婚約者様、王女様を優先するならお好きにどうぞ(※ただし、私も王子様を優先しますが…)

曽根原ツタ

第1話 婚約者は王女様を優先する

 

 婚約者のサミュエルは、いつも王女アデラのことばかりを優先している。


 オーガスタはネリア王国で権勢を誇るクレート公爵家の長女だ。縁のあるマキシミルア侯爵家長男のサミュエルとの結婚は、生まれたときから決まっていた。

 お互いに恋愛感情はなかったが、それなりに良好な関係を築いていた。


 その関係に亀裂が生じたのは――サミュエルがアデラの近衛騎士に任命されてからだった。


 アデラはこの国の王女で、ウェーブのかかった長い髪とくりっとした瞳が印象的な可愛らしい令嬢だ。生まれつき病弱で、色が白く儚い雰囲気を持ち、思わず守ってあげたくなるような存在。

 病弱ゆえの苦労を感じさせないほど前向きで優しく、穏やかな性格が多くの人々を惹き付けた。

 老若男女問わず人気が強く、巷では『社交界の花』と称されている。


 そんなアデラは一年前、王国騎士団に所属していたサミュエルを近衛騎士に抜擢し、いつも傍に仕えさせるようになった。騎士にとって、王族の護衛をするのは非常に名誉なことだ。サミュエルは近衛騎士としての勤めを誠心誠意果たしていた。


 けれど、次第に彼の頭の中は仕事のことでいっぱいになり、婚約者であるオーガスタのことを顧みなくなった。

 そして親密な彼らの様子を見て、社交界ではふたりが愛し合っているのではないか、と噂される始末。


(こんな状況が続いたら、クレート公爵家の醜聞に繋がる。サミュエル様は一体何を考えてるんだか)


 婚約者がいる身でそのような噂を立てられたのは、彼の軽率さが原因だろう。

 実際、オーガスタから見てもふたりは特別な仲に見える。

 もし、噂の通りサミュエルとアデラが愛し合っているのなら、身を引くべきだろうか。


 クレート公爵邸の庭園にて。

 オーガスタは婚約者のことを思い出しながら、剣の素振りをしていた。クレート公爵家は代々優秀な騎士を輩出する騎士家系で、オーガスタも幼いころから王国騎士団団長の父に剣術を習ってきた。


 シュッ、シュ……と、剣が大気を斬る音が辺りに響く。

 そのとき、背後から人の気配を感じ、反射的に身を翻して気配がした方に剣を向けた。


「さすがは我が娘だ。気配を消していたのに、よく気づいたね」

「……! 父上!」


 庭園に現れたのは父ダクラスだった。王国騎士団団長を務めている彼は、柔和な雰囲気に反して戦略家で剣術に優れた人だ。

 オーガスタは父をずっと尊敬してきた。


「も、申し訳ありません」


 オーガスタは父の鼻先に向けていた剣を慌てて下げる。父は穏やかに微笑みながら優しく答えた。


「ふふ、謝らなくていい。背後から近づいたのは私だからね。むしろ驚かせて悪かった。鍛錬するのは結構だけれど、支度をしなくていいのかい? 今日は午後にサミュエル殿が屋敷に来る予定だっただろう?」

「……彼は来ません」


 そう言って首を横に振り、懐から一通の手紙を取り出して父に渡す。

 すでに封が切ってある封筒には、マキシミルア侯爵家の印章付きの封蝋が使われている。



『× ×日は仕事が入ったため、行けなくなった』



 それはサミュエルから今朝方届いたものだ。謝罪もなく、たったの一行で用件が書かれている。


(謝罪の言葉もなしって……。今日は大切な日なのに)


 今日は、亡くなったオーガスタの母の命日で、墓参りを兼ねてひと月ぶりに会いに来る約束をしていた。しかも、前回会う約束を彼が王女を理由にすっぽかした埋め合わせでもあった。けれど性懲りもなく彼は、婚約者ではなく――王女を優先したのだ。


 手紙を読み終えたダクラスは、呆れたように言う。


「王女殿下はよほどサミュエル殿に執心しているらしいね。それとも、その逆か?」

「どちらもだと思います」

「近ごろ、ふたりが浮気をしていると言う噂が流れている。困った男だ。小さなころから目にかけてきたのに、大切な娘と我が家の顔に泥を塗るとは」


 ダクラスは怒りをあらわにして、サミュエルからの手紙をビリビリと破り捨てた。紙切れが芝生の上に舞い落ちるのを目で追っていると、彼は続けた。


「私は、この婚約関係を維持する意味はもうないと思っている。お前はどうだい?」

「私は……」


 オーガスタは一瞬、迷ったように視線を泳がせてから、目を伏せた。


(確かに今のサミュエル様は不誠実だ。でも正直……すぐに決断はできない)


 実は、サミュエルの実家マキシミルア侯爵家は派手好きで、多額の借金を抱えている。彼は近衛騎士として得た給金の多くを実家の借金返済に当てていた。そんなサミュエルの苦労を知っていたから、クレート公爵家は結婚した際に、持参金として借金を代わりに完済する約束をしていた。


 実家の借金返済のために、苦労する彼の姿を見てきた。長いこと一緒に過ごしていた中で生まれた情が、オーガスタの判断を鈍らせる。


「一度、彼と話し合わせてください」

「ああ、分かったよ。結論を急かすつもりはないから、ゆっくり考えなさい」


 ダクラスはオーガスタの肩に手を置く。手のひらから伝わる体温に、安心感を覚えた。


「お気遣い、ありがとうございます」


 父はこちらを案じるように見つめてから、踵を返した。


 その後、ダクラスと入れ違いで、また別の一団が庭園を訪れた。メイドが「お嬢様、お客様がいらっしゃいました」と告げる。


 数名の付き人を伴ってやって来たのは――王女アデラだった。彼女の姿が見えた瞬間、庭園の空気が変わる。優雅で美しく、存在感がある。


「ごきげんよう」

「お、王女様……どうしてこちらに?」

「あなたと折り入ってお話したいことがあって参りました。――サミュエル様のことについて」


 そう言ってアデラは、ふわりと掴みどころのない笑顔を浮かべた。

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