第4話 失望の手紙
カフェでの話し合いからひと月が経過した。サミュエルは『今後は迷惑をかけない』と宣言したにもかなわらず、少しも変わる気配を見せなかった。
オーガスタと一緒にいる時も、彼の頭の中はいつもアデラの存在が占めていて、何度も時計を気にする。そして、王女を口実にオーガスタの元を去っていくのだ。いつもその繰り返しで、オーガスタの気持ちは冷める一方だった。
今夜は王宮で、王家主催の夜会が開かれる。オーガスタはサミュエルをパートナーとしてこの夜会に参加する予定――だった。
日が暮れる前にサミュエルが屋敷を訪れ、一緒に馬車で王宮に向かうはずだったのだが、待てど暮らせど彼は来なかった。
「本当に話し合いをしたのかい?」
サミュエルが一向に到着してないので、耐えきれなくなった父が、代理で同行するために正装に着替えて準備を始めた。
エントランスから玄関口をじっと睨みつけるようにして、ダグラスが疑念のこもった声でこちらに尋ねる。
「一応は、しました」
実際、サミュエルは全く真摯に向き合う気はなく、一方的に婚約解消したくないという自分の主張だけ押し付けてきたのだった。
ダグラスは額を手で押さえながら、嘆かわしげに呟く。
「昔はもっと素直で真面目だったのに、どうしてこうなってしまったのか……」
「……」
その気持ちは、オーガスタも同じだった。幼少期の素直で真面目だったサミュエルを知っているからこそ、その変わりように大きな落胆を覚えていた。しかし、そろそろ、潮時かもしれない。
「彼は真面目ではあるが、時々……思慮が浅いというか、物事を甘く考えている節があるとは感じていた」
「今の彼が、本来のサミュエル様なのかもしれませんね」
そう、振り返ってみれば片鱗はあったのだ。
するとそのとき、玄関扉がゆっくりと開かれた。オーガスタの隣に立つ父が口を開く。
「約束の時間からどれだけ過ぎていると思っているんだい? 一体どの面下げて、我が家の敷居をまたいで――」
父の小言は途中で途切れた。なぜなら、玄関先に現れたのはサミュエルではなく――全く見知らぬ青年だったからだ。サミュエルと同じ騎士服を着ているので、王国騎士団の仲間だろうと推測した。
(まさか、サミュエル様の身に何かあったんじゃ……!?)
オーガスタと父は顔を見合わせる。今までなら、予定の直前ではなくもっと早くに断りが手紙で届いていたはずだ。もしかして、事故や事件に巻き込まれてしまったのだろうか。
オーガスタは騎士の姿をした青年に尋ねた。
「どちら様ですか?」
「はい! 私はサミュエル殿の後輩であります!」
青年はぴんっと背筋を伸ばして敬礼した。そして懐から一枚の封筒を取り出し、こちらに両手で差し出した。
「本日は、先輩からこちらをお預かりして参りました。至急、オーガスタお嬢様にお渡しするように、と……えっ」
青年が戸惑ったような声を漏らしたのと、オーガスタが彼から取り上げた手紙を破り捨てたのは、ほぼ同時だった。
青年は戸惑った様子で、おずおずと言う。
「お、お読みにならなくて……よろしいのですか?」
「はい。読むまでもありません。内容は想像つくので」
サミュエルはいつもこうして手紙で、予定をキャンセルしてきた。もはや、彼の筆跡を見るのさえ億劫だ。
「なるほど、左様でございますか……。ああっ、そうです! それから、こちらの品もお預かりしております。なんでもその、お詫びの品だとか」
そう言って青年が差し出してきたのは、包装された人気店の焼き菓子だった。
予定をキャンセルするとき、お詫びの品を添えてきたのは初めてだったが、それで彼に対する不信感が払拭されるはずもなく。
(お詫びの品なんて、要らない)
オーガスタが受け取れない旨を伝える前に、ダクラスが言った。
「それはあの男に返しておきなさい。それから君ももう帰るといい。ここまでご足労いただいたね」
「……は、はぁ。承知しました。では失礼いたします!」
青年は騎士の礼を執ってから、そそくさと帰って行った。
玄関で言葉もなく立ち尽くすオーガスタとダクラスのふたり。
(父上、これは相当怒ってるな……)
無言で立っている父から、言葉はなくとも怒りがひしひしと伝わってきた。しかしそろそろ、王家主催の夜会に出席しなければならないので、感情的になってもいられない。
「父上、そろそろお時間です。行きましょうか」
「……ああ」
そう返事をした父の声は、怒りを押し隠したような冷たい声だった。
