第3話 男顔令嬢
王女がクレート公爵邸から帰って行ったあと、オーガスタは浴室で汗を流して着替えた。それから、自室に戻る。
侍女のひとりが手際よく紅茶を用意する傍らで、濡れた髪をタオルで拭いた。
「先ほどは王女様と何をお話しになったのですか?」
「……ああ、私じゃサミュエル様にふさわしくないんだってさ」
オーガスタは髪を拭き終わると、濡れたタオルを籠の中に入れ、姿見の前で前髪を掻き上げた。
鏡には、男のような自分の顔が映っている。
「ほら、男顔令嬢とか言われてるでしょ? 正直、私なんかより王女様みたいな素敵な令嬢の方がお似合いかもね」
すると侍女が、紅茶を淹れる手を止めて声を震わせながら言った。
「お嬢様だって素敵な方です……! 私の父が病床に伏して、一家が路頭に迷いそうになったとき、お嬢様は前払いだと言って、父の治療費を全て払ってくださいました。お嬢様は誰にでも優しくて分け隔てなく接してくださいます。少なくとも私や、この屋敷の使用人たちは、みんなみんな、お嬢様のことが大好きなんです……!」
普段は大人しくてあまりしゃべらない彼女が、珍しく饒舌気味に語る。その言葉にオーガスタは少し驚き、そして嬉しくも思った。
「私たちが大切に想っているお嬢様のことを……お嬢様がひどく言わないでください」
あんまり一生懸命にフォローしてくれるので、オーガスタは思わず苦笑を零した。
「ありがとう。そう言ってもらえて元気出たよ」
「私……お嬢様が悪く言われるのが辛いです。恐れながら申し上げます。ふさわしくないと言うなら、サミュエル様の方では? 婚約者であるお嬢様のことを散々ほったらかしにして、あまりに誠意が感じられません……」
そう言いながら、とうとう目にじわりと涙を滲ませる彼女。オーガスタは懐からハンカチを取り出して、彼女の涙を優しく拭った。
「もう、泣かないで。私は平気だから。サミュエル様とは一度よく話し合おうと思ってる。封筒と便箋を用意してくれる?」
「……はい。かしこまりました」
侍女は鼻をすする音を立てながら頷いた。
その後オーガスタは、サミュエルに向けて手紙をしたためた。――『大切な話がある』という書き出しで。
◇◇◇
オーガストの手紙に返事が返ってきたのは、手紙を出した二週間後だった。そして、会って話せることになったのは、更にその二週間後のこと。
しかもサミュエルは、クレート公爵家に足を運ぶのを面倒がり、オーガスタを彼の職場である王宮近くのカフェに呼び出した。
カフェの店内で、ふたりは向かい合って座った。
会うやいなや、あからさまに煩わしそうな態度でサミュエルは言う。
「この忙しいときに呼び出して、何の用だ?」
「……」
オーガスタは彼のふてぶてしい様子に不信感を抱き、テーブルの上に置いた拳を無意識に握り締めた。
(私のことをよっぽど舐めてるみたい)
サミュエルと顔を合わせるのはおよそ二ヶ月ぶりだ。
以前の彼はもっと大人しくて真面目だったが、王族の近衛騎士になってから傲慢な態度が目立つようになった。大切な話があるというのに、サミュエルは足を組み、迷惑そうな顔でこちらを見ている。
こういう態度を取っていい相手だと思われていることが、悲しかった。怒りというより、虚しさが静かに胸に広がっていく。
だが、オーガスタは不満を態度には出さず、きわめて冷静に言う。
「実は、ひと月前に王女様が公爵邸に来ておっしゃったの。王女様とサミュエル様は愛し合っているから、私に身を引いてほしいって」
「……!」
「今日は事実を確かめに来たんだよ。ふたりは本当に愛し合っているの?」
端的に尋ねると、サミュエルは目を見開いた。オーガスタは更に畳み掛ける。
「……正直、この婚約は解消しようかなって思ってる。きっとそれがお互いのためだから」
「ま、待ってくれ!」
そのとき、サミュエルは顔を真っ青にして立ち上がった。机に両手を突いた衝撃で、コップが倒れて水が零れる。ころころと転がるコップを素早く立てたのは、オーガスタだった。
「婚約解消だって? そんなの、納得できない。ご、誤解なんだ。ちゃんと話し合おう」
