第2話 したたかな王女

 

「ふたりきりで話したいのですが、よろしいでしょうか?」


 アデラはフリルのついた日傘の下で、愛らしく微笑んでいる。そしてどこか、有無を言わさない感じがする。

 公爵令嬢であるオーガスタにとって、王女は格上の存在。彼女からの依頼は、依頼という意味合いはほとんどなく命令に等しい。


 オーガスタは自分より頭ひとつ分背が低くて、華奢なアデラを一瞥したあと、恭しく礼を執る。


「分かりました。ここは日差しが強いので、屋根のあるガゼボにご案内しましょう」

「ええ、お願い」


 アデラはふわりと微笑み、後ろに付き従っている侍女と騎士たちを振り向く。


「あなたたちは少し下がっていてください」

「「かしこまりました」」


 侍女たちは深々と頭を下げ、王女の指示に従った。


 オーガスタはアデラとともにガゼボに向かった。アデラのゆっくりな歩調に合わせたので、移動にかなりの時間を要した。


「どうぞ、そちらにおかけください」


 石造りのガゼボに到着し、アデラに席を勧めたが、彼女は微笑むばかりで、一向に腰を下ろす気配を見せない。


(どうして座らないのかな? ああ、理由はこれか)


 アデラの目の前の椅子の座面に、小さな虫がひとつ。オーガスタは慌てて別の椅子を引っ張ってきて、座面に清潔なハンカチを敷いた。すると彼女は、ようやくそこに座った。礼の言葉はなく、当然のことのように思っている様子ま。


(虫が嫌なら、そう言ってくださればいいのに)


 きっとアテラの周りにいる人たちは、常に彼女のことを細やかに気遣い、喋よ花よと大切に扱ってきたのだろう。だからアデラは、自分から要望を口にせずに、相手が察するのを待っているのだ。オーガスタはそんな彼女の態度を、少々高慢に感じた。


 日傘を閉じているアデラに、おもむろに尋ねる。


「サミュエル様と一緒ではないのですか? 彼から連絡があって、今日も近衛騎士の仕事があると伺っていますが」

「ふふ、今日は護衛ではなくてね、買い出しを頼みましたの」

「買い出し?」


 アデラはテーブルに日傘を置きながら、優美に答えた。


「ええ、ちょうど紅茶の茶葉が切れておりまして。すごく美味しくて最近のお気に入りですの。オーガスタ様にも教えて差し上げましょうか」


 白い陶器のような頬に手を添え、小さく首を傾げる彼女。


「……いえ、お構いなく」

「あら、そう?」


 子どものおつかいのような真似までさせられているとは、よほど尻に敷かれているらしい。つまり今日、サミュエルは婚約者より茶葉を優先したというわけか。


「サミュエル様は過保護で、わたくしになんにもさせてくださいませんの。今日も自分で紅茶を買いに行こうとしたら、危ないから王宮にいてくださいって。彼ってすごく心配性なんです。オーガスタ様にも、あれこれと世話を焼くのでしょう?」

「いえ。私にはしません」


 オーガスタは狼狽えない。サミュエルは近衛騎士として、王女の命令に従うことが務めであるからだ。


「あらあら。ではわたくしは――特別なのですね」


 アデラがその笑顔に優越感を乗せたのを見て、悟った。彼女はオーガスタより自分が優位だということをわざとアピールしているのだ、と。

 許可もなく突然屋敷に押しかけてきたかと思えば、そんなくだらない話をしに来たのだろうか。


「ええ。サミュエル様は高貴な王族の護衛の仕事を、とても特別に思われているようです」


 あくまで彼が大切にしているのは仕事だということを強調し、彼女の挑発に乗らずに返した。オーガスタがここで悔しそうな反応するのを望んでいたのか、アデラが一瞬、面白くなさそうに口角を下げた。


(この感じ、前と同じだ)