◇◇◇
夜会の会場となる王宮は、華やかな装飾が施され、大勢の人たちで賑わっていた。
オーガスタは父の隣に立ち、参集者たちと挨拶を交わした。オーガスタも父もサミュエルの件で気を揉んでいたが、それを社交の場に持ち込むわけにもいかず、お互いその話題には触れなかった。
夜会は情報交換の場でもあり、広間では様々な噂話が飛び交っている。
「聞きました? 第四王子殿下は体調不良で今日も欠席ですって」
「一度も社交の場に顔を出さないとは、余程の事情があるんだろうか。同じく身体が弱い王女殿下は公務に積極的だというのに、王族として体たらくではないか?」
「なんでも――吸血鬼なんじゃないかって噂があるそうよ。銀色の髪に赤い目をした彼の姿を見たメイドがいるとか」
「おお、怖い怖い。だが、公務に参加しないのは第三王子もだったな」
「あの方は事情がはっきりしてるじゃない。娼婦の子だから、他の王族から敬遠されてるのよ」
オーガスタの耳に届いたその話題に、思わず冷や汗が流れる。
(吸血鬼……か。一度も会ったことはないけど、怖いな)
ネリア王国には、数は少ないが――吸血鬼が存在する。人間の血を糧とする彼らは闇夜に潜み、時々人を襲う。銀髪に赤目で、心臓がなく不死であると言われているが、その実態はあまり明らかになっていない。
すると、オーガスタたちの前にひとりの中年の夫人がやってきて、囁くように言った。
「ねぇ、お二人はご存知なの? サミュエル様が王女様のパートナーとしてこの夜会に参加しておりますわよ」
「「……!」」
オーガスタと父は絶句した。この国において、社交の場にパートナーとして参加するのは普通、恋人や夫婦、家族に限られる。婚約者を差し置いて別の女性のパートナーになるなど、到底許されることではない。まして、今日の夜会はオーガスタが先約だったのに。
王女の忠実な近衛騎士だったとしても、その業務範疇をいささか超えているのではないか。
「みんな、ふたりが禁断の仲だと噂しておりますわ。もしそれを承知で黙認されているのならともかく、クレート公爵家の名誉が傷つくのではないかと心配で、お伝えした次第ですの。つい先ほども、大変仲睦まじげに寄り添い合っていて……」
「サミュエル殿はどこにいる?」
「さぁ……分かりませんわ。――では、私はこれで」
夫人は扇子の奥でふふと微笑んだあと、踵を返した。彼女の瞳にはどこか、好奇心が滲んでいたように見えた。
他方、父は拳を固く握り締め、怒りに震えている。
「お前はここにいなさい。すぐにあの男を引きずり出して謝罪させる。王女殿下の近衛騎士を辞め、二度と関わらないと言わなければ――破談だ。異論はないね?」
「ありません。父上」
ダグラスは寂しそうに言う。
「私はただ、お前の幸せを願っているだけだった。あの男では到底、お前を幸せにはできない」
「正直……先ほどのご夫人の言葉が本当なら、彼との信頼関係を修復するのは難しいと思います」
「そうだね。まずは事実を確認しなくては」
ダグラスはオーガスタを置いて、広間を足早に出て行った。オーガスタの母ソフィアはオーガスタが幼いころに病で亡くなり、父は母の分までオーガスタのことを大切に育ててきた。
サミュエルのこともオーガスタの未来の伴侶として大切にしてきたはずなので、期待を裏切られた心境は相当複雑だろう。
オーガスタの胸中に、深い霧が立ち込めていく。人々のざわめきが、余裕のないオーガスタにとってはひどく耳障りだった。
(ちょっと、風に当たろう)
この広間の大窓の向こうはバルコニーになっている。夜風を浴びれば、少しは心が落ち着くかもしれない。
そう思って、重厚なカーテンを片手で持ち上げ、バルコニーへと出た。
「……だめよ、こんなところで」
「君は本当に可愛いな……。――愛している」
バルコニーの隅から、男女が親しく話す声が聞こえてきた。その声は聞き覚えがあり、視線を向け唖然とした。
(……やっぱりふたりは、不貞を働いていた)
ひとり掛けのソファにサミュエルとアデラが座り――口づけを交わしていたのだ。
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婚約者様、王女様を優先するならお好きにどうぞ(※ただし、私も王子様を優先しますが…) 曽根原ツタ @tunaaaa_x
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