第3話 ルティアの憂鬱
「ルティア様……」
聞き馴染みのある声が暗黒に沈んだ私の意識を呼んだ。
見覚えがあるはずの豪華な天蓋の内側が視界に入る。が、ここがまだ現し世なのか、それとも
「ルティア様!」
呼びかける声はより力強く、私の精神を現世へと引き上げた。
声の主はすぐ側にいた。
ああ、現実だ。
「ゾー……私は」
「お目覚めになられ良かったです……」
いつからそばにいたのか、よく知ったこの少女は安堵の表情をみせる。少し疲れた様子だったが、そっと私を抱きしめた。
ゾーフィア・ホルヴァート。私と同い年の侍従で、八歳の頃から一緒に生活してきた。
東の隣国、クーロート国の騎士階級出身で、留学という名目で預けられた人質だ。けれども、彼女のことは実の姉妹以上の友愛をもって接しているし、またゾーフィアからもそれと同等以上の親愛の情を感じている。
私の身を案じて一晩中付き添ってくれる家族など……彼女以外にいないのだ。
「ルティア様のご意思に反する行い、申しわけございません。しかし、ルティア様以上に
「ゾー、あなたが私をあの湖から引き上げてくれたの?」
ゾーフィアは黙ったまま頷いた。
この娘はあの湖を泳いで、私が私自身にくくりつけた石の重りを切り離し、私を助け出したのだ。なんという体力、いや忠誠心だろう。
「悔しいお気持ち、よく分かります」
「……そう、そうよ。ランパルト様とはずっと前から許嫁だった。なのにこんな急に……あんまりよ。だから……」
急に感情が涙になって声が震える。
婚約者が心変わりをした、という話は何処にでもあるのかもしれない。しかし自分の実の妹にその座を奪われたとなれば、さもありなん、で済まされる程、私は聖人でも
かりにも私はメゾチアのイリオール家の娘、この国の七大公家の一つに数えられる有力貴族の娘だ。それが許嫁を奪われたとなればこの上ない恥辱、生き恥をさらすなどできようはずがない。
当然、死を選んだ。高貴なる者の死とは荘厳で、意味あるものでなければならない。
あの湖を入水の場にしたのはそれなりの意味があった。
ゾーフィアは何も語らない。ベッドに腰掛けて私の話をただ聴いてくれた。
「竜の瞳の湖……そのような伝説があるのですか」
「……このメゾチア南部に伝わる野史、伝説の類よ。あの湖の底は大きな洞窟があって、そこは黄泉の国とも、
「それで、どうだったのですか?」
「どうって?」
「黄泉の国、
「見えなかった……いえよく分からない……わ。とにかく暗くて……苦しくて」
「今はお休みを。心も体もお疲れなのです。」
ゾーフィアの暖かく、少し固い手のひらが私の手に重ねられた。
体をベッドにゆっくり横たえる。
「そうね……でも良かったのかもしれない。水死すると醜く体が膨れ上がってひどく臭うそうだから。そんな姿を衆目に晒すほうが恥辱だわ」
私は少し口元を緩めてゾーフフィアを見つめた。
「またそのような……本をお読みになって知ったのですか?」
ゾーフィアの少し呆れた声に、私はこくりと頷くと、ふわりと羽毛の入った
お互いの様子に思わず笑みがこぼれた。
しかし安寧の時間は突然のノックで遮られた。
給仕係からの声はない。
「ルティア」
高圧的な声が私の胸を突いた。
母上だ。
即座に体を起こして身だしなみを整える。
ゾーフィアも先程までの浮かれた表情は消え、見繕いをし、床に座して硬い表情で出迎えた。
「どうやら大事ないようね」
部屋に入るやいなや、私の母、メリィナ・イリオールは私を睨視した。
――嫌な眼だ。
「母上、この度は――」
私は抗うつもりで心身を固く持った。が、その母の甲高い声が部屋に響いた。
「まあ調度いいわ。あなた、しばらく療養なさい。病身のため務めを果たすことはできない、とタルクス家に申し開きして正式に婚約を解消します」
駄目だ。分かっていた事だが、私の意思や言葉などもとより考慮されていないのだ。
しかも、実の母から愛情をもって接されていないということは、成長するにつれ、より明らかに感じ取れた。
「何、言いたいことがあるなら申しなさい」
「――いえ、何も、ございません」
感情を理性という名の関に押し込める。
全ては決められたことなのだ、それを覆す権利も、意見も求められてはいない。
私は道具、駒なのだ。
「仰せのままにいたします」
ビキン!と母の顔の肉が引きつったように感じた。無感情な物言いが逆に気に入らなかったのか、何を言っても気に障るのか――。
「それなら結構。ゾーフィア、娘のことはお願い。そもそも侍従である貴方がしっかりと見ていないから!」
矛先をゾーフィアに変えた母は、跪く彼女の肩を扇で打った。
それを無言で受けるゾーフィア。
こういう扱いは初めてではない、私たちにとっては日常なのだ。
「くれぐれもまたバカな真似はさせないように」
「はい、奥様」
言いたいことだけ言って母は退室した。
妙に高い音の靴音が次第に遠のくと、私は息を一気に吐き出して、ベッドに脱力した。
次の更新予定
3日ごと 05:00 予定は変更される可能性があります
婚約破棄された公爵令嬢は盤上の魔女(ゲームメイカー)となって国を揺るがします 香山黎 @kouyamarei
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。婚約破棄された公爵令嬢は盤上の魔女(ゲームメイカー)となって国を揺るがしますの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます