戦火の冬と白兎

文壱文(ふーみん)

戦火の冬と白兎

 銃撃。轟音が耳をつんざく。必死に銃を抱え込み、瓦礫の中を走り抜ける。耳元で恐怖が囁くが、青年は建物の中へと銃口を向けた。引鉄を押し込み一発、二発と弾を撃ち込む。

 雪化粧の世界に反して、深紅の飛沫が舞う。瓦礫もすっかり雪を被り、冷気が鼻を刺した。


「はぁ、はぁ」


 肩で息をしながら、青年は銃口を下ろす。しかし、背後の殺気に身を翻して銃を放った。撃った銃弾は三発。それぞれが異なる方角へ向かう。銃撃音が聞こえなくなってから、ようやく銃弾が命中したと理解する。

 食糧も残りは心許なく、食事をとるという余裕も持ってはいなかった。青年は奥歯にぎゅっと力を入れ、建物目掛けて飛び出す。


「ッ!?」


 建物の裏に隠れることはできた。しかし左肩が上手く動かない。咄嗟に押さえた右手には血がべっとりと付着していた。

 そして数瞬遅れてくる痛みに、叫ぶのを堪える。涙の跡は土と血に塗れ、とうに乾ききっていた。

 辺りで響く破裂音と断末魔。青年は両肩を押さえながら小さく蹲っていた。

 雪風に目が奪われていく。数分後に青年の意識は途絶えた。




「おめでとうございます! 貴方が百人目のお客様です」

「……は?」


 青年は口をぼんやりと開けた。くすんだ空も硝煙の香りも紅く染まった絨毯も、何も無い。先程までの痛みが嘘だったかのように、肩が思い通りに動く。

 遂に頭までおかしくなったのかと頬を抓るが、痛みは確かにある。


「ッ、これは」


 眼前には立派な城壁や住居がそびえているが、出入口は小窓くらいの大きさだった。

 扉は全高三十センチほどで、到底人間が出入りできる代物ではない。

 どこからか聴こえる声に恐る恐る視線を下げる。


「おめでとうございます。貴方が百人目のお客様です」

「は?」


 白兎が二足歩行で言葉を発していた。それも流暢に人間の言葉を話している。

 青年は今度こそ自分の目を疑った。


「ここは一体どこなんだ? ……やっぱり夢なのか?」

「夢ではありませんわ。貴方を兎の国レポリデへご招待します!」

「兎の、国? そうか、戦争は終わったのか」


 度重なる紛争でまともな判断が出来なくなっているようだ。青年の不自然な様子に白兎はため息をついた。


「……残念ながら紛争は終わっていません。偶然にも貴方はこちらの世界に迷い込んでしまったようなのです」

「……こちらの世界? どういうことだ? それにあんたは一体なんなんだ?」

「申し遅れました。私は白兎のオリーと申します、以後お見知りおきを」


 白兎、オリーは一礼してスカートの裾を摘むような仕草を見せる。少なくとも青年が知識として知っているウサギではなかった。


「貴方の疑問は当然だと思います。それについてはあちらへ到着したら説明しますね!」


 オリーは城壁の向こう側へ指を差す。そして指先は青年へと向けられた。


「貴方の名前は何というのですか?」

「俺はスイ」


 目の下の隈が目つきの悪さを際立たせている。青年、スイの口元は強ばっていた。


「申し訳ないが少しの間、ゆっくり休ませてはもらえないだろうか」

「はい! 喜んでおもてなしさせて頂きます。さあ、こちらへどうぞ」


 すると人の身長くらいのトンネルへと案内される。暗い中を真っ直ぐ進み、暫くすると出口に差し込む光が見えてきた。

 トンネルを抜けた後になって気がつく。背丈がオリーと同じくらいになっていることにスイは目を見開いた。


「ぁ、ええと」

「これで貴方は私達と同じ背丈になりました。ようこそ兎の国レポリデへ、貴方を歓迎します!」

「……よかった、ありがとう」


 このときのスイの言葉には、恐怖心と安堵を一括りにしたような感情がこもっていたとのちのオリーは話す。


 ***


 それもそうだろう。紛争が終わっていないままに、血と硝煙に塗れた体で入るにしては、レポリデの城塞はあまりにも荘厳すぎた。

 それに、人間は思ったよりも警戒心の強い生き物だ。オリーのように人の言葉を話す人以外の存在を目の当たりにすると自らの常識に準えて恐怖を抱く。

