されている。
とは言ってみるものの秀吉ほどではないが
在地国人クラスからの成り上がりの利家が百万石を領するということは家臣の大部分が利家の代それも秀吉政権期以降の家臣化されたものが多い
織田家で柴田勝家与力時に同輩だった家や能登領有後の在地領主、挙句には徳川とのつながりを期待して家老格で招いたが謀反騒ぎで本家が切れた本多。
藩草創期でさえまとまりがよいとは言えない家臣団が三百年近く
島津や毛利が強い繋がりを維持してたのに比べ
前田家が幕末に空気だった理由がなんとなくわかる。
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます。
その通りで、実は前田家はかなりの寄り合い所帯で、ご指摘の通りまとまりがありませんでした。前田家本家の奥村家は比較的に譜代格ではありましたが、旧越前朝倉家臣、旧北条家家臣、出羽、越後出身者といった後発組も軒を連ね、むしろ尾張組は肩身が狭かったのではないかと思います。
そうした家臣団の対立は根が深く残りました。
加賀藩の人持組頭の面々を見ると、そういった出身者の代弁者であるかのようにも思えます。
加賀藩の統治機構は代弁者の議論の場で、ある意味で議会制度を受け入れる素地ができていたのではないかと推測しています。
その統治機構は、結果として薩摩や長州に遅れを取り、明治維新に乗り遅れてしまったのだと思います。
これからも応援よろしくお願いします
第14話 銭五再び(天保4年(1833年))への応援コメント
これ、お上にしれたら危ない事に思えるのですが(汗)
作者からの返信
はい、危ないことです。
ですが抜け荷取引は、ほぼ公然の秘密のような状態であったらしいです。
「幻の石碑」という本には、当時のイギリス(オーストラリア)船船長の手記も載っているのでおすすめです。(八丈島に寄港したとか、蝦夷地を襲撃したとか)
銭屋五兵衛の三男はカリフォルニアに渡ったという伝説も残っているくらいですしね。
それにあくまでこの取引は猫千代との間でのことで、加賀前田家には一切の関わりがありません()
第8話 お芋(天保3年(1832年))への応援コメント
3歳児だから何が起きてもおかしくないですし、屋根からの落雪もあるかもしれないしそりゃあみんな心配しますよね
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます。
三歳児ですからね。しかも嫡男ですし、大人は大切に育てていきたいのに、そういうところに鈍感な転生者主人公でありました。
今後とも応援よろしくお願いいたします
編集済
第2話 状況確認(文政13年(1830年))への応援コメント
利家って四男じゃなかったかな?三男は安勝で前田慶次郎利益の嫁の父(義父)にあたる人だったと思いましたが❓
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます
完全にこちらのミスです。修正しておきました
第2話 状況確認(文政13年(1830年))への応援コメント
>しかも大聖寺や富山なんて10万石ぽっちの(小さな)支藩じゃない。
三万石、五万石クラスの大名が憤死しそうなこと言ってて笑った
作者からの返信
三万石、五万石クラスの家臣がいる石川県民の意識が出てしまいましたね笑
読んでいただきありがとうございました。
何はともあれ笑っていただけて嬉しいです!