「うん。今日はそのためにここに来た」
サミュエルはだらだらと顔から汗を流し、焦りを隠せない様子。先ほどまでのふてぶてしい態度が消え、急に余裕がなくなった。
一方、彼とは対照的で落ち着いたオーガスタが、台拭きで零れた水を拭いていると、彼が続けた。
「俺と王女様が愛し合ってるって……本当に彼女がおっしゃったのか?」
「うん」
「はっ、冗談はよしてくれ。俺たちはそんな関係じゃない」
「でも、王女殿下のほうは明らかに好意があるようだったよ」
「それなら、気持ちに応えられないとはっきり伝えておく。もう君にも迷惑をかけない。約束する」
彼は切々とこちらに訴えかける。
「なら、王女様はサミュエル様から愛されてると勘違いしたってこと?」
「そう言っている」
「でも、ご本人だけじゃなく、社交会ではふたりが特別な関係だって、もっぱらの噂だよ。そう思わせるような……何か、思わせぶりな態度を取ったんじゃないの?」
その刹那、サミュエルは図星を刺されたと言わんばかりにうっと顔をしかめた。
「…………だろう」
「……?」
今度は眉間にしわを寄せて、大きな声を上げた。
「――だから、違うって言ってるだろう!?」
その声が店内に響き渡り、喋っていた客たちがしん……と、静かになる。
他の人たちに注目されていることに気づいたサミュエルは、はっと我に返り、決まり悪そうに咳払いして、言葉を続けた。
「俺と君は小さいころからよく知る仲なのに、信用できないのか? 君も分かっているだろう? 俺の家は多額の借金があって、必死に働いていただけだ。君こそ、俺の立場のことを少しは理解してくれ。本当に、頼むからさ」
サミュエルは頭を掻きながら、苛立ちを全面に出した。
「正直、こうやって責められるとこっちも辛いんだ。仕事でやってるんだから」
まるで、疑ったオーガスタが悪いみたいな言い方だ。
サミュエルはずっと事情を説明しようとせず、アデラに付きっきりだった。オーガスタのことを散々ほったらかしにしてきたくせに、どうして自分を棚に上げて、信用しろなどと言えるのだろうか。
誠意の欠片もない。王女の近衛騎士に任命されてから、サミュエルは変わり果ててしまったのだ。
(呆れてものも言えないってたぶん、こういうこと)
開き直った彼の言動に呆れ、返す言葉が何も見つからなかった。
「とにかく、もうこの話はこれきりにしてほしい。俺が結婚したい相手は、オーガスタ嬢だけだ。君のことを一番大切に思っている。な? もういいだろう?」
「……」
早く話を切り上げたいという意志を、ひしひしと感じる。
少なくとも、サミュエルの言葉を信じられない程度には、不信感が募っていた。
彼がオーガスタと結婚したいのは、多額の持参金を手に入れたいだけなのではないか。そんな疑問が喉元まで出ていた。
けれど、サミュエルは浮気を否定したし、王女の証言以外に確たる証拠もない。ひとまずは引き下がるとしよう。
「なら、もう失望させるようなことしないでね。私だけでなく、父もかなり不信に思ってるから。クレート公爵家の沽券を傷つけられては困る」
「疑われるようなことはしていないって、君から伝えといてくれ」
「それはサミュエル様が直接伝えて――」
すると彼は、壁掛け時計の針を見て「あ」と何かを思い立ったように、慌てて荷物を持って立ち上がった。
「すまない。護衛の仕事に戻らないと。午後は王女様が観劇に行かれるんだ。また連絡するから。――それじゃ」
「…………」
急いでカフェを出て行くサミエルの後ろ姿を見送りながら、眉間のあたりを指でぐっと押した。
(本当に分かってるんだか)
サミュエルはこんな人だっただろうか。もっと真面目で話が通じる相手だったと思っていたのに、誠意のない態度を見て、彼への評価が悪い意味で塗り替えられていった。そして、彼と結婚して自分は果たして幸せになれるのだろうかと、疑問を抱くのだった。
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