 それでも、銃弾の飛び交う荒廃した市街地の中よりはよほどマシとスイは思ったのだろう。スイの肩の強張りは先程までよりは和らいでいるように見えた。


 城塞の扉を開けると、中は外観からは想像もつかない、なんとも綺麗なシャンデリラが並んだ大きな広間であった。石壁はところどころに蝋燭が立ち並び、どこからか聞こえる軽快なピアノの音に釣られた蝋燭は体を左右に揺らすように踊っている。そのため、広間を行き来する小さな動物たちの影がまるでこの世のものではないかのように千変万化を遂げていた。


「やっぱ俺死後の世界に来たんじゃなかろうか……」

「いえ、そんなことはないですよ! ここはちゃんと存在する国です。まぁ、人目につかないから人間からしたら懐疑的にはなっちゃいますか……」

「いや、あまりにも御伽話の世界に見えたものでな」


 事実、スイの目からするとそこはどうにもこの世のものとは思えない状況であった。

 ピアノの音色に合わせて踊る蝋燭たち。オリーですら見慣れないというのに、人と同じように綺麗な衣服を着飾った二足歩行の兎達。そして何より—


「なぁ、おい……。あれはなんだ?」


 スイは震える手で広間の奥を指差した。

 広間の奥は恐らく会食などに使われるのであろう、立派なホールが見えるのだが、そのホールの扉を形作るのは巨木の根である。

 ただの根ならスイも単純に自分が小さくなっているだけと理解できるだろう。

 その根はまるで生き物のようにうねりながら扉の前でアーチを作り上げると、根の先端をピアノに合わせて小さく振っていた。


「あれですか。いいところに気がつきますね。あれは私たちの中では、宝の樹と呼びます。えぇと、貴方達の世界ではクリスマスツリーというらしいです」

「俺たちの知ってるクリスマスツリーと違う……」


 確かに見れば巨木はモミの木だ。クリスマスツリーにはなるだろうが、宝の樹と呼ばれていることを聞くのは初めてだ。


「それってあれか。俺たちの世界の逸話で言うところの”もみの木には小人が宿っていて、食べ物や花を飾ると力を授けてくれる”ってあの……」

「私たちの世界では小人というよりは宝の父と呼ばれていますけどね。年に一度、クリスマスの日に小さな奇跡を授けてくれるのです」

「プレゼント的なやつですかね」

「いいえ、我々の父は物欲を満たすような授けものはないのです。その代わり、その方の望む未来を起こすための小さな奇跡を授けてくれる。そのような逸話があり、毎年この時期になると我々は父に捧げ物をするのです」


 その言葉にスイは少しばかり狼狽える。


「ま、まさか俺を捧げようだなんてするつもりじゃないよな」

「まさかぁ。そんな大仰なものは捧げるつもりはありません。我々が捧げるのは、自分の持ち物で、小さな宝物です」


 オリーはそう告げると懐から小さな鏡を取り出した。レポリデの文化で作るものだからかなりの小ぶりのものではあるが、その手鏡は無味なものにはならない程度に飾りが付けられた少しばかり質素なものだ。


「私はこれを今回捧げます。昔お母さんがくれたもので、新しいものを買ってくれるというので、ここで思い出にしたいと思って」

「ははぁ……。そういうことね」


 そう言われるとスイも懐から小さなロケットペンダントを取り出す。その中には彼自身と初老の女性の姿を写した写真が入っていた。


「それは?」

「出兵前に母さんと撮った写真だよ。お守り代わりに貰ったものさ」

「そんなもの、大切じゃないんですか?」

「いいんだよ。生きて帰ればまたいい写真が撮れる。それにここでこれを捧げることで、奇跡がなくたって俺は生きて帰ってやるって決意表明にもなるのさ」


 オリーはそれを聞いてどこか納得したのか、スイを手招きして蠢く木の根のアーチの中へ誘導していく。


「それじゃ、捧げ物をしてパーティーにでも行きましょう。捧げた後はパーティーがつきものです。せっかくですから貴方も楽しんで欲しいですし」


 もみの木を見上げながらオリーは話す。しみじみとした雰囲気に、冷える風にスイは喉を鳴らした。


「ああ、折角の招待だ。そうさせてもらうよ」


 スイの表情は和らぐ。

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