幼少期編登場人物・用語への応援コメント
資源、資金、人材は佐賀藩と変わらず、飢饉後のダメージを考えても石高は倍近くあったのに確かに加賀藩の影薄いですね。
大野弁吉と銭屋、不平士族の暗殺以外加賀藩の動きは知りませんでした。
作者からの返信
維新後に加賀藩が有名になるのは、加賀藩不平士族の島田一郎による大久保利通暗殺くらいですよね。
影が薄くなった理由は多くあるのですが、主人公によって一つ一つ取り除いていければなと考えております。
読んでいただきありがとうございました。
幼少期編登場人物・用語への応援コメント
血筋的にも立ち位置的にも面白い人が幕末にいたなんて知らなかった。
つくづく、裏日本は不遇
今後がすごく楽しみ
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます。
つくづく、何故今まで誰も題材にしなかったのか不思議なくらいだと思っております。
今後とも応援よろしくお願いします。
第4話 父との初対面(天保2年(1831年))への応援コメント
初代当主のイメージがあるからか久しぶりなのだから当たり前にも思うが妙にしっくりくる身分の高さからくるイメージにそぐわないスゴさ。
作者からの返信
感想ありがとうございます。
さすが槍の又左の子孫といったところでしょうか。
これからも応援よろしくお願いします
第3話 絶望の犬千代(文政13年(1830年))への応援コメント
確かに幕末の前田家の空気具合はすごい。
海外貿易はともかく日本海貿易からの利益を考えれば収入に問題は他の外様と変わらないか上なのに。
それにしても維新後も目立つのが近衛文麿の母方の実家とかあまりいい方のイメージには遠い。
内政に貿易、人材探しなどチートをどこまで活かすことが出来るのか楽しみです。
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます。
空気にならないように立ち回ろうとした形跡はあるのですが、そのことごとくが裏目に出てしまったようですしね。
維新後も目立てるように、これからの立ち回りをご覧ください。
第13話 金の褒美(天保4年(1833年))への応援コメント
33年現在も飢饉起きてますからね……。
種芋や苗を熱湯消毒出来れば病気にやられずに済むのですが、温度計も蝋燭も高いのがネック(47〜48℃の熱湯で種芋40分、苗15分、ハゼ蝋燭融点50℃、大根、栗等にも応用可能)
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます。
お値段が高いと、領内全域に広めることは難しいでしょうね。
以下、飢饉に関するオタク特有の長文失礼
↓
天保4年には加賀藩においても不作が予想され、他国への移出が命じられております。
それと町奉行へ米を食い延ばせと指示をしているほどですし、相当米価格が高騰していることが分かります。
ちなみに天保4年の凶作の特徴は、雨の量が少なく旱魃となった後冷害により凶作となったそうです。その結果、米一升120文に高騰したようです。
しかし、それ以降の記録では天保7年(1836年)の凶作(病虫害と冷害)がひどかったそうで、領内の御貸米19万7,600石(!)に達し、餓死者を出したとあります。
更に打ち壊しの記録を見ていきますと、天保7年が最も多く、7回記録されています。
天保7年の飢饉に耐えることができれば、加賀藩の国力が維持されるかもしれません。
今後の展開をお楽しみにしてください
第13話 金の褒美(天保4年(1833年))への応援コメント
誤字報告です
「ふぅ」と」一つ息を吐いて
→「ふぅ」と一つ息を吐いて
作者からの返信
誤字報告ありがとうございました
修正させていただきました。
今後とも応援よろしくお願いします
第5話 欲しい物(天保2年(1831年))への応援コメント
誤字報告
類 ×
累 ◯
累が及ぶとは、悪影響や迷惑などのマイナスの関りが及ぶという意味ですので、同類など似たものの集まりを意味する類ではなく足手まといなどでわずらわすを意味する累が正しいです
裏日本再興、いいですね
作者からの返信
誤字報告ありがとうございます。
完全に見落としておりました、恥ずかしい限りです。
修正しておきました。
今後とも応援よろしくお願いします
第13話 金の褒美(天保4年(1833年))への応援コメント
更新お疲れ様です。
誤字報告です。
>五箇山の袁紹
となっております。
作者からの返信
失礼いたしました。
誤字報告ありがとうございます
修正しておきました。
今後ともよろしくお願いします
第11話 初めてのお出かけ(天保4年(1833年))への応援コメント
歴史知識がしっかりとされていて、読み応えがあります。
大手門以外の門の描写など、リアルな情景を想像できました。
更新楽しみにしています。
作者からの返信
この度はコメントありがとうございます。
今後も手探りで調べながら書いていきたいと考えとおりますので、今後とも応援よろしくお願いいたします。
重ね重ねになりますが、応援コメントありがとうございました。
第4話 父との初対面(天保2年(1831年))への応援コメント
生々しい
編集済
第2話 状況確認(文政13年(1830年))への応援コメント
かなり寒い地域なんですね。石川には一度だけ旅行で行ったような。
加賀藩はずっとその場所なんでしょうか。
侍女は江戸出身だから?
(備中の薬売り&土着陰陽師の子孫の感覚)
作者からの返信
瀬戸内よりかは寒いと思います。
加賀藩は江戸幕府開府以来、明治維新まで現在の石川県と富山県の大部分を領域としていました。