辺境伯家の追放事情・Ⅱ(前)

 グラヴアクト辺境伯領の領都ルステニアは、扇を逆さにしたような形の城壁の内に七万を超える人口を有した大都市だ。東門、南門、西門と三か所存在する都市の入り口からはそれぞれ三本の大通りが伸び、その合流地点である都市の最奥には辺境伯家の屋敷とシュドラ迷宮への入り口たる大神殿が鎮座している。


 そんな大神殿からスヴィアが姿を見せたのは、ライフデブリと接敵し調査の中断を決めてから僅か五日後の事。迷宮深層たる十五層から地上まで最低限の休憩のみでの突貫だ。それでも兵士達には一人の離脱者もいないあたり、特殊独立大隊の練度の高さが伺える。


 スヴィアは大神殿を後にするや否や屋敷へと直行。入浴と着替えを諭すメイド達を振り切り当主の執務室へと向かった。


「お帰りなさいませ、スヴィアお嬢様」


 ディーナを伴って階段を上がり足早に廊下を進んだ先、執務室の前に立っていたのは辺境伯家の家令を務める老齢の執事ジャック。


「ジャック、父様は」


「いらっしゃいます。ただ今はキール様とお話をなさっているかと」


「キール?浅層の封鎖に参加しているんじゃないのか?」


「それがどうやら旦那様の命を無視して、流民街へと足を運んでいたようで……」

 

 ジャックがそう口にした直後、執務室の扉が開かれ苛ついた様子で金髪赤眼の少年が姿を現す。スヴィアと同齢の異母弟おとうとにして辺境伯家の嫡子キールだ。辺境伯家には十歳ほど年の離れた長男もいるがスヴィアと同じく側妻の子であるため、今のところ正妻の子である次男のキールが嫡子として扱われていた。

 辺境伯家の正妻ディアレットは十四年前に産褥熱を原因として命を落としており、その後キールの面倒を見てきたのは側妻のイヴ。つまるところスヴィアの実母であり、幼少期を共に過ごした二人の関係性は実の姉弟とそう変わらないだろう。


「キール。また流民街へ行っていたのか」


「…俺が何処に行こうと勝手だろ」


「お前が辺境伯家の人間として義務を果たしているのであれば何処で何をしようと自由だ。だが今回もお父様の命を無視して流民街で遊んでいたんだろう?」

 

 そう小言を並べるスヴィアを、キールは強く睨みつけた。


「…この国に住む人々が、毎日を幸せに暮らして行けるようにするのが俺達貴族の責務。だというのに今も流民街では力の無い人達が理不尽に命を奪われ、子供達は飢えに苦しんでる。それを無視して何が迷宮、何が辺境伯家の義務だ!」


 流民街はルステニア西側の城壁外に存在するスラム街の通称だ。他領や他国からの流民や後ろ暗いところのある犯罪者などが住み着き形成された街であり、辺境伯家は当初から一貫して不干渉の姿勢を続けている。税や労役を課す事もしないが、同時に治安の維持や社会基盤の保障もしていない。


 そんな流民街へキールが出入りするようになったのは約四年前。その頻度は時を経る毎に増え、ここ二年は迷宮内での任務すら放り出して、流民街に入り浸っている始末だ。


「キール、流民街の人々は辺境伯領の領民ではない。本来そこに存在しないものだ。深入りするなといつも言っているだろう」


「城壁の内側で生まれなきゃ領民として認めない、すぐ近くで苦しんでようが構わないって事かよ。それの何処が貴族だっ」


「貴族だから、だ。辺境伯家とてキャパシティには限界がある。むやみやたらと救いの手を広げ、本来守らなければいけないものを危険に晒すわけにはいかない」


「無駄に持て余してる兵士達を半分にでも削れば、人員も予算も流民街に回せるはずだ!」


「平時に兵力が余剰に感じられるのは当たり前、必要な時に足りなくなる方が問題だろう。そもそも何故辺境伯家が、莫大な金銭を投じてまで兵力を維持してるのか、少しは考えろ」


「どうせ迷宮の管理だと言い出すんだろっ。いつもいつもそればかり……」


「それが最優先事項だからだ。私達が最も重要視すべきなのは迷宮の管理と維持、その次に領民の生活、そして北部諸侯全体の利益。それ以外の事は、はっきり言って些事に過ぎない」


「っ…本気でそう思ってるなら、お前らは貴族失格だよ」


 そう言い残して乱暴な足取りで立ち去るキールの背を見ながら、スヴィアは小さく首を振る。その後ろで、


「愚かですね」


 ポツリと溢すようにディーナが呟いた。


「ディーナ、キール様は腐っても辺境伯家の嫡子です。言葉を慎むように」


 耳聡く聞き拾ったジャックがそう咎めるが、


「いや、腐ってもなどと言っている時点でお前も大概だぞ、ジャック」


「失礼いたしました、お嬢様」


 辺境伯家内において、責務を投げ出し流民街にばかり心を割くキールの評価は散々なものだ。それも流民街に拘る理由が『そこに住む少女へ入れ込んでいるため』なんて噂が広まって以降は特に。


「全く、何時からああなってしまったのか。これが反抗期というやつか」


 首を振りながら嘆くようにスヴィアが溢した呟きに、ディーナが苦笑を浮かべた。


「反抗期って、ヴィー様もキール様と同い年ですよね」


「私の反抗期は十歳で終わったんだ。あれは幼い頃やけに聡かった分、今しわ寄せが来てるんだろう」


「幼少期のお嬢様は大変でした。勝手に屋敷を抜け出して迷宮へ潜ったと思えば、市街に繰り出しては兵士の素質がある者を見つけたと連れ帰ってくる。まるで旦那様の幼い頃を見ているようで……」


 ジャックの口からしみじみと語られる耳の痛い話は聞こえぬふりをして、スヴィアは扉をノックする。


「スヴィアです。ただいま戻りました」


「…入って良いぞ」


 そしてディーナに部屋の前で待機するように命じ、執務室へと足を踏み入れた。

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2024年12月13日 21:00
2024年12月16日 21:00
2024年12月17日 21:00

深淵の墓守令嬢 belu @veil

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