 そのとき、爽やかな風が吹いて、アデラの爽やかな紫の髪を揺らした。

 伏し目がちな瞳に伸びるまつ毛は長く、唇はふっくらとしていて血色が良い。完璧な造形美には、幼いころの面影がまだ色濃く残っていた。


『オーガスタ様はずるい! ダクラス様を独り占めしないでくださいませ!』


 ダクラスは騎士団長として王宮にしょっちゅう出入りする。幼いころ、父に随分懐いていたアデラは、オーガスタのことを羨んでは責め立ててくることがあった。


 父は立場上王女を無下にすることができず、時には娘より優先的に可愛がることもあった。当時は母が病死したばかりということもあり、アデラに父を取られるのが怖くて仕方がなかったのを覚えている。


 すると、アデラが形の良い唇を開く。


「率直に申し上げます。サミュエル様と別れてくださいませ」

「…………」


 サァ……と、とりわけ強い風が、木々を揺らしながらふたりの間を吹き抜けた。


「理由をお聞きしても?」

「決まってるでしょう。わたくしと彼が――愛し合っているからですわ」


 そう言ってアデラは柔らかく微笑む。

 婚約者がいる男と本当に愛し合っていると言うなら、浮気のはずなのに、少しも悪びれる様子を見せない。


 彼女は余裕たっぷりの様子で続けた。


「サミュエル様のことを想うのなら、身を引いていただきたいのです。正直……オーガスタ様ではあの方にふさわしくないと思うのです。あなたが社交界でなんと呼ばれているかご存知ですか?」

「『男顔令嬢』、ですか?」


 オーガスタは平均的な女性より頭ひとつ分背が高く、余計な脂肪がついておらず引き締まった体型をしている。声は女性にしては低く、彫りが深くて凛とした顔立ちに短い髪をしていて、男だと勘違いされることがしばしば。


 また、類生まれな剣の才能に恵まれていることから、『男みたいな顔』と『男顔負け』をかけて、男顔令嬢などと揶揄されているのだ。


 この国の価値観では、アデラのような守ってあげたくなるような可愛らしい女性が理想とされており、オーガスタは理想からかけ離れていると馬鹿にされてきた。『社交界の花』と呼ばれるアデラに反し、オーガスタの呼び名は蔑称で、とても不名誉なものだった。


 しかしその蔑称は、アデラが、オーガスタを貶めるために名付けて広めたのだった。そのことがダクラスに知れたせいで、彼はアデラを可愛がらなくなった。これはあとから聞いたことだが、アデラにとってダクラスは初恋の相手だったらしい。


(きっと今も王女様は、私のことを憎んでいる)


 傷つけられたのはオーガスタの方で、逆恨みと言っていいだろう。


「サミュエル様は素敵なお方です。本来なら、お相手は選び放題のはずなのに、並んで歩くのがオーガスタ様では可哀想ではありませんか」

「ふ。随分はっきりおっしゃるのですね」

「それは……。わたくしはただ、サミュエル様のためを思って……」

「なるほど、それは殊勝なことです。彼のために心を鬼にして忠告してくださったのですね」


 オーガスタが煽るように言うと、アデラはかっと顔を赤くし、思わず目を伏せた。


(なんだ、失礼なことを言ってる自覚はあるのか)


 オーガスタだって、自分が女の子らしくなくて可愛くないことは自覚している。しかし、男のような見た目は遺伝だし、剣の腕を磨いてきたことは、騎士家系のクレート公爵家の者として誇りに思っている。

 世間でどう揶揄されようと、恥ずべきことはひとつもない。


 アデラはは気まずそうに目をさまよわせてから、すっと椅子から立ち上がって日傘を差した。自分の表情を隠しながら最後に言い放った。


「――とにかく。今わたくしがお伝えした件について、よく考えておいてくださいませ。では、失礼いたしますね」


 彼女はくるりと背を向け、ガゼボから去って行った。爽やかな風が、アデラ香水の匂いを運んできて、オーガスタの鼻腔をくすぐる。


 アデラはかつてオーガスタから父親を取ろうとしたように、今度は婚約者を奪おうとしている。


(王女様はまた、私が大切にしているものを欲しがる)


 だが、起きてしまったことは仕方がない。サミュエルが王女の誘惑になびいたのならそこまでの縁だったということ。


 彼女に言われる前から、サミュエルとは今後の関係について話すつもりでいた。

 物心つく前から一緒にいた人との、思わぬ形での別れを予感し、オーガスタは小さくため息を吐いた